寺島文庫

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2012年第18号より


第1期寺島実郎戦略経営塾・第6回講義及び第1期総括
講師:寺島 実郎 塾長
2012年5月29日(火) 会場:寺島文庫ビル3階

                                       
 2012年5月29日(火)、寺島文庫にて第1期寺島実郎戦略経営塾・第6回講義(最終講義)が行われ、寺島実郎塾長が講師をつとめました。
 冒頭、寺島塾長は資料集「寺島実郎の時代認識」内のデータを共有し、「冷戦後の20年から見えてくるもの」として、1990年から2010年における不動産価格推移(市街地価格指数 商業地:75%下落、住宅地:48%下落)、日経平均株価推移(29,000円台→10,000円台(現在:8,700円前後))、また、勤労者家計可処分所得の下落(2000年:473,000円から2011年:423,000円)、労働人口6,272万人の34%にあたる2,165万人が収入200万円以下である現状を踏まえ、資産家の没落、特に地方における消費、投資の低迷について説明しました。さらに、労働人口の34%が収入200万円以下であるのに対し、生活保護受給者は住宅扶助と医療費を含め約300万円を受給している分配構造の歪みを指摘しました。


<寺島塾長が参画しているプロジェクトについて>
 寺島塾長が現在参画しているプロジェクトとして、2027年に東京・名古屋間開通予定のリニア中央新幹線を挙げ、最終的に東京・大阪間約1時間、三大都市圏7,000万人ゾーンが1日生活圏となること、また、震災後の教訓として、最先端の医療設備を備え、被災地に直接アクセス可能な2万t級の医療船を太平洋側と日本海側に1隻ずつ配置する医療船構想について言及しました。
さらに、川崎市、横浜市、神奈川県が推進する「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」については、シンボル的な先端的医療の国際機関、例えば、世界最高の医療機関といわれるアメリカのNational Institutes of Health(NIH)のような共同研究所やアジアの高度医療人材を養成する教育機関の必要性に触れ、先端的なR&D(研究開発)センター、教育機関、医療船をパッケージにした構想が、世界の医療特区に対抗するためには不可欠だと提言しました。

<現下のエネルギー問題について>
 現政権の歪んだ政策について、国民に対しては脱原発を語る一方で、2012年5月の日米共同宣言では日米原子力協定の強化を挙げ、また、世界のエネルギー状況については日本製鋼所が原子炉格納容器8割の世界シェアを持ち、東芝のウエスチングハウス買収や日立とGEのジョイントベンチャーが誕生するなど、日本が世界の原子力産業の中核となっていることから、世界のエネルギー動向と日本の認識に乖離があることを指摘しました。また、自身が繰り返し強調していることとして、原子力技術基盤の蓄積・維持に触れ、中国、韓国、台湾が原子力発電所を増設し、2030年には東アジアに100基以上の原発設置が見込まれる状況を踏まえ、東アジアの原子力発電所において福島のような事故が発生した場合に日本が貢献していくために、また、発言力の上でも高い技術基盤の蓄積・維持が不可欠であると強調しました。
次に、再生可能エネルギーについては、バイオマス技術が産業構造や地域の経済構造を変える意味でポテンシャルが高く、食物と競合しない海藻、間伐材、あるいは都市ごみからの植物由来バイオリファイナリーを通じたバイオケミカルの重要性に言及しました。

<米国出張報告>
 最後に、自身の米国出張での最新情報を塾生に共有し、現在の米国メディアにて「America is Winning」と言われていることの背景に触れました。シェールオイルにシフトしたアメリカの1日当り石油生産量がサウジアラビア並みの900万バーレルに迫り、2011年の輸出品目トップもエネルギーとなり、シェールガスインパクトも含めてアメリカがエネルギー戦略上、世界的に優位に立ちつつあること、さらに、海外からアメリカへの来訪者が6,200万人を超えたこと(2011年の日本への海外来訪者は601万人でアメリカの10分の1)をアメリカをポジティブに捉える背景に挙げ、世界が新たな変革の時期を迎えていると語り講義を締め括りました。
その後の懇親会は会場を文庫Caféみねるばの森に移し、塾生全員からプレゼンが行われ、寺島塾長との交流、塾生間の相互交流、寺島文庫客員研究員との交流が着実に行われている状況が紹介され、第1期寺島実郎戦略経営塾は終了しました。

 

~第1期寺島実郎戦略経営塾を終えて~ 事務局:山下 隆・中島 悦嗣

 昨年7月より開講した第1期寺島実郎戦略経営塾は、寺島塾長が現在も向き合っている中小企業経営者・企業幹部育成の取り組みを至近距離で行う研究会として発足しました。寺島文庫主催として初の試みとなりましたが、寺島塾長監修の下、ご参加頂きました塾生の皆様、ご登壇頂いた特別講師の方々のご指導・ご協力を賜り、無事に開催することができました。本HPをお借りして事務局一同心より感謝申し上げます。本塾第2期につきましても多くのご要望を頂き、9月に開講致します。更なる充実を図るべく事務局一同一層努力してまいります。


