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岩波書店「世界」2018年9月号 脳力のレッスン197 グローバル・ヒストリーへの入口を探って―一七世紀オランダからの視界(その50)

 大英博物館の付近には何軒ものアンティーク店がある。私のロンドン訪問も一九七五年以来、四〇回を超すが、楽しみの一つが、これらの店を覗くことで、これまでも興味深い古地図や中国の青銅板などを手に入れてきた。中でも特に気に入っているのが「シュメルの粘土板」で、小さな粘土板なのだが、そこに書かれた「シュメル文字」は人類最古の文字で、アルファベットの原型ともいわれる。正確にいえば、私が手に入れたのは、ウル第三王朝期(BC2112年~BC2004年)の粘土板で、「王と元号」が書かれているという。約四一〇〇年前の文字を見つめると、人類史への想像力を掻き立てられる。
 人類の足跡が「文字」という形で残される段階以前の「先史時代」に関し、生命科学などの進化が、DNA解析という形での科学的な光を当て始めており、アフリカを起源とする人類のユーラシア大陸への「グレート・ジャーニー」については、前回触れたごとく検証が進んでいる。六万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスが、その後どう生き抜いたのか、私たちとは何者なのかを確認する思考を深めておきたい。

 

 

 

定住革命というパラダイム転換―――移動が常態だった人類史

 

現代人の固定観念というべきか、「狩猟採取社会から農耕社会へ」と人類は「進化」したと考え、定住が当たり前で、そうでない人間は「ジプシー」「放浪者」「難民」「フーテン」、つまり落ち着かない怪しい存在と否定的に捉えがちである。定住を常態とする感覚からすれば、ユーラシア大陸を移動し続けたホモ・サピエンスの動きは不思議に思えるが、「移動」や「「遊動」は人間の本質に関わる要素で、それを通じて人間は進化したといえる。
イスラエルのヘブライ大学の歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、世界的なベストセラーとなった「サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福」(河出書房新社、2016年、原書“SAPIENS:A BRIEF HISTORY OF HUMANKIND”、2011年)において、「サピエンスは、種のほぼ全歴史を通じて狩猟採取民だった。過去二〇〇年は、次第に多くのサピエンスが都市労働者やオフィスワーカーとして日々の糧を手に入れるようになったし、それ以前の一万年間は、ほとんどのサピエンスが農耕を行ったり動物を飼育したりして暮らしていた。だが、こうした年月は、私たちの祖先が狩猟と採集をして過ごした膨大な時間と比べれば、ほんの一瞬にしかすぎない」と述べるが、長い時間軸の中で「人類とは何か」を捉える構造的見方だと思う。
 既に述べたごとく、ヒトとチンパンジーのDNAの差は、個