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岩波書店「世界」2018年7月号 脳力のレッスン195 ビッグ・ヒストリーにおける人類史―一七世紀オランダからの視界(その49)

 社会科学が社会科学として自己完結できる時代ではない。とくに、歴史に関する認識は二一世紀に入っての宇宙科学、生命科学、人類学などの進化によって、従来の議論の前提が突き崩されているともいえ、新しい研究成果の吸収が不可欠である。
 この「一七世紀オランダからの視界」という連載を通じて、近代なるものを問い続けてきた。「資本主義」「デモクラシー」「科学技術」が近代を凝縮した要素であるとすれば、その揺籃期としての一七世紀オランダを注視し、大航海を経て「長崎の出島」に訪れていたオランダ東インド会社と向き合った江戸期日本を探求し、さらにオランダを取り巻く近世から近代へと動く欧州の地政学、そしてユーラシア大陸全域の時代状況を掘り下げ、視界を広げてきた。この世界認識の再構築とでもいうべき試みの収斂に向けて、大きく深呼吸し、より広く深い視界からの考察を加えておきたい。

 

 

 

ビッグ・ヒストリーという刺激

 

 「ビッグ・ヒストリー」という視界がある。その集約とも思える作品がウォルター・アルバレスの「ありえない一三八億年史」(光文社、2018年、原題“A BIG HISTORY OF OUR PLANET AND OURSELVES”、2017)である。一三八億年前の宇宙誕生から、三八億年前の生命誕生、そして八00万年前の人類誕生という「宇宙―生命―人類」とつながる途方もない時間の中で、歴史を再認識しようという視座であり、「全体知の中で考える」という意味で重要である。
この本の著者、アルバレスは恐竜絶滅の謎を六六〇〇万年前の「隕石衝突」によって解明した地球科学者であるが、地球と生命の歴史を探究してきた専門家の視界に「人間という種の特徴」に対する問題意識が芽生え、結局、人間が産み出したものを「言語、火、道具」に凝縮して考察しているのが印象深い。また、歴史における「連続と偶然」へと思考が向かい、とくに「偶然」が歴史の転換をもたらしたことを重視している。
 また、ビッグ・ヒストリーの教科書ともいえる大冊がデヴィッド・クリスチャン他の著作「ビッグ・ヒストリー」(明石書店、2016年、原題“BIG HISTORY:BETWEEN NOTHING AND EVERYTHING”、2014)である。「国際ビッグ・ヒストリー学会」が設立され、ビル・ゲイツなどの支援を受けた研究プロジェクトの成果ともいえる作品であり、この本を貫くキーワードが「スレッシェルド」(THRESHOLD)である。「大転換」とでも訳されるべき言葉で、超長期の歴史の節目に起こる「パラダイム転換」をこの言葉に凝縮しており、「①ビッグバンと宇宙誕生」「②銀河と恒星の起源」「③化学元素の生成」「④太陽系、地球の誕生」「⑤生命の誕生」「⑥人類誕生と旧石器時代」「⑦農耕時代」「⑧モダニティー(現代性)への転換」という八回の「大転換」が起こったとの認識を示している。我々が生きる「モダニティー」(近現代)なる約四〇〇年が「瞬き」にも近い短い時間であることに幻惑を覚える。
 本年五月、ロンドンの書店で、イアン・クロフトン他著の“THE LITTLE BOOK OF BIG HISTORY―――THE STORY OF LIFE、THE UNIVERSE AND EVERYTHING”(2016年)という分厚い新書本サイズの本を見つけた。ビッグ・ヒストリーのコンパクト版で、科学史研究家のクロフトンが高校生向けに「宇宙、生命、人類、文明、近現代」を貫く視界を語るものである。つまり、ビッグ・ヒストリー的思考が既に教養教育の基盤になってきていることを示す素材である。「文理融合」といわれるが、そのカリキュラムの支柱はビッグ・ヒストリーであろう。また、白尾元理・写真、清川昌一・解説の「地球全史――写真が語る四六億年の奇跡」(岩波書店、2012年)は地球科学の立場で、太陽系と地球が微粒子の濃集によって誕生してからの人類の誕生と進化の痕跡を追った写真・解説集であり、ビッグ・ヒストリーへの想像力を掻き立てられる。

 

 

 

 

 

ヒトゲノム解読の衝撃

 

