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現在地: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 2020年 岩波書店「世界」2020年3月号 脳力のレッスン215特別篇 令和の暁鐘が問いかけるもの ―――(下)日本の内なる再生の基軸

岩波書店「世界」2020年3月号 脳力のレッスン215特別篇 令和の暁鐘が問いかけるもの ―――(下)日本の内なる再生の基軸

 

令和日本の三つのメガトレンドと課題

  

 令和日本の進路に関する大方の議論を集約すると、三つのキーワードに収斂するといえよう。一つは、「アジアダイナミズム」であり、今後二〇年、実質年率六%台の成長を続けると予想されるアジア(除く日本)のGDPは、少なくとも日本の一五倍に達していると推定される。ちなみに、二〇一九年の段階で、日本を除くアジアのGDPは既に日本の四倍となった。日本の貿易総額におけるアジアの比重は現在五割を超しているが、二〇年後には、間違いなく七割に迫っているであろう。また、二〇二〇年代に六千万人の外国からの来訪者を期待し、「観光立国」で活性化を図ろうとする日本にとって、インバウンドの七割がアジアからという実体を直視すれば、四千万人を超すアジアからの来訪者を想定しているわけで、貿易・人流など、あらゆる意味でアジアの成長力を吸収し、日本の新たな前進を実現するという認識に立つ必要がある。そのことが日本に突きつけるものは何か。それはアジアを正視し、相互理解と相互交流の流れを造る覚悟である。その前提として、日本がアジアにとって魅力ある存在たりうるのかという課題がみえてくる。アジア広域を巻き込んだ戦争が終わって七五年を迎える今、中国の強大化と強権化が際立つ今、日本の立ち位置が問われる。
 アジアの国でありながら、日本近現代史はその大半をアングロサクソン同盟で生きたという特色をもつ。一九〇二年から二三年までの「日英同盟」、そして敗戦後の一九五一年から今日までの「日米同盟」を国際関係の基軸としてきた。日本人の多くは、二つの同盟を挟む期間が「戦争から敗戦」という悲惨な迷走期だったため、「アングロサクソン同盟は成功体験」と認識する深層心理がある。つまり、「脱亜入欧米」を基調とし、ご都合主義的にアジアと関わってきた国が、経済的利害でアジアに接近しても、その成果は限られている。何よりも、相互理解の得られる「国造り」が重要である。近代史を省察し、アジアの脅威とならない「非核平和主義」の徹底、民主国家としての政治の透明性、日本モデルと言わしめる産業・技術における先行性・創造性など日本の基軸が求められる。
二つは、「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」であり、産業のみならず社会総体がデータリズム、IoT、AI(人工知能)を積極的に取り込んだ構造転換を真剣に模索せねばならない。GAFAなど巨大IT企業による「デジタル専制」の潮流がみられる今、DXの光と影を直視し、受け身でDXに飲み込まれるのではなく、「人間の顔をしたDX社会」実現という問題意識が大切になる。
「サピエンス全史」以来、構造的歴史認識で発言を続けるイスラエルの歴史学者ユヴァル・ハラリの近著「21Lessons―21世紀人類のための21の思考」も、「あなたが大人になったときには仕事はないかもしれない」として、AIに象徴される情報技術イノベーションが旧来の仕事に代替する時代を予想している。この問題は、一八世紀末の産業革命以来の歴史を振り返っても、IT革命の先駆者T・オライリーが「WTF経済」(邦訳、オライリー・ジャパン社、2019年)において指摘するごとく、「テクノロジーが職を奪う。だが、新しい職種の仕事もふえ、職を殺すが雇用は殺さない」という認識が正しいのであろう。ただ、それには人間の側の主体的関与・努力が重要になる。どんなにコンピュータが進化しても、人間にはコンピュータに課題を与える役割が残る、という考えもある。ただし、冷静に考えれば、課題設定力には人間の側に大きな知の力が求められる。生身の人間の機械を超えた「全体知」が問われるのである。そして、人間が課題設定力を高めなければ、DX社会は「デファクト化、ブラックボックス化」という特質によって人間が機械に振り回される状況をもたらしかねないのである。誰にでも使えるコンピュータになっている、多くの場合は原理も構造も分からぬまま、ある枠組みに受け身で組み込まれているのである。AIの時代の到来は、実は生身の人間としての「脳力」(自分の頭で考える力)を求めるのである。三つは、異次元の高齢化社会を創造的時代へと向かわせる「ジェロントロジー」(高齢化社会工学)である。二〇一九年の新生児は八六・四万人であった。団塊の世代といわれる戦後日本の先頭世代の三分の一であり、少子高齢化が加速している。二〇五〇年には六五歳以上人口が総人口の四割、四千万人に迫り、八〇歳以上が一六〇〇万人、一〇〇歳以上が五三万人と予想される。私は「ジェロントロジー宣言」(NHK新書、2018年)において、ジェロントロジーを「老年学、老人学」と訳すのではなく「高齢化社会工学」として、高齢者の社会参画によって社会を支える力になってもらう構想、制度設計を模索し始めた。日本では六五歳以上の人口を「非生産年齢人口」として括り、高齢化を社会的コスト負担(年金・医療・介護など)の増大としてのみ考えがちである。ここで「生産年齢」という概念が「工業生産力」を前提としたものであることに気付く。
 人口構造の高齢化が問題なのではなく、都市郊外型の高齢化が問題なのだ。戦後日本は工業生産力での復興成長を只管探求したことにより大都市圏に産業と人口を集積させた。その工業生産力モデルを支えた都市新中間層が「都市郊外型の高齢者」となって、都市周辺に集積し始めている。つまり、会社人間としてサラリーマン人生を過ごした高齢者を「社会的コスト」と決めつけるのではなく、社会を支える存在として参画させるプラットフォームを構築することができるかという挑戦がジェロントロジーなのである。おそらく、社会的制度設計を変えていくことが必要となるが、それには工業生産力モデルの優等生として疾走した戦後日本型社会を再考することが必要になる。

