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岩波書店「世界」2018年12月号 脳力のレッスン200 人類史における宗教の淵源―一七世紀オランダからの視界(その52)

 人間が神仏を創ったのであって、神仏が人間を創ったわけではない。人間が人間たる特質ともいえる「自らの存在の意味を問い掛ける動物」として進化した帰結として、自らを制御する存在としての神仏を創造せざるをえなかったのである。最新の脳科学の進歩を踏まえたスタンフォード大学の精神医学者E・フラー・トリーの「神は脳がつくった」(邦訳、ダイヤモンド社、2018年、原書“EVOLVING BRAINS EMERGING GODS”、2017年)は、こうした認識を確認する上で有効な論稿であり、脳の進化の過程において、人間が神を必要としたことを説得的に検証している、ホモ・サピエンスが、約一〇万年前以降に「自分自身を考える内省能力」を発達させ、約四万年前以降に「自伝的記憶」(自分の死を超えて将来に投影する能力)を獲得し、そうした認知能力の進化が農耕革命、定住革命につながり、「一万年から七〇〇〇年前」の時点で「概念的な神々」を意識するに至ったというのである。
 人間、ホモ・サピエンスの脳は一・五キログラム程度といわれる。この体重の三〇分の一にも満たない脳が人間のエネルギーの四分の一以上を消費するという。「認知革命」を経た人類が約六万年前、アフリカからユーラシアへと移動し、環境に適応しながら生存への旅を続け、約一万年に定住革命を迎えたこと、そして約五〇〇〇年前の人類が実現したシュメル都市文明が生んだシュメル文字の粘土板、その人類最古の文字で描かれた神話には多くの神々が描かれていることについては既に論じた。
 人間はいつ宗教心を持つに至ったのか。人間が人智を超えた「聖なるもの」に魅かれたり、内なる価値に動かされて「回心」する起点は何なのか。そして、二五〇〇年ほど前に、つまりBC五〇〇年頃に今日の世界宗教の中核を占める中東一神教(起源としてのユダヤ教)、仏教(ブッダの誕生)、儒教(孔子の誕生)が、ほぼ機を同じくして誕生したのか。人類史における宗教の意味を再考しておきたい。

 

 

 

宗教の淵源としてのアニミズム(自然崇拝)とフェティシズム(偶像崇拝)

 