  ビッグ・ヒストリーというアプローチが説得力をもつ背景には、二一世紀に入っての生命科学の驚くほどの進歩がある。社会科学の世界における歴史学であったが、科学技術が歴史の闇に強烈な光を投げかけてきており、我々は世界認識の根本を組み立て直さねばならないほどの突き上げを受けている。二〇〇三年には、米国立ヒトゲノム研究所における「人類の起源解明プロジェクト」によってヒトゲノムの解読が終わり、驚くべきことが分った。ヒトとチンパンジーのDNAの差は、約二・三万の遺伝子の内、わずかに一・二%、しかも「個体差」を調整すると一・〇六%にすぎないというのである。
 ビッグ・ヒストリー的視界に学ぶべきことは、モダニティー(近現代性)の相対化にあると思う。つまり、思い切り長い時間軸の中で、我々が当然だと思い込んできた価値とか認識を再考せざるをえないことにあると言えよう。我々は「人間中心主義」の近現代を生きてきた。人間の個の価値を解放する志向を強める中で、いつしか人間があらゆる生物に優越するという認識を深めた。誰もが「人間はサルよりは優れている」と考えがちだが、本質的に動物としての差は少なく、京都大学の松沢哲郎研究室のチンパンジー研究報告が検証しているごとく、チンパンジーが野生の中で身に着けた「食欲・生存欲求に結び付く写実的記憶力」(ジャングルで木の実を瞬時に画像認識し、突進する能力)は人間より高いのではないかとさえいわれている。一・〇六%の差とは、言語に影響を与える遺伝子(FOXP2)の発見により、「言語・意思疎通に関わる能力」らしいことが検証されつつある。人間が人間である理由は、言葉で知識を伝え、学んだことを記録・記憶し世代を超えて伝承しうることである。
T・ズーデンドルフの「現実を生きるサル、空想を語るヒト」(白揚社、2015年、原題“THE GAP”、2013年)は「ヒトは生きる意味と歴史(過去・未来)を問い掛ける存在」と指摘する。確かに、人間は「社会性」の中で自らの存在の意味を問い続ける「情報食動物」といえる。大型類人猿はオランウータン、ゴリラ、チンパンジーの三種だが、脳の容量は三〇〇~四〇〇グラム、ヒトの脳は一・二五~一・五キログラムという。ヒトは直立歩行によって「道具を使う手」を獲得し、脳を発達させたとされる。一九七三年にエチオピアで発見され、ルーシーと名付けられた化石人骨は約三二〇万年前のもので、直立歩行をしていた痕跡を残すが、脳の容量はチンパンジー並みであった。約五00~四00万年前にヒトがチンパンジーから分離して猿人が登場したとされるが、ヒトの染色体は四六本、チンパンジーの染色体は四八本で、「非コード領域における突然変異」がもたらしたのだとされる。フランク・ウィルソンの「手の五〇〇万年史」(新評論、2005年、原著1998年)が「手と脳と言語の結びつき」を指摘するごとく、「二足歩行と器用な指先」によって、森から草原へと出て「雑食」で生きる「環境適応力」を手に入れたことが人類の進化の原点と思われる。「人間は天から降りた天使と思いたがるが、実は木から落ちたサルにすぎない」というジョークもあるが、木から降りて直立することが重要だったのである。
 そして、約二〇万年前、我々の先祖であるホモ・サピエンス、新人がアフリカに登場する。今日では、アフリカ単一起源説が検証されたが、アフリカ南東部の大地溝帯によって大量の雨が降り、巨大な森が形成され、それが生命の温床になったためと言われる。我々人類の起源はアフリカなのである。

 

 

 

 

高齢化社会への前向きの認識―――高齢化は社会的コスト増ではない

 

