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岩波書店「世界」2016年7月号 脳力のレッスン171特別篇 東日本大震災から五年―覚醒して本当に議論すべきこと

 東日本大震災から五年が過ぎた。ようやく、冷静にあの震災の意味を総括できる局面が来たと思い始めていたら、熊本での震災に襲われ、震災列島に住む日本人として改めて深く考えさせられている。わずか五年前のことである。我々日本人は、あの3・11が突きつけた問題を早くも忘れ、「アベノミクスで株が上がれば結構」程度の自堕落な感覚で生きているのではないのか。簡単に忘れてはならないことがある。

 

 

3.11の衝撃と思考の再起動

 

 

 3・11の激震に襲われた時、私は新幹線の中にいた。関西に向かう新幹線で、品川を出た直後であり、五時間半も閉じ込められた。この時のことは、『世界を知る力――日本創生編』(PHP新書、二〇一一年)に書いたが、不思議な偶然で、この時、カバンの中に親鸞に関する本を三冊持っていた。東本願寺からの依頼で、この年の五月に予定されていた「親鸞聖人七五〇回御遠忌讃仰行事」の記念講演として「今を生きる親鸞」という話をする予定があり、親鸞関連の本を読みこんでいたのだ。車内での五時間半、私は腹を据えて親鸞の本を奇妙に落ち着いた気持ちで読んでいた。

 外部から遮断された孤独な時間が流れ、しばらくすると水と乾パンが配られた。車掌に状況説明を求めて詰め寄る声も聞こえたが、私には親鸞のいう「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」が腑に落ちる気がした。大災害に直面した瞬間、人間社会における関係性はフラットになる。組織社会における上司・部下などの階層関係、社会における「貴賤」、社会通念における「善人・悪人」など、一瞬にして意味を失い、一人の人間として生きなければならなくなる。

 

「避難所」に身を寄せた人も、「帰宅難民」となって座り込んだ人も、群衆の一人として生きなければならない。つまり、虚飾や依存を捨てて自らの生き抜く力だけに向き合うことになる。その時、根源的問いかけが浮かんでくる。自分たちが作ってきた社会の意味とは何か、そして本当に守るべきものとは何なのか。

 脳震盪を起こしかねない衝撃の中で、本誌『世界』は二〇一一年五月号で「生きよう!」と叫ぶ特集を組んで「深い悲しみと巨きな不安」を伝える特別編集号を発行した。その号で、今は亡き鶴見俊輔は事態を「日本文明の蹉跌だけでなく、世界文明の蹉跌」と語り、大江健三郎は「私たちは犠牲者に見つめられている」として「狂気を生き延びる道」という言葉で結ぶ論稿を寄せていた。同じ号に、私も「脳力のレッスン109」として「東日本大震災の衝撃を受け止めて――近代主義者の覚悟」という論稿を、3・11から二週間という時点で書いた。「原子力からの脱出」を軸とする『世界』誌の論調の中で、原子力の技術基盤の維持の重要性を主張する私の論稿は違和感をもって受け止められたと思うが、戦後日本の産業の現場で生きてきた人間として、簡単に宗旨替えをして「近代主義」を否定する立場に豹変する気持ちはなかった。

 

無論、原子力推進論者ではないが、コペルニクス的転回以降の近代科学技術の本質を熟慮し、世界エネルギー戦略における日本の貢献・参画を視界に入れた場合、原子力の専門的技術基盤の蓄積は重要だという立場での発言をした。五年たって、現状を踏まえて、今どう考えるかは、後述したい。

結局、東日本大震災の死者は一五八九四人、行方不明者は二五六一人、関連死は三四一〇人、合計二一八六五人が犠牲(二〇一六年一〇日現在)となった。しかも、単なる地震・津波の被害というだけでなく、福島原子力発電所のメルトダウンという事故により、「避難民」という形で故郷を離れざるをえなくなっている人が今も一六・五万人(福島だけで九・三万人)という異次元の災禍をもたらした。