 


令和日本の基本テーマ―――工業生産力モデルからの進化

   日本人は何でメシを食べていくのか。いかなる時代でもこれが基本テーマとなる。そこで、確認してきた三つのメガトレンドが示す令和日本のベクトルを一つの焦点に収斂させるならば、日本人はこれまで常識としてきた日本の生業に関する固定観念を疑い、日本社会の基軸を再構築することが求められていることに気付く。
 日本の生業(なりわい)、つまり産業の基本性格は、工業生産力モデルに立つ通商国家である。第二次大戦以前も一定の工業化を進めていた日本であるが、厳密な意味では日本の基本産業は農業であった。戦後という時代が始まっても、一九五〇年の就業人口の四九%は一次産業であり、これが1970年には19%、1990年には7%となり、現在はわずか3%となっている。このパラダイム転換が戦後日本だった。一九五六年の「経済白書」に「もはや『戦後』ではない・・今後の成長は近代化によって支えられる」という表現が登場してからの約三〇年間が、奇跡の成長の時代であった。ここでいう「近代化」とは技術革新による産業の近代化、すなわち「機械工業主軸の産業構成と発展」を意味していた。外貨を稼ぐ鉄鋼、エレクトロニクス、自動車などの輸出産業を育て、原材料を効率的に輸入して加工貿易を行う「通商国家」として生きる「工業生産力モデル」を目指したのである。こうした路線を生きた日本の暗黙の国民目標を象徴する論稿が、一九六四年の国際政治学者・高坂正堯の「海洋国家日本の構想」だったといえる。七つの海を越えて、「東洋でも西洋でもない立場に通商国家として生きる」ことが戦後日本のコンセンサスであった。
 工業生産力モデルの成立を示す象徴的数字が粗鋼生産量の推移である。一九四六年に五六万トンにすぎなかった粗鋼生産は、一九五〇年に四八四万トン、一九六〇年に二二一四万トン、一九七〇年には九三三二万トン、二〇〇七年に一・二億トンでピークを迎えるが、その後はほとんど横ばいとなっている。
「工業生産力モデル」の成功とその代償というべきか、戦後日本は「生産性の低い農業は切り捨て、食べ物は海外から買った方が効率的」という国を造ってしまった。その結果、一九六〇年度に七九%だった食料自給率(カロリー・ベース)は、二〇一八年度には三七%となった。この食料自給率は、一九九〇年に四八%と五割を割り込んだが、この一九六〇年代からの三〇年間こそ「工業生産力モデルの探求期」だったのである。
戦後世界の通商環境の「自由化」という流れにのって、工業生産力で豊かな国を実現するために日本は走った。だが、気が付けば、世界にも稀な食料自給率の低い国になっていた。ちなみに、米国とフランスの食料自給率は約一三〇%、ドイツはこのところ自給率向上を図って九五%に、先進国の中で日本の次に低いとされる英国でも約六五%である。日本は異様なまでに「食」の足元の弱い国なのである。
 令和日本は、この工業生産力モデルを再考し、賢く「食と農の再建」を図らねばならないであろう。TPP協定(環太平洋パートナーシップ)と日欧EPA(経済連携協定)に参加し、米国との新たな貿易協定に踏み込むという「自由化」の流れを受け入れ、食料自給率はさらに低下するであろう。既に、日本のEPAカバー率は三六・七%(2018年、JETRO調)になった。農水省は「地産地消」などを柱とする「FOOD ACTION NIPPON」を推進して二〇二〇年度までに食料自給率を五〇%とする目標を掲げていたが、達成は非現実的である。「自由化政策」を含め、すべての日本の経済政策は「工業生産力にとって望ましい政策」