  高齢化社会に関する従来の議論、ジェロントロジーを「老年学」と訳してきた視界では、高齢化を社会的コストの増大と捉え、その負担の在り方についての議論に傾斜しがちとなる。ジェロントロジーに関する書物をみても、その三分の二以上の内容は、医療、年金、介護に割かれている。確かに、「二〇一五年度の日本の医療費約四二・四兆円の五九%が六五歳以上の高齢者によるもので、七〇歳以上で四八%」「六五歳以上の一人当たり医療費は六五歳未満の四倍」という資料をみれば、高齢者による医療負担の増大、さらに介護費用の増大が今後の大問題であることは否定できない。だが、高齢化を社会的コスト増とするだけでは、異次元高齢化社会を明るい未来と構想することは不可能である。社会を支える側に高齢者を参画させるパラダイム転換が必要なのである。
ところで、「高齢化」を論ずる時、思い出すのがサムエル・ウルマン(1840~1924年)の「青春」という詩である。「 青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたをいう・・・・年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる・・・・頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八〇歳であろうと人は青春・・・」という詩は、多くの老人の心を駆り立ててきた。前向きに生きる高齢者の永遠の応援歌といえるであろう。
また、ヘルマン・ヘッセ(1877~1962年)は「人は成熟するにつれて若くなる」(V・ミヒェルス、岡田朝雄訳、草思社、1995)において、「老いてゆく中で」という次のような詩を書いている。「 若さを保つことや善をなすことはやさしい  すべての卑劣なことから遠ざかっていることも  だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと  それは学ばれなくてはならない  それができる人は老いてはいない  彼はなお明るく燃える炎の中に立ち  その拳の力で世界の両極を曲げて  折り重ねることができる・・・・」
年齢を超えて、積極的に生きる力を求める者にとって、ウルマンやヘッセの詩は心に響く。だが、個人の「心構え」だけで高齢化社会を論ずることもできない。我々は、最新の脳科学、生命科学をはじめ、医学・医療の進化を注目しなければならない。例えば、ノーベル生理学・医学賞受賞の脳神経学者R・L・モンタルチーニの「老後も進化する脳」(朝日新聞出版、2009年)は、脳科学の最新の成果として、人間の精神活動は「老年期」に新しい能力を発揮しうることに言及している。確かに、記憶力や創造力に関わる機能は「老化」によって劣化するかもしれないが、積み上げた体験から事態の本質を捉え、体系的に対応を考える「思慮深さ」は、高齢者の能力が評価されるべき分野といえる。
同様に、米国の科学ジャーナリストB・ストローチの「年をとるほど賢くなる脳の習慣」(原題“THE SECRET LIFE OF THE GROWN― UP BRAIN”、2010、邦訳池谷裕二監修・解説、日本実業出版社、2017年)も、「脳は経年劣化しない」「運動、訓練によって脳は強くなる」ことを指摘している。私の個人的実感においても、現場体験(フィールドワーク)の蓄積と文献の読み込みが相関し、六〇歳を過ぎて以降、物事のつながりを見抜く「全体知」(INTEGRITY)が高まっているように思う。
 「老化現象」があらゆる生命活動の共通の宿命である中で、とりわけヒトの老化がドラマティックな様相を呈する理由について、モンタルチーニは、「第一にヒトの寿命が長いこと、第二に、損耗による器官の衰えが肉体の各所で表面化しやすいことに加え、第三の理由として、社会が高齢者を疎外すること」を挙げている。この第三の理由の「疎外」を考えるならば、これまでの社会がこれほどの高齢化を想定していなかったために、社会システムに高齢者を参画させる基盤がなかったことによって不適合が生じているといえる。一〇〇歳人生を想定した社会モデルなど存在しなかったのである。
 「疎外された存在」は必ず社会変革の起爆剤となる。今、日本の高齢化社会の中核になりつつある世代は戦後日本の社会構造変化を投影した存在であることを認識しなければならない。そうした高齢者を健全な社会的参画者として機能させるのが、日本のジェロントロジーの課題といえる。
ところで、ジェロントジーへの新たな視角として、美容界に足跡を残した山野愛子氏の長男で山野学苑を率いる山野正義氏が「美齢学」(美しく歳をとる)という主張を掲げていることに注目したい。美とはいうまでもなく、表面的な美だけではなく、精神の美でもある。美容と福祉の融合を目指す山野氏が「九〇歳を過ぎて介護状態にあった女性が、ネールアートと髪を整えることでオシメが取れた」と語る言葉は、高齢化の本質の一面を炙り出している。「美しさ」を意識することが高齢化社会の質を決めると思われるからである。

 

 

人類のグレート・ジャーニーへの新たな発見

 