3・11体験は、「日本は原発事故も収束させられない国なのか」という失望と屈辱を体験する事態でもあった。愁嘆場になればことの本質がみえるわけで、日本国自体が「破綻国家」といえるような混乱に直面した。菅直人政権の原子力事故への対応能力の欠落は、同盟国米国の不信を極限まで高め、「日本だけで福島を収束させられないのなら、世界に与える被害を考え、米国が日本を再占領しても、特別部隊を投入して事態を制御せねばならない」という判断をワシントンがする寸前にまで至っていた。

表面的には「トモダチ作戦」として、米国が友情をもって駆けつけてくれたことになっている。三月一三日から四月五日まで、宮城県北部の沖に空母ロナルド・レーガンを派遣して支援物資をヘリコプターで運んだ。また在沖縄の海兵隊二二〇〇人が艦船三隻に分乗して三陸沖に展開、支援物資空輸、電力復旧、がれき撤去などに当たった。トモダチ作戦によって、米軍は艦船二四隻、航空機一八九機、兵員延べ二・五万人が救援活動に参加したと発表されている。

 

だが、注意深くその活動を見るならば、福島には一切入っていないことに気付く。理由はいうまでもなく、福島事故の深刻さを知っていたからである。

屈辱的なことだが、日本という国家が自らを制御できない事態に至り、首相官邸に米国の原子力規制委員会の専門家を受け入れていた。この間のことはD・ロックバウム他憂慮する科学者同盟『実録FUKUSHIMA――アメリカも震撼させた核災害』(岩波書店、二〇一五年)、木村英昭『官邸の一〇〇時間――検証福島原発事故』(岩波書店、二〇一二年)などが参考になる。日本は「軽度の破綻国家」として当事者能力を喪失していたのである。

 私も大きな衝撃の中で、本質から目を逸らさず、再生の筋道を模索せねばとの思いで、本誌での連載で論究を続けた。前記「衝撃を受け止めて」(二〇一一年五月号)の後、「震災考」(同六月号)、「復興への視座」(同七月号)、「原子力をどう位置づけるのか」(同八月号)、「戦後日本と原子力」(二〇一二年六月号)と、必死に思考の再起動を図っていた。この間、宮城県震災復興会議や経産省の総合資源エネルギー調査会への参加などを通じ、復興と日本の選択に関して解析・発言も続けてきた(注 これらの論稿は『リベラル再生の基軸――脳力のレッスンⅣ』〔岩波書店、二〇一四年〕に所収)。

 

 

 

この五年で何が変わったのか

 

  

 あれから五年、日本の何が変わったのであろうか。

第一に、日本の人口構造が変化した。人口減と高齢化が加速し始めた。岩手、宮城、福島という被災三県の人口は、震災前の二〇一〇年に五七一万人だったが、二〇一五年には一九万人減って五五二万人となった。三・三%の減少であり、この間の全国の人口減九五万人(〇・七%減)に比べても、人口減は顕著である。日本の人口は二〇〇八年に既にピークアウトしていたが、東日本大震災は人口減少社会を一気に顕在化させ、とくに東北の人口減を決定づけた。この五年間での全国九五万人の人口減とは和歌山県、もしくは香川県の総人口が消えたことを意味し、被災三県の一九万人減は甲府や松江級の都市が消えたことを意味するのである。

 

 また、この五年間が人口構造の高齢化を加速させたことも視界に入れねばならない。戦後生まれの先頭世代たる「団塊の世代」が、五年ですべて高齢者ゾーンに入ったためである。二〇一〇年に二三%だった六五歳人口比重は、二〇一五年には二七%となり、「人口の三分の一が高齢者によって占められる日本」の現実味を突き付けてきた。五〇年前の一九六六年、日本の人口が一億人を超した年、人口に占める六五歳以上の人口の比重はわずか七%であった。それが三割を超す「超高齢化社会」に向けて、日本はその入口に入ったのである。