を志向しているといえる。輸出産業にとって「為替は円安がいい」という思い込みが働くが、食料を七・二兆円、鉱物性燃料を一七・〇兆円(2019年)も海外から輸入する日本にとって、円安のマイナス面もあり、次なる時代を睨んだ賢明な判断が要る。思えば、日本が円という単位の通貨を採用したのが明治三年で、スタート時は1ドル=1円であった。戦争に入る1年前の一九四〇年、実勢レートは一ドル=二円であった。敗戦後、一九四九年のドッジ・ラインで一ドル=三六〇円の単一レートとなった。敗戦は、日本の通貨の価値を一八〇分の一に圧縮したともいえる。その後、一九七一年のニクソンショック、八五年のプラザ合意などを経て円高基調へと向かい、現在一ドル=一一〇円前後を動いているが、二桁のデノミでも実行しない限り、原点から考えれば、極端な円安になったままともいえる
工業生産力モデルを追求するため、先述のごとく戦後日本は産業と人口を大都市圏に集積させ、食の海外依存を高めた。その結果、東京と大阪の食料自給率は一%、神奈川は二%、愛知は一二%という特殊な都市空間を生み出した。そして、「食べものは買って食うもの」として生きてきたサラリーマン群が、高齢者となって都市郊外に集積している。これらの層を農業従事者に招き入れることは難しいが、食と農への意識を変え、農耕放棄地を活用する生産システムに応分に参画し、食を支える関係人口としていくことは可能である。例えば、鶏卵のカロリーベース自給率は一三%であるが、重量ベースでは九五%であり、鶏が食べる飼料穀物を農耕放棄地で作り、鶏に与えるシステムが形成されれば、「自由化」の流れの中でも自給率は上げうるのである。
日本の農業基盤を再建すべき時代に向かいつつあることを思い知らされたのが、昨年日本を襲った自然災害であった。我々は異常気象で想定外の雨が降ったと受け止めがちである。もちろん、そうした要素も大きいが、台風一九号による被災地を注視すると、阿武隈川、千曲川、多摩川など、上流・流域における山林・農地の疲弊によって、水を制御する「保水力」「治水力」が虚弱化していることも指摘されねばならない。食を海外に依存し、自給率を下げる過程で、日本は農耕放棄地を四二万ヘクタールにまで拡大した。山林も疲弊し、このことが自然災害を増幅させているのである。
 六一億人で二一世紀を迎えた世界人口は既に七七億人を超し、二〇五〇年には九八億人になると国連は予測している。二一世紀の間に人口は倍増、一二〇億人を超すといわれる。「人口爆発」は食料問題(量と配分の問題)に直結する。また、地球規模の気候変動は「食と農」に防災力を求めている。日本はファンダメンタルズに還り、「食と農の再生」に立ち返ることから日本の再生を図るべきである。人類史は「狩猟採集社会」から「農業社会」、そして「工業社会」、さらに「情報社会」と一直線に進化するものではない。いかなる時代でも、人間は食べずには生きていけない。生身の人間の身体性を視界に入れた社会を構想する時、「食と農」は基盤であり、日本は「食と農」の安定を取り戻し、産業構造の重心を下げることに動き始めるべきである。
工業生産力モデルを否定し、農耕社会に戻ることを論じているのではない。工業生産力は日本産業の基盤であり、宝である。むしろ、この工業生産力で蓄積した技術、さらに新たなデジタル・トランスフォーメーションのなかで躍動しているAI技術なども食と農分野に取り込んで、廃棄する食の無駄を抑え、バランスのとれた産業社会を創造しようというものである。食と農に真摯に向き合うことは、生命とは何かを考えることにつながり、人間らしい社会の厚みを増すのである。

