寺島文庫

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現在地: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 2020年 岩波書店「世界」2020年4月号 脳力のレッスン216 現代日本人の心の所在地 希薄な宗教性がもたらすもの―――一七世紀オランダからの視界(その64)

岩波書店「世界」2020年4月号 脳力のレッスン216 現代日本人の心の所在地 希薄な宗教性がもたらすもの―――一七世紀オランダからの視界(その64)

 

 世界認識における「宗教」の重要性を注視し、本連載では「人類史における宗教の淵源」から世界宗教史を踏み固めてきた。とくに、仏教に関して、ブッダの仏教と日本に伝わった大乗仏教の違いを確認し、中国を経て漢字の教典となった仏教の意味、さらに仏教伝来後の日本における仏教史を追ってきた。宗教に関する「全体知」の試みを踏まえ、いまを生きる日本人の心の所在地を探っておきたい。

現代日本の宗教人口と宗教意識

   文化庁の宗教年鑑(平成30年版 )によれば、日本には八五三三万人の仏教信徒、八六一七万人の神道信徒、一九二万人のキリスト教徒、その他宗教の信徒七七四万人を合わせ、一億八一一六万人の宗教信者が存在する。つまり、総人口をはるかに上回る宗教信者が存在するということになる。もちろん、これは宗教教団側からの檀家、信徒、氏子を積み上げた申告の累計であり、国民意識において宗教に帰依していると自覚している人の数とは大きなギャップがあり、ここに日本の宗教がおかれた特徴があるといえる。
国民意識の中での宗教に関し、NHKの「国民意識調査」(2018年)をみれば、現代日本人の宗教に関する意識が透けて見える。同調査での「宗教とか信仰とかに関係すると思われることがら」で、「あなたが信じているものは」という問いに対して、複数回答可という条件の中で、「何も信じていない」という回答が三一・八%で、これは一〇年前の二〇〇八年調査の二三・五%に比べ大きく増えており、一九七三年に調査が始まって以来の高い数字となっている。「神」を信じると答えた人は三〇・六%(1978年調査時37・0%)、「仏」を信じる人は三七・八%(78年時44・8%)、「聖書・経典の教え」を信じる人は五・七%(78年時9・3%)という数字の変化は、明らかに宗教教理の受け止められ方が希薄になってきたことを感じさせる。一方で、「奇跡」を信じる人は一四・〇%(78年時14・9%)、「お守り、お札の力」を信じる人は一五・七%(78年時15・8%)、「易・占い」を信じる人は四・六%(78年時8・3%)と、一定の安定的な支持を維持しており、「グッド・ラック宗教」「お守り宗教」とでもいおうか、自分と身内の幸福を願う「招福を期待する心理」は根強く存在し続けていることが分る。
 日本人には宗教性が無いのか、というとそうでもない。山折哲雄は「近代日本人の宗教意識」(岩波書店、1996年)において、「日本人は非宗教的世俗論者ではない」として、「漠然とした無神論的信条と自然の背後に『神』のみじろぎを感ずる鋭敏な無常観が背中合わせになっている」と論じているが、それはかつて寺田寅彦が「天然の無常」(「日本人の自然観」、1935年)と表現した日本人の自然観、「山も川も木も一つ一つが神であり人でもあった」にも通じる納得のいく視界であろう。「神のみじろぎを感ずる鋭敏な無常観」は、潜在意識に置いて時代を超えて日本人に受け継がれていると思われるが、そこにも微妙な変化が起こっていることも直視しなければならない。

 

世代交代の意味―――戦後日本がもたらしたもの

   日本人の価値意識の変化の背後には「世代の入れ替わり」という要素が重く存在している。「日本国民」の既に九割以上がアジア太平洋戦争後の日本を生きた世代になっていることを注視したい。二〇二〇年の初頭の日本において、八〇歳以上が一一三一万人、総人口の九・〇%となっている。八〇歳は一九四〇年(昭和15年)生まれである。つまり、平成が終わった今、明治・大正世代、昭和一桁世代の人口比重は五%を割り、この意味で日本人を構成する中身が変わったのである。それは、「教育勅語」に基づく教育(注:1947年教育基本法公布、1948年教育勅語の排除・失効国会決議))を受けた日本人はほとんどいなくなったということでもある。すなわち、今生きている日本人の圧倒的多数は、戦後民主教育を受け、戦後なる日本の七五年間と並走した存在なのである。
本連載63「明治近代化と日本人の精神」において、明治期日本人の精神を考える素材として、新渡戸稲造の「武士道」に触れた。宗教心が無いかに見える日本人だが、「武士道」に凝縮される価値を身に着けていることを論じた作品で、南部藩士の子として生まれた新渡戸の三七歳の作品であった。江戸期の日本が、幕府の正学とされ、武士階級の知の基軸となった儒学を含む「神仏儒の交渉の時代」であり、「武士道」が書かれた一八九九年の日本には、まだ武士道こそ魂の基軸といえる土壌が残っていた。しかし、現代日本において武士道を語りうる人間はほとんどいない。社会構造の変化が日本人を変えたのである。
 スポーツ・イベントを盛り上げるために、現在も「サムライ・ジャパン」などの勇ましいキャッチフレーズは飛び交うが、儒学・漢籍の素養も「神仏儒」の知見も全く持ち合わせない日本人になっているのである。戦後日本は産業と人口を大都市圏に集積したために、鎮守の森の神社も檀家だった寺も田舎に置いて若者は都会に動いた。「盆暮の里帰り・墓参り」は続いたが、都会生活も二代目、三代目となり、田舎との接点は希薄となり、それは宗教との関係も希薄化させた。三橋美智也、春日八郎、千昌夫、吉幾三などを思い起こしても、一九六〇年代から八〇年代まで、日本の歌謡曲の柱は「田舎と都会の応答歌」であり、都市新中間層は故郷を想いながら都会に生きた。だが、既に両親の住む帰る故郷はなく、過疎化のなかで、全国に七・七万も存在する寺のうち、二万以上の寺に僧侶はいなくなった。「葬式仏教」と「観光仏教」、そして「お祭り神道」「教会結婚式」は生き延びているかにみえるが、教理を心に刻み、人知を超えた大きな宗教的意思に心を配る宗教性は加速度的に失われている。
例 えば、東京を取り巻く国道一六号線に沿って、戦後日本は「団地」「ニュータウン」「マンション群」を建設して首都圏における居住空間を形成した。ここが工業生産力モデル日本を支えたサラリーマン、都市中間層の集積地帯であり、今やこのゾーンが急速に高齢化しているのである。田舎との距離感の変化は宗教との疎遠化にも投影され、「寺じまい」「墓じまい」を加速化させている。大都市部では「死して散骨」は珍しくなくなった。

