縦社会VS.横社会
ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)
世界には、国や民族によって社会構造に相違があります。日本の社会構造は「縦社会」であり、欧米は「横社会」であると表現されますが、この社会構造は、人間関係に大きな影響を与えています。
縦社会では、一人ひとりの位置付けや役割が決まっていて、上下関係がはっきりしていることから、比較的安定した構造になっています。したがって、想定された出来事については、各自がすべきことをやり、ルールを守るのであれば、上手く進みます。しかし、縦社会では結束力が非常に強い一方で、想定外の出来事に対応する柔軟性に欠けます。
それに対して、横社会は、一人ひとりの位置付けや役割が決まっていても、その状況に応じて変わることがあります。つまり、変化に対応する柔軟性がありますが、安定性に欠けます。会社の組織に上下関係が存在しても、一般的な人間関係は個人と個人の横の関係になります。
そのため、欧米語には、先輩、後輩という言葉が存在しません。また、英語の兄弟・姉妹がbrother・sisterであるように生まれた順番が分からない言語になっており、言語において上下関係を表現することは日本語よりも少ないです。
上下関係については、欧米人が日本語を勉強するうえでとても難しく感じる部分です。それは、欧米の諸言語に丁寧語がないからではなく、丁寧の感覚が違うからです。横社会では、お互いを平等に取り扱うことがルールになっています。もちろん完全な平等ではありません。特に、年齢、性別によって守るべきマナーがあります。しかし、基本的に大人同士は対等なので、丁寧語を使うべき状況であれば、お互いに丁寧語を使います。日本人のように、片方がタメ口で、片方が敬語を使うことは、大人が未成年者と話す場合のみとなります。つまり、欧米人が日本語を正しく使うには、まず縦社会の性質を理解する必要があります。そして、集団における相手と自分の位置付けや立場を理解した後でなければ、敬語を上手に使えるようにはなりません。
また、敬語を使うことは、精神面での問題があります。欧米人は平等主義の横社会で育てられているので、自分に対して敬語が使われると違和感を持つことがあります。特に若者は、自分と年があまり変わらない相手である先輩に対して敬語を使うことを不自然に感じます。そのため、敬語をあまり使う気にならないのです。これについては、失礼だと不満を抱く日本人もいると思います。
そこで、欧米人が日本語の言葉遣いを覚えるには、自分と同じ立場の仲間の行動を見て、真似ることが最も簡単な方法です。しかし、慣れるまでは敬語を使うことに対する違和感が続きます。私は先輩に「とにかく、謙遜」と教えてもらったことがあります。この先輩の行動を見ていると、いつも丁寧で、腰の低い態度をとることが分かり、「なるほど」と思いました。このような丁寧な態度は、日本人のマナーの基本なのです。日本人が観光客として世界中で最も評判が良いのは、いつも笑顔で丁寧で、文句を言わないため好かれているのだと感じました。
しかし、相手を立てることができても、今度は相手と対等な立場になることが困難になります。個人を尊重する横社会で育てられた欧米人は、平等の意識を身につけているので、目下の人として取り扱われると軽蔑されていると勘違いしてしまいます。いくら立場が低くても人間として丁寧に取り扱われる権利があると思っているため、違和感を抱きます。この場合、上下関係のことがよく理解できないでいる外国人にとって、日本人は失礼だという印象を持ちます。
個人主義が根付いている横社会には、もう一つの特徴があります。上下関係が緩いということにより、個人的な交流を行いやすい環境であるといえます。紹介や推薦がなくても、誰にでも比較的自由に声をかけることができます。また、男女間においてそれぞれ一定の役割が決まっていても、性別にかかわらず皆と交流を図ることができます。それに対して、日本では組織以外の個人的な交流が少なく、男女間でも区別が強いため、男性グループと女性グループがはっきりしています。結果的に、男女間の関係性が希薄になっているところがあります。
私はそのことで困ることがありました。挨拶以外ほとんど話したことがない日本人の男性に「寒いですね」と話しかけたところ、全く返事をしてもらえなかったのです。元々あまり話したことがなかったので、あの男性は「なぜ彼女は僕に話すの?」と戸惑ったのでしょう。同じく、日本の大手企業に勤めている南米人の男性の友達は、社内の女性と仲良く交流していると、間もなく女癖が悪いという噂が広がって大変困ってしまったそうです。その会社では男女間の交流があまりないので、積極的に女性と話すことがナンパと誤解されたようです。
このように、横社会・縦社会という社会構造の違いは、それぞれの育ってきた社会構造が違う人同士が人間関係を築いていく上で、障害となる可能性を持っているため、自分が育ってきた社会構造だけに基づいてものごとを判断してしまうのは危険だといえます。