第二に、復旧・復興の皮肉な現実としての被災三県の県内総生産の拡大とその歪んだ構造を指摘しておきたい。実は、不可解なことが進行している。全国の経済活動(生産、所得)が低迷する中で、被災三県の県内総生産や県民所得は、統計上驚くほど伸びているのである。県民所得は二〇一〇年度の被災三県の合計一四・〇兆円が一三年度には一五・六兆円にまで一一%も伸びている。復興需要である。産業別の県内総生産の動きをみると、第二次産業だけが、三県とも突出した伸びとなっており、とりわけ建設業だけが二〇一〇年度比で二〇一三年度が岩手県一〇七%増、宮城県一二〇%増、福島県一一三%増となっており、復興予算の投入というカンフル注射で、表面的には経済が活性化しているようにみえるが、長い目で見た産業創成は全く進まない歪んだ形の地域経済になってきているのである。

 国の復興予算をみると、二〇一一年度から一五年度の累計で実に三二・〇兆円が投入された。国民はその財源確保のため、復興特別税として二〇一五年までに累計一・九兆円を追加的に負担している。復興特別所得税として所得税額の二・一%が付加され、それは二〇三七年度まで今後も二〇年継続されるのである。復興特別法人税は一五年三月で終了した。それほどまでの復興予算を注入して、復旧復興は進んだのかというと、前述のごとく表面統計を見ると、建設需要だけを拡大させて経済が伸びているようにみえる。しかし、踏み込んで凝視するならば、大きな問題に気付く。復興予算の投入で、県別・市町村別の復旧・復興計画は進んでいるかに見える。がれき処理、住宅の高台移転、堤防の嵩上げなどは順調に進捗しているという数字が確認できる。だが、視界を東北全域に広げると、いまだに広域東北をいかなる産業基盤で再建するかの構想・グランドデザインは描けていない。

 

 復興庁まで創設し、復興を束ねているかに見えるが、後藤新平を持ち出すまでもなく、関東大震災に立ち向かった世代と対比しても、我々の時代の構想力は劣弱である。国交省によって「国土形成計画」が二〇一四年には策定され、私自身も作業に参画し、人口減社会を睨んだ「コンパクト・アンド・ネットワーク」を志向する国土形成という方向感が示され、東北ブロックの広域地方計画も策定された。

国土政策という視点からの「対流促進型のインフラ整備」を進めるという視界は的確だと思うが、人口減を加速させる広域東北を如何なる産業基盤をもった地域にするのか、もっといえばこの地域に生きる人たちはどうやってメシを食うのかについての、産業政策的戦略はまだ見えない。

 3・11から五年を受けたメディア報道は、相変わらずの「被災地と寄り添う報道」を繰り返し、涙目で人間ドラマを伝え続けた。悪くはない。だが、構造を問わねば復興は前に進まないのである。また、五年前はいわゆる「3・11本」という出版物が相次いで出版され、誰もが戦後日本の在り方を再考する論点に真摯に向き合っていた。朝日新聞のオピニオン面掲載の識者八〇人による「3・11後ニッポンの論点」(朝日新聞、二〇一一年)などがその典型であり、あの頃の日本人の心理を象徴する論調が確認できる。だが、出版業界にいる友人の言葉によれば「三・一一本はもう流行らない」のだという。流行っているのは「FINTECH」など投資指南・金融技術物だという。

 

 

五年間で迷い込んだ隘路ーーー間違った路線への傾斜

  

 

 震災に立ち尽くしてわずか一年半、政治とりわけ民主党政権への失望と息苦しさの中で、日本人は「やっぱり経済だ」という意識に回帰し、「デフレからの脱却」というメッセージを掲げる「リフレ経済学の誘惑」に引き込まれ始めた。異次元金融緩和はアベノミクスが始まってからと思われがちだが、米国FRBQE3をモデルとする「量的緩和」は民主党政権下でも動き始めていた。日銀のマネタリーベースは二〇一〇年平均の九八兆円から二〇一二年平均で一二一兆円にまで拡大しており、それを黒田日銀は二〇一六年四月現在三八一兆円にまで肥大化させたわけである。市中の資金量を四倍にしたわけで、尋常な話ではない。