  そのホモ・サピエンスのアフリカ大陸からユーラシア大陸への移動が始まったのが約六万年前とされる。地球の最終氷期の最盛期が一・二万年前とされるから、寒冷期にユーラシアへの旅に出たことになる。ここから、ユーラシア全域、そしてアメリカ大陸へと地球全域に「移動」と「分散」を続けたのである。正に「グレート・ジャーニー」であった。その意味で、人類は本来的に「グローバル」な存在であった。
 現生人類がアフリカを単一起源とすることが検証される中で、人類史の専門家から「我々はすべてアフリカ人だ」という表現が聞かれるようになったが、本質に迫る認識である。
「グレート・ジャーニー」という言葉は英国の考古学者ブライアン・M・フェイガンが使い始めたものであるが、日本の国立科学博物館も二〇一三年春に「グレート・ジャーニー ―――人類の旅」という特別展を行い、人類の足跡を追っていた。足跡を探る方法が遺伝子情報の解析であり、世代を超えて組み替えることのできない二つのDNA、母方からのミトコンドリアDNAと男性だけが持つY染色体情報のつながりから種相互の関係性を検証するのである。
最近の研究では、人類の出アフリカは少なくとも二度起こったとされる。第一期は一八〇万年前に登場したホモ・エルガステルによる移動で、約一七〇万年前に始まった。ヨーロッパに入った系統がネアンデルタール人へと進化したという。第二期の出アフリカとして六万年前に始まったホモ・サピエンスのユーラシアへの移動だが、そのルートについて興味深い事実が検証されている。これまでの常識的な見方はサハラ砂漠を超えて、陸続きのシナイ半島からパレスチナへという経路であったが、もう一つのルート、現在のエチオピアからアラビア半島の南東端経由、アデン湾沿いに北行、ホルムズ海峡を超えて今日のイラン方面に動くルートもあったという。地球寒冷期で海水面が現在より九〇メートル後退していたと想定され、移動可能だったという。
 二〇一〇年にネアンデルタール人のゲノム配列が解析されたことにより、ホモ・サピエンスの子孫たる我々のDNAにも約二%、ネアンデルタール人のDNAが混在していることが証明された。つまり、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と交配したのである。これまでのホモ・サピエンスによるネアンデルタール人の駆逐説を覆す衝撃であった。
二〇一八年五月一二日に放映したNHKスペシャル「人類誕生」は、この数年間の人類の足跡化石の発掘調査を取材した興味深い映像であり、「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が近接して共存していたパレスチナでの遺跡」の紹介をはじめ、何故、ホモ・サピエンスが生き延び、ネアンデルタール人が絶滅したのかを考察する上で示唆的であった。脳の容量ではネアンデルタール人の方がむしろ大きかったにもかかわらず、結局、ホモ・サピエンスが生き延びた理由として、「集団性」が指摘され、ネアンデルタール人が家族などの小集団で生活していたのに対して、ホモ・サピエンスは大集団で動いており、生き延びる知恵が集積されたという見方が紹介されていた。
欧州各地の洞窟に、芸術性さえ感じさせる「動物絵」を残しているネアンデルタール人であるが、「コミュニティー」の先行モデルとでもいうべき「集団性」において、ホモ・サピエンスの環境適応力には敵わなかったと言えるのであろう。このグレート・ジャーニー、「移動」が人類を進化させたことは間違いない。環境適応生物として進化したのである。寒い北方に移動した人類はトナカイ、セイウチ、鮭を食べて生き延びる知恵を身に着けていった。進化のカギは環境変化に向き合い「驚きを覚え、克服する力」だった。
ユーラシアを移動したホモ・サピエンスが「定住」を始めたのが約一万年前頃だったという。「定住」は農耕文明の始まりを意味し、そこから、地域史が始まった。こうした過程を視界に入れる時、「命のつながり」について想像力を掻き立てられる。どんな人にも父母がいて、その父母にもそれぞれ父母がいることを考えていけば、わずか一〇世代前(約二五〇年前にすぎない)の二〇四六人の血が自分に繋がっていることに気付く。二〇世代前からだと実に二〇九・七万人の血が繋がっていることになり、アダム・ラザフォードが語る「我々は、エジプト国王の子孫であり、孔子の子孫である」(「ゲノムが語る人類全史」、文藝春秋社、2017年)という言葉が誇張ではないことを知る。
ホモ・サピエンスがユーラシア大陸から日本列島に到達したのは三・六万年前とされる。日本列島は、一九〇〇~一六〇〇万年前に太平洋プレートの沈み込みによる地殻変動によって大陸から分離されたといわれるが、約二万年前まで、地球寒冷期の日本列島(ヤポネシア)の海岸線はユーラシア大陸と陸続きといえるほど近接しており、三・六万年前にホモ・サピエンスが到達した頃には大陸と繋がっていたという。
 近年、国立遺伝学研究所などによる日本人のDNA解析により、日本人のルーツも科学的に検証され始めている。グレート・ジャーニーに思いを馳せる時、「純粋日本人などはいない」という認識が深まってくる。これは我々の世界観の根底に置くべき認識である。

 

 

  

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