 R・ドーキンスの「神は妄想である――宗教との決別」(早川書房、2007年、原書“T
HE GOD DELUSION”、2006)が語る「宗教はストレスを減らすことで寿命を延ばす偽薬である」という見解が真理だとしても、宗教が人間の切なる願望の表象であり、宗教を持つことが人間という動物の特質でもあることを直視しなければならない。   
ここで、重要なのは「宗教とは何か」ということだが、人類は二足歩行と脳の進化を経た「認知革命」の先に「聖なるもの」を設定し、それに頭を垂れることで、自らの精神を制御してきたといえ、宗教の起源は「聖なる事象」への気付きにあるといえる。
 約二〇万年前にアフリカ大陸に登場したホモ・サピエンスが、一〇万年前頃から認知革命の中で「自らを見つめる内省能力」を身に着け始め、約六万年前にユーラシア大陸への「グレート・ジャーニー」と呼ばれる移動を開始したことは既に触れたが、人類は移動を通じて「人間という存在への無力感」を味わい、自然の驚異と偉大さに霊性を感じたのであろう。「太陽の美しさと恵み」「そそり立つ山岳の壁」「一木一草にも命」を感じ
「聖なるものを設定」する心情が高まったであろう。無生物にも「アニマ(ANIMA)」、すなわち霊魂が存在するという信念が、自らを律する心性に芽生えたことは重い一歩であった。人類が自然との対峙・格闘・共生を通じてアニミズム的志向を身に着けていったという視点は、宗教の淵源を考える上で納得のいくものである。
 一九世紀の文化人類学者エドワード・タイラー(1832~1917)は宗教学の先駆的研究ともいえる「原始文化――神話・哲学・宗教・言語・芸術」、(1871年)において―――彼は一七世紀に日本を訪れたケンペルの「日本誌」さえ参照して日本宗教の研究にまで踏み込んでいるのだが――――独自の「宗教進化論」を展開し、宗教は「アニミズム――多神教―― 一神教」と進化してきたという考え方を展開した。一九世紀という時代を背景にした西欧・キリスト教優位の宗教観であり、未開・非文明においてはアニミズムとフェティシズム(偶像崇拝、呪物崇拝)が支配的で、それが多神教へと進化、さらに文明化とともに一神教へと成熟していくという捉え方であった。
 こうした認識の限界は、現代社会にも現存するアニミズムを観察すれば明らかである。アニミズムは未開社会の特質ではなく、時代を超えた人間の特質ともいえるのである。W・ディズニーはネズミに人間の心を持たせて「ミッキーマウス」なる存在を生み出した。世界中の子供はディズニー・アニメに登場する動物に心を寄せ、擬人化して考えている。また、地球環境の保持に関心を抱く人の中には、近代社会を貫く「人間中心主義」の世界観に疑問を抱き、「多様な生物が共生する地球」を希求することを主張するが、これも形を変えたアニミズムといえる。また、現代におけるフェティシズムを直視したい。例えば、商業主義によって増幅されたブランド商品への信奉は凄まじく、これこそ呪物崇拝の延長ともいえる。ブランド製品への選好というレベルを超えて、高額のブランドに執着する「ブランドフェチ」は地上に蔓延している。さらに、芸能の世界における「アイドル」(偶像)なる存在に熱狂する空気こそ、文字通り「偶像崇拝」以外の何ものでもない。アイドル・グループに「神セブン」という言葉が使われたり、「神ってる」という表現が飛び交い、究極の「多神教」状態にあるのが現代社会である。我々自身がアニミズムとフェティシズムを生きているのである。
 改めて、宗教なるものの本質を熟慮するならば、宗教は人間の心における二つの要素の淵源をもつといえる。一つは、ここで論じてきた「聖なるもの」への意識である。そして、もう一つが、心の内なる価値への意識であり、自らを律する規範への目覚めである。そこで、人類史における内面的価値、「道徳の誕生」に関心が向かわざるをえない。南加大学の人類学者クリストファー・ボームは「モラルの起源」(邦訳、白揚社、2014年、原書“MORAL ORIGINS”、2012)において、道徳、良心、利他行動の進化について論じている。彼は「血縁を超えた他者に対する寛大さ(モラル)は、集団内の『黄金律』として、集団を効果的にまとめる上で有効だからという社会的環境によって生まれた」と考え、「およそ一五万年前」のアフリカにおけるホモ・サピエンスにモラルの起源を求めている。但し、人間にだけ道徳性があると考えることは正しくないようだ。霊長類の社会的知能研究の第一人者フランス・ドゥ・ヴァールの「道徳性の起源――ボノボが教えてくれること」(紀伊国屋書店、2014年、原書2013年)は、類人猿ボノボの研究を通じて、「道徳性とは神から押し付けられたものでも、人間の理性から導かれた原理に由来するものではなく、進化の過程で動物が営む社会生活の必然から生じた。相手を思いやり、助け合い、ルールを守り、公平にやるのは動物も人間も同じだ」と論ずる。また、英国の科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドは、「宗教を生み出す本能―――進化論からみたヒトと信仰」(2009年)において、「言語と宗教こそ、人間の学習能力の上に築かれた複雑な文化行為」と述べ、「人は一人で話す、祈るのではなく、共にコミニュケーションすることで納得し、落ち着く」と語る。つまり、「宗教とは、感情に働きかけ、人々を結束させる信念と実践のシステム」であり、社会的関係性の中で、自らの位置を問い掛け、共有できる価値に向き合う視界が生まれると考えるべきなのである。
 つまり、約一万年前とされる定住革命の過程で、人間社会には移動を続ける部族とは異なる次元での共同体が生まれ、近隣の共同体との関係性が生じた。それは、「嫌いな奴とは別れて移動する」ことから、「嫌いな奴とも何とか共存しなければならない」という状況が生まれ、社会の良好な関係を保つための自制心、他者への配慮が必要になった。それは、次回に論及する「世界宗教」の誕生の伏線になったといえる。