<第2期寺島実郎戦略経営塾へのお問合せ>
 寺島実郎戦略経営塾・事務局(担当:山下、中島)
 電 話:03-5215-2951 (電話受付時間 平日10:00-18:00)


 

2012年第17号より

寺島文庫留学生支援
東アジアの将来をまじめに考える会 「東アジア共同体の展望と障害」
2012年4月21日(土) 会場:文庫Caféみねるばの森

  2012年4月21日(土)文庫Caféみねるばの森にて国際交流基金所属の丁寧氏(中国出身)を中心とした有志(中国人留学生、日本人大学生、大学教授等)が集い、「東アジアの将来をまじめに考える会」が開催されました。本会では、「東アジア共同体の展望と障害」と題して寺島実郎の講演も行われました。文部科学省・日中韓大学間交流・連携推進会議委員、同省・大学の世界展開力強化事業準備会合委員を務める寺島は、日中韓のみならず東南アジアを含めたキャンパスアジア構想(単位相互認定)について欧州のエラスムス構想、EU誕生の経緯を例に挙げ、相互不信が存在するアジアでも段階的接近法として若者の交流が不可欠であり、「東アジア共同体」と唱えるだけでなく、連携し実利を積み上げていくことの重要性を語りました。

  また、経済面ではアジアのGDPは世界GDPの3割に迫り、インドの経済成長もあり近い将来5割を超す。例えば中国の自動車販売台数は1,800万台を超え、インドも300万台を超え、近い将来800万台を超える。インドの人口も10年後には中国を抜く。つまり、ビジネスモデルにおいてもアジア諸国との連携・相関が不可欠であり、今の若者はどのような職業に就いても、モノ、ヒト、カネの動きにおいて中国やインドをはじめとしたアジアダイナミズムと向き合わざるを得ないと語りました。

   後半は人流面のアジアダイナミズムを日本がいかに取り込むかについて、「中国の海外渡航者数は2011年で7,025万人(内5,000万人は香港、マカオへ渡航)に達しており、衰退が予想された香港経済は本土の中国人海外渡航者の消費により支えられている。日本は観光立国を掲げ、訪日外国人3,000万人を目指しているが、その8割は中国人を中心としたアジア人である。少子高齢化の日本は訪日外国人・移動人口を増やすことが必要で、ただ秋葉原や銀座の買物客、温泉地の観光客を取り込むのではなく、パリにIEAやアラブ世界研究所等の人が集積する「装置」があるように、日本も人が「行かねばならない装置」を創り、情報価値を求めた問題意識と熱意のある観光客を取り込む必要がある。」と語りました。

   講義後は、中国人留学生・メディア関係者との東アジア連携への実現に向けた活発な質疑応答が行われ、最後に、日本における留学生の就職支援・交流支援を軸とした寺島文庫のNPO法人設立構想が寺島より紹介され、講義は終了しました。

2012年第16号より

寺島文庫・GIN総研フォーラム(春季)が開催
2012年4月20日(金) 会場:日本工業倶楽部会館 大会堂


 2012年4月20日(金)日本工業倶楽部会館大会堂(東京都千代田区)で2012年春季GIN総研フォーラム「寺島実郎の視座」および「復興構想コンテスト表彰式」が開催されました。講演では、米国勤務から1997年に帰国して今年で15年を迎える寺島がこれまでの発言を振り返り、今日の世界情勢と日本の立ち位置について語りました。

 「この15年間に私が申し上げてきたことは、9.11やリーマンショックなどの金融肥大を経て米国流資本主義が倒壊したこと、『陸の中国』(中国本土)と『海の中国』(香港・台湾・シンガポール)の相互連携の深化による大中華圏の躍動、そして3.11からの日本復興構想です。世界が激動する現代、今後、日本がとるべき進路とは何か、エネルギー問題に集約してお話しします。私は経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本問題委員会でも発言していますが、米国はスリーマイル島の事故以来、1基の原発も製造してきませんでしたが、原子力ルネッサンスへ踏み込み始めました。ジョージア州とサウスカロライナ州に2基ずつ原子炉を新設し、トリウム原子炉の予算も今年度から計上されています。またシェールガス革命によってエネルギー戦略の主軸をシェールガス、シェールオイルなど、非在来型化石燃料に置きつつあります。米国だけではなく、欧州も中国もシェールガスに注目しており、中国は北米のシェールガス分野に投資し、採掘技術やノウハウ取得に注力しています。
 一方、日本では脱原発が声高に叫ばれていますが、事態はそんな単純なことではありません。まず、日本の原子力政策は1951年以降、米国の軍事(核)と資本戦略に巻き込まれてきたという歴史的事実を認識する必要があります。
現在、米ウェスチングハウスを東芝が買収し、GE社を日立が、また、フランスのアレヴァ社とは三菱重工業が共同開発をしています。つまり、日本は軍事においては米国の傘の下にあり、民生においては米国の原子力産業資本の有力な市場です。日本が世界の原子力産業の中核的立場にある現実において、どこまで『脱原発』を唱えられるのか。私は、核の誘惑を断ち切り、平和利用に徹してきた日本だからこそ、原子力の基盤技術力や人材の育成を維持しながら『核廃絶』を訴えるべきだと思う。技術蓄積を絶やしてしまえば、今後、日本が国際社会で原子力やエネルギーに対して発言する基盤さえ失ってしまいます。それでは真の創生は望めないからです」