この間、東京株式市場の日経平均は、「円安」をテコにした外国人投資家の買いを柱として、二〇一〇年平均の一〇〇一〇円から二〇一五年平均の一九二〇四円にまで一・九倍に跳ね上がり、「株が上ってめでたい症候群」といわれる浮薄な空気に覆われることになった。だが、実体経済は動かない。マネタリーベースは四倍になったのに、銀行の貸出残高は二〇一〇年の三九六兆円から二〇一五年の四二六兆円と約八%弱増えたにすぎない。資金需要がないからである。より重要な視点は「国民は豊かになっているのか」という点であり、経済は「経世済民」で民に視点を置くことが肝要なのであるが、勤労者世帯可処分所得は、二〇一〇年の月額四三・〇万円から二〇一五年の四二・七万円と、むしろ減っているのである。

 

アベノミクスの結末は明らかである。金融政策だけで実体経済は浮上しないということであり、国民は豊かになっていないという現実である。3・11直後の「戦後日本の在り方を省察する」という視座は、重苦しい閉塞感に堪え切れず、「デフレからの脱却と円安誘導」という誘惑に引き寄せられ、中央銀行の金融緩和と財政出動で経済が好転するという幻惑に巻き込まれてきた。しかし、構造改革と産業と技術を重視する具体的プロジェクトの実行しか、経済を成長させる戦略はないのである。

次に、この五年間に日本が迷い込んだのが「戦後民主主義」の挫折と国権主義への回帰である。関東大震災は大正デモクラシーの息の根を止めたといわれる。一九二三年九月一日、相模湾を震源とする関東大震災が発生、政党政治の迷走とそれへの失望感が「挙国一致内閣」として山本権兵衛に組閣の大命が降った直後の震災であった。一九一七年のロシア革命、一九一九年の朝鮮半島での三・一朝鮮独立運動などを背景に、不安を深めた政府は一九二五年に「治安維持法」を制定、「国体の変革、または私有財産制度の否認を目的とする結社の禁止」に踏み込んだが、これは後に、反体制的文化運動・宗教運動をも圧殺する基盤となった。日清・日露戦争を経て、一九一〇年の日韓併合、さらに日英同盟に基づく集団的自衛権の行使を理由に第一次大戦に参戦して、新手の植民地帝国としての性格を露わにし始めていた日本は、国威発揚的誘惑の中で、揺籃期の民主主義を否定したのである。

 

 時流れて約九〇年、東日本大震災は戦後民主主義の息の根を止めかねない情勢にある。「絆と連帯」を叫ぶ心理は秩序への希求となり、混迷から生まれる無気力と不安は力への誘惑を招く。国際環境も不安を増幅している。「イラクの失敗」以降の米国の求心力低下を受けて、ユーラシアの秩序基盤は融解し、東アジアも新しい緊張局面に入っている。日中韓も相互の自己主張を強め、ナショナリズムを政権浮揚の素材とする誘惑に駆られている。安保法制を進める力学が生まれる土壌がここにある。

 安倍政権が推進してきた「安保法制」は表層観察すれば、「集団的自衛権にまで踏み込んで、日米で連携して中国の脅威を制御する」意図にみえるが、本音は複雑である。米国が日本を守るために中国と戦争をする意思などないことはわかっている。嫌中と対米不信を本音とする屈折したナショナリズム、それが現政権の外交安保政策の基調である。

リトマス紙として対ロシア外交をみればわかる。G7によるロシア制裁が続く中、二〇一五年における日本の化石燃料輸入の八・七%はロシアが占め、二〇一三年の七・四%に比べ、急増している。伊勢志摩サミットの直前(五月六日)にソチで行われた日露首脳会議をみても、「北方四島」「平和条約」さえ俎上にのせようとする蜜月で、安倍政権は単純な親米政権ではないという基軸不明の脆さを内在させている。今こそ従来の固定観念を超えた視界に立ち、日米の真の相互信頼を土台として近隣外交を踏み固める外交論が求められている。