 

戦後日本人の心の基軸――経済主義の行きづまり

   戦後日本人の中核となった都市新中間層の心の基軸となったものは何だったのであろうか。あえていえば、都市新中間層の宗教ともいえるのが「PHPの思想」(豊かさを通じた幸福と平和)だった。PEACE AND HAPPY THROUGH PROSPERITYは、敗戦の翌年一九四六年に松下電器の創業者・松下幸之助が提起した概念であり、翌年発刊された雑誌PHPの創刊号には政治学者・矢部貞治や詩人・室生犀星が寄稿している。松下のPHPについて、GHQ(進駐軍)に対するカムフラージュ、プロパガンダという見方もあるが、敗戦後の混乱に直面した松下が心に描く理想社会への真摯な思いだったといえよう。

 とくに、GHQからの追放指定を受け、解除嘆願に動いてくれた労働組合への熱い想いが「労使の共存共栄」の基本哲学としてPHPを強調したと感じられる。「労使対決」という戦後日本の新しい対立を克服する概念として、「まずは会社の安定と繁栄が大切」というPHPは定着した。やがて松下幸之助は「経営の神様」といわれるようになり、晩年の松下は「徳行大国日本の使命」を語るようになっていた。また、ものづくり国家日本のシンボルとして、本田宗一郎、SONYの井深大、盛田昭夫などと共に「神格化」される存在となった。現在の日本には、そうした存在の産業人が全くいなくなったことに気付く。
 ひたすら「繁栄」を願う「経済主義」が戦後日本の宗教として、都市中間層に共有されていった。だが、そこには、明治期の日本人が、押し寄せる西洋化と功利主義に対して「武士道」とか「和魂洋才」といって対峙した知的緊張はない。「物量での敗北」と敗戦を総括した日本人は、「敗北を抱きしめて」、アメリカにあこがれ、アメリカの背中を「追いつけ、追い越せ」と走ったのである。そこには米国への懐疑は生まれなかった。
 資本主義と対峙しているかに見えた「社会主義」も、ある意味では形を変えた経済主義であった。階級矛盾の克服にせよ所有と分配の公正にせよ経済関係を重視する視点であり、経済主義において同根であった。

 日本の勤労者世帯可処分所得がピークを迎えたのが一九九七年であったが、以来二二年も経った二〇一九年においても、勤労者への分配は水面下のままである。帰属する会社の社歌を歌う「会社主義」への思い入れは、江戸期の藩へのご奉公にも通じるものであり、それに応えるように「年功序列・終身雇用」のシステムにおいて会社は安定した分配を提供出来た。そうした右肩上がり時代には違和感なく受容されたPHPの思想も、平成の三〇年間で軋みが生じ始めた。会社は右肩上がり分配を保証できなくなり、PHPに共鳴していた勤労者の中核たる都市新中間層も高齢化し、定年を迎え会社を去った。
「経済さえ安定していれば、宗教など希薄でも生きていける」という時代を生きた都市中間層が改めて気づいたことは、経済主義だけでは満たされないものの大切さであり、それは老いと病、そして人間社会を生きる苦悩・煩悩の制御である。そして、「宗教無き時代」を生きる日本人の心の空漠を衝くかのように、カルト的新宗教教団の誘惑と戦前の祭政一致による「国家神道」体制の復活を求める動きが蠢き始めているのである。不安と苛立ちの中で、我々は無明の闇に迷い込んではならない。戦後日本の共同幻想というべき「工業生産力モデル」とそれを支える心の所在地としての「PHP主義」という枠組みは静かに機能不全に陥っている。この先に進む心の再生こそ真の「戦後レジームからの脱却」である。

 

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