   

 

人間が宗教に心を寄せる瞬間―――「回心」とは何か

 

   唐突だが、人間が宗教に心を寄せる瞬間、懐疑的知性が神の存在を意識する瞬間を考察しておきたい。つまり、「回心」である。私自身は宗教者ではないが、世界を動いてきて、世界は宗教から成り立っていることを実感してきた。そして、世界の理解には宗教への理解が不可欠なのである。その意味で、私の体験から話を進めたい。
 私はイスラエルのエルサレムを五回以上訪れ、ユダヤ教の嘆きの壁、キリスト教の聖墳墓教会、イスラム教の岩のドームといった三つの聖地が半径五〇〇メートルの中に存在する旧市街を歩き回った思い出がある。とくに、十字架を背負ったキリストが歩いたゴルゴダの丘への道(ヴィア・ドロローサ)を追体験するごとく二度歩いたことがある。商店が立ち並ぶ細い坂道を登りながら、突然思い出したのが芥川龍之介の「さまよえる猶太人」(1917年6月号「新潮」)であった。ゴルゴダの丘の刑場に二人の盗人とともに曳かれていくキリストを芥川は彼自身のキリスト像を炙り出すように描いている。―――ゴルゴダに向かう細い坂道沿いにその男ヨセフの家があった。十字架を背負わされたキリストは、ヨセフの家の戸口に立ち、しばらく息を入れようと立ち止まった。ヨセフは「多くの人々の手前、司祭たちへの忠義ぶりをみせるため」、キリストに対して「無情にも罵詈を浴びせかけた上で、散々打擲を加えた」―――つまり、群集心理に悪乗りして、キリストを小突き回したのである。その時、キリストが発した一言がヨセフの運命を変えたどころか、人類史を変えたとさえいえる。キリストは何と言ったのか。―――「行けというなら、行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで、待って居れよ」

 キリストという実在の人物が十字架に架けられたのはAC三三年の春だったという。このユダヤ教のラビの一人だった青年が何故、逮捕・処刑されねばならなかったのか。それは、既に当時のパレスチナにおいて確立された秩序の中心にいたユダヤ教指導層には、イエスの運動がユダヤ教指導層への批判を内在させ、イエスをメシア(聖別された救世主)とする運動が盛り上がることを警戒する心理が存在し、支配者であったローマ総督の名の下にイエスの排除を誘導する意図があったことは確かであろう。寄ってたかってイエスを殺してしまったユダヤ人社会に、最後まで「愛」を語り続けていたイエスの人格的印象が鮮烈に蘇り、それが復活の日を信じる心に火をつけたといえる。そして、そのことが一九〇〇年も経った極東の国・日本で、芥川の心にも火をつけたのであり、キリスト者への「回心」といえよう。そして、芥川の作品を想いながら、あのゴルゴダへの坂道で私自身のキリスト理解が一歩深まった瞬間にもつながったのである。
 ところで、「西方の人」「続・西方の人」は芥川が三五歳で自殺する直前、一九二七年に雑誌「改造」に書いた最後の作品であった。「クリスト教は、クリスト自身も実行することのできなかった詩的宗教である」という芥川のキリスト教理解の集約であり、近代日本における批判的知性の代表ともいえ、「クリスト教は畢竟クリストの作った教訓主義的な文藝にすぎない」とまで言い切っている芥川が、それでもキリストを「詩的正義」として愛し、キリスト教へと「回心」していった理由を理解する上で、その転換点を示唆するのが「さまよえる猶太人」である。それは、芥川における個人的体験だが、人間にとって、宗教が心に入る瞬間を示唆している。「西方の人」の書き出しは「わたしはかれこれ十年ばかり前に芸術的にクリスト教―――ことにカトリック教を愛していた」であるが、この十年前に二五歳で書いたのが「さまよえる猶太人」であった。

 

  

 

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