2012年第15号より

公益財団法人自然エネルギー財団主催 国際シンポジウム 「REvision 2012 – 日本の新しいエネルギービジョンへ」開催

 
  2012年3月9日(金)及び10日(土)、寺島が評議員を務める自然エネルギー財団主催国際シンポジウムが東京国際交流館プラザ平成にて開催されました。寺島は3月10日(土)のセッション5(テーマ:自然エネルギー送電網の拡大-アジア・スーパー・グリッド)に登壇し、孫正義氏(自然エネルギー財団会長・設立者)、柏木孝夫氏(東京工業大学教授)、増田寛也氏(日本創成会議座長)、プンツァグ・ツァガーン氏(モンゴル大統領上席補佐官)と共に自然エネルギー送電網の将来像と課題について議論しました。
 
  本シンポジウムのビデオ及び資料は同財団HP(
http://jref.or.jp/action/event_20120309.html)にて公開中です。

2012年第14号より

ジャパンエフエムネットワーク「月刊寺島実郎の世界」1月、2月収録風景

  毎月後半土・日曜日の朝放送しているFM番組「月刊寺島実郎の世界」は、政治・経済・社会・文化、そして歴史にまで視野を広げてこれからの日本のあるべき姿をテーマに、寺島実郎と木村知義氏がリスナーと共に考えていく番組です。
1月・2月は、「17世紀オランダからの視界―ドン・キホーテの時代だったスペイン」と「ポルトガルが先行した大航海時代と天正遣欧使節」をテーマに放送されました。

ドン・キホーテの時代―スペイン

  「立体世界史的に現代日本を考える上で大きな切り口になっているのが『鎖国』の徳川江戸時代においても唯一交流を持っていた17世紀のオランダである。この国が海洋帝国、通商国家として急速に発展し、また急速に衰亡していった事実を日本になぞらえて考えてみることは、非常に重要だ。16世紀から17世紀にかけて独立戦争を戦っていたオランダが世界に向けて展開する背景には、敵対国スペインの影響が大きかったと言える。当時のスペインには『ドン・キホーテ』を執筆したセルバンテスが存在し、彼はレバントの海戦(1571年)に参加して片手を失ったが勝利を収めた。しかし、1588年にネルソン提督率いる英国艦隊に大敗、祖国の栄光と衰退期を体験する。この様は、『ドン・キホーテ』の物語にも象徴されるエッセンスになっている。
 同時期の日本では、支倉常長のミッションがサン・ファン・バウンティス号に乗り込み、3カ月かけてスペイン・マドリードに到着(1614年)、8カ月間滞在した。日本もまた鎖国の時代の前に大きく海外展開をしていたのである。セルバンテスも1602年~1616年まで同地に居住、サムライ一行の訪問に関心を寄せていたと思われる」。

大航海時代と天正遣欧使節―ポルトガル

  「ポルトガルという国について語る時、まず思い浮かぶ疑問は、なぜ欧州の小国にすぎないこの国が、『大航海時代』の先陣を切ってアジアに奥深く展開していたか、ということだ。ポルトガルを理解する上で重要なのは、同国がレコンキスタ(国土回復運動)で成立したことだ。つまり711年から以後3世紀にわたって欧州に進出したイスラム教を1604年に教皇アレクサンドル2世によって駆逐し、カトリックによる統一国家態勢を整えた。この事実が、ポルトガルが他国に先んじて海外に向け行動した最大の理由と言える。しかし、次第にスペインとの熾烈な戦いに入り、ついに1580年スペインに併合される。この時期日本は天正遣欧使節一行がポルトガル人宣教師ヴァリアーノに連れられて長崎を発ち、マカオ、マラッカ、ゴア、コチン、喜望峰、セント・ヘレーナ島を経てリスボンに到着、ポルトガル王を兼ねるスペイン王のフェリペ2世と謁見し手厚くもてなされた。このことは日欧関係を非常に象徴している。つまり、ポルトガルのアジアへのネットワークをたどる形で使節は欧州を訪れたからだ。欧州の力学が日本に働いていることが実感できるはずだ」と語りました。