 

 

令和の隠されたアジェンダ―――「国家神道」の制御と民主主義の定着

  「令和」という年号が漢籍ではなく万葉集に拠って決められたことが強調されるところに、令和の運命が暗示されている。つまり、「からごころ」から「やまとごころ」だという心理の投影で、中国の台頭という圧力を意識した選択なのである。「令和」の典拠となった八世紀の梅花の宴を催した大伴旅人の心を「平和ならしめよという天の令」と捉えるならば、日本人は令和なる時代に「おおらかな調和」を求めなければならない。それ故に、令和日本の隠されたアジェンダは偏狭なナショナリズムの制御であり、復権を試みる国家神道を、令和を生きる日本人が「民主主義」に立って抑制できるかにかかっている。
確認したいのは「神道」を問題視しているのではなく、国家権力と結び付けられた明治期の特異な「国家神道」を問題としていることである。日本人に根付いている神社神道については、故郷の山を敬愛し、地域の氏神様を礼拝するごとく、深く共感するものがある。ただ、一神教的な思い入れで他宗教を排除し、「神の国」という過剰な選民意識でアジアに関わった日本近代史の教訓を踏まえることなく、日本の未来は語れないのである。
敗戦直後の一九四五年一二月一五日、連合国軍最高司令部(GHQ)より日本政府に対して出された「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(神道指令)において、「国家神道」(STATE SHINTO)が、戦争に至った日本の「国体」を形成した中核概念であることが示された。侵略思想の神話的カムフラージュ、軍国主義の思想的信仰的支柱として機能したのが「国家と神道の結合」であるとして、国家と神道の分離を指示したのである。これを受容し、基軸としての「日本国憲法」に投影したのが戦後日本であった。
 安倍政権によって、この基盤が静かに突き崩されつつある。「憲法改正」が提起され、憲法九条、自衛隊の明記が入り口の論点とされているが、真の論点は「国体」であり、戦後民主主義への評価である。国家神道への不気味な誘惑が動き始めている。それは日本の行き詰まり感を背景に「ニッポン」を連呼するナショナリズムの高揚を土壌に忍び寄っている。日本のナショナリズムは、日本だけを讃える愛国心ではなく、アジアとの共鳴を持ったナショナリズムでなければならないはずだ。自民党憲法改正草案(2012年4月)を読むと、改正第1条「天皇は日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は日本国民の総意に基く」とあり、現行の日本国憲法の第一条が「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」という所謂「象徴天皇制」を大きく変更する案となっている。自民党の草案でも「国民主権」を規定しており、「統治権を総攬する」明治憲法下の天皇とは異なるが、「元首」と明記することが「統治権」や「行政権」における天皇の役割を拡大する「天皇制の政治化」に道を開くことになりかねない。戦前の「国体」への回帰を願望する意図が投影された改正案といえる。
また、教育勅語を擁護し復権させる安倍政権下の「閣議決定」(2018年3月)は、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることは否定されるべきでない」とされるが、教育勅語における「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ恭倹己レヲ持シ・・・」という徳目が時代を超えた普遍的価値とされるにもせよ、教育勅語の本質が国家神道に立ち「主権在君」で「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」というものであったことを厳しく省察しなければならない。そのことが視野狭窄な「選民意識」に立ったアジアとの緊張(緩急)を触発し、日本を不幸な敗戦という悲劇に導いたことを忘れてはならないはずだ。
 明治期の国家神道による統治体制の二つの柱が「大日本帝国憲法」と「教育勅語」であった。国家神道に基づく天皇を中核とする「祭政一致」の絶対天皇制は、天皇制の長い歴史の中でも特異な体制であり、むしろ象徴天皇制のほうが、「権力」よりも国民との信頼関係に立つ「権威」として、本来の天皇制といえるであろう。明仁上皇、そして今上天皇と、天皇家が「日本国憲法に基づく象徴天皇制」への想い入れの強い発言をしておられることは、「象徴天皇制を安定的に定着させること」にとって筋の通った姿勢といえよう。