 戦後民主主義の試練は、内外政一体となった視界を持たねば克服できない。憲法を改正して国権主義に回帰させる力は、危機と不安をテコに忍び寄るのである。

  

 五年間で迷い込んだ隘路ーーー間違った路線への傾斜
     

 3・11を振り返る時、避けられないのが原子力の議論である。あれから五年、この間私はウィーンのIAEA(国際原子力機関)に三度足を運び、国際的な原子力の専門家の目線から見た日本の原子力政策についての議論を受け止めてきた。一言でいえば、日本の原子力政策は「あいまい」であり、多くの人たちが奇異な印象を持っている。何よりも、福島の総括報告がなされておらず、あの事故の原因、収束への道筋が明確には説明されていない。国会、民間の事故調査委員会が報告書を出したようになっているが、たとえば、「フル・ターン・キー」で福島の事故サイトを建設した米GE社の製造者責任、つまり津波で全電源が遮断されるリスクの想定や対応などについて、一切の調査も分析もされていない。

 それにもかかわらず、新しい規制基準に照らして再稼働可能なものから順次再稼働を進めている。しかも、国民に対しては「限りなく原子力に依存しないエネルギー社会」という選択も可能という姿勢をみせながら、日米協力で世界に原発を売り込みたいという動きをみせており、あまりに曖昧かつ無責任である。日本の原子力政策のあり方については、前記の『リベラル再生の基軸―――脳力のレッスンⅣ』で語っており繰り返さないが、少なくとも現時点で以下の三点だけは行動を起こすべきである。

・福島事故の原因・現状・教訓に関する誠意ある国際社会への説明をなすべきである。

・原子力に関する国家の責任体制を明確化すべきである。廃炉にも除染にも汚染水処理にも技術が必要であり、個別電力会社では限界がある。非常事態対応体制を含む原子力発電事業の国策統合はフクシマの教訓であるはずである。

・二〇一八年の日米原子力協定の改定にむけて、平和利用だけに原子力を使う非核保有国として「非核のための原子力」(核軍縮と不拡散)への筋道を明示すべきである。

 一方で、「反原発・脱原発」の立場に立つ人たちもその議論を深化させるべき段階である。日本は「米国の核の傘」に守られながら、一方で「脱原発も可能」と考える人も多いが、原子力だけは軍事利用と民生利用が表裏一体になっていることを直視すべきである。日米原子力共同体というべき現実(東芝・WH、日立・GEの連携)をどうするのかを明示することなく「脱原発」は語れないのである。原発の話も外交・安保の話も、結局は「対米関係の再設計」に行き着く。奇しくも、米国の大統領選挙を巡り、D・トランプのような候補者が「駐留米軍経費の日本側負担」や「日本の核武装」に言及している。一九九〇年代初頭のジャパン・バッシャーが「防衛ただ乗り」として日本を批判していた文脈を髣髴とさせる時代遅れの発言であり、米軍基地経費の七割を日本側が負担している構造が現状を固定化させているという事実さえ理解できていないようだが、むしろこれを機に「核抑止力を含む東アジアにおける米軍の前方展開基地と日米同盟の在り方」について根底から議論をするべきであろう。

 そろそろ日米が本当のことを話し合うべき局面なのである。米国の軍事力が緩やかにアジアからも後退する流れの中で、さらにTPPの国内合意形成さえ危ういほど内向する米国と向き合わねばならない状況において、日米関係の再設計は必然である。冷戦を前提とした「日米安保体制」という枠組を見直し、アジアの安定を視界に入れた「基地の段階的縮小、地位協定改定、適正なコスト分担」を実現しなければならない。歴史的に「孤立主義」に回帰するDNAを内在させている米国をアジアから孤立させないための同盟国日本の構想力が問われている。

 

 

 

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