「戦後民主主義の教科書」ともいわれる「日本の思想」(岩波新書、1961年)において、丸山眞男は「明治日本の機軸」としての「国体」の創出に関して、興味深い事実に言及している。明治憲法制定の立役者たる伊藤博文は、明治二一年六月に枢密院議長として「帝国憲法制定の根本精神」について、次のような発言をしていたという。――「仏教は・・・今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すと雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し」という認識に立ち、「我国に在て機軸とすべきは、独り皇室にあるのみ。是を以て此の憲法草案に於ては専ら意を此点に用い君権を尊重」として、「主権在君」の国体を構想した意図を明らかにしている。
ただし、伊藤博文が単なる天皇親政主義者だったというわけではない。国家神道をもって天皇の権威を固め、政治権力の中核に天皇を置きながら、一方で、近代国家としての「国家制度」を造りあげようとした。内閣制度の発足(1885年)、天皇の政治活動を支えるための枢密院を創設し初代議長に就任(1888年)、立憲主義に立つ大日本帝国憲法発布(1889年)と、世界に向き合うための国家としての体制を整えていった。
国家神道で美装した絶対天皇制を政治権力の中核とし、「元首」としての天皇を取り巻く政治力学が、結果として巨大な「無責任の体系」を生み出した。例えば、天皇が軍事における「統帥権」を持つという建前が、軍部による政治の攪乱(統帥権干犯問題)を引き起こしたのである。主権を持つ天皇を利用し合う権力闘争が皮肉にも「誰も責任を持たない」構造がもたらされたのである。
今再び、天皇を元首とし、教育勅語を賛美する流れを作ることは何をもたらすのか。軍隊への指揮・命令権を「統帥権」と呼ぶが、戦前の日本では天皇がこの権限を有し、一般国務より優越する形で、実体的には軍部が政治を支配していく導線となった。戦後は「文民統制」として、内閣の行政権の中に自衛隊への指揮命令権もあるが、もし、「天皇親政」の祭政一致国家を目指す勢力が自衛隊の一部に浸透し、代議制民主主義の堕落と政府の国家指導力の貧困に幻滅するに到ったならば、「二・二六事件」のような軍事クーデターが起こる可能性も無いとは言えないのである。
 戦後のある時代までの政治家は、その恐ろしさを記憶していた。自衛隊の現状を見る限り、そうした危険性はないとみるのが常識だが、憲法に明記され役割意識が肥大化するながれが造られれば、「緩急」あれば銃口を握っている存在の圧力が増すことを忘れてはならないのである。
 令和を迎え、天皇の即位に関する一連の儀式に置いて、宮中祭祀は神道色を際立たせる形式がとられ、仏教の僧侶などが即位関連の宮中式典に参列して祝意を示すことはなかった。江戸期の天皇家は仏教徒の側面も持ち、後水尾天皇から孝明天皇まで京都東山の泉涌寺に陵墓が創られ、菩提寺としての役割が果たされてきた。明治期の国家神道に基づく「廃仏毀釈」によって仏教は退けられ、「日本国憲法」下の今日においても、天皇家と仏教の間には距離がとられたままである。今回の即位に関わる「奈良・京都訪問」においても、「4代前の天皇への報告」という説明で、孝明天皇陵への参拝は意味づけられていたが、仏教色は極端に抑制されていた。
 戦後の日本は、先述のごとく「工業生産力モデル」を探求したことで進行した都市化の中で、団地、ニュータウン、マンション群という宗教性のない空間を造り、宗教性の希薄な都市中間層を大量に生み出してきた。これらの人達にとって、「国家神道」の復権がもたらす危険といっても、視界に入らないといえる。そうした間隙を衝いて、歪んだナショナリズムが手招きしている。令和日本がアジアと正対するためにも、戦前回帰を志向する日本ではまずい。象徴天皇制を着実に根付かせる努力が求められる。
 昨年十一月二九日、秋篠宮殿下は五四歳の誕生日記者会見において、再び「大嘗祭への国費投入は疑問」との発言をされた。国家神道と一線を画す「日本国憲法」下の宮中祭祀の在り方に関し、殿下が的確な問題意識を有しておられることが理解できる。
 令和日本の暁鐘を聞きながら、内政・外交の基軸において、改めて日本人の英知が求められていることを痛感する。それは戦後民主主義が、「与えられた民主主義」を脱してどこまで根付いたかが問われているということであり、「国民の考える力」が試されているのである。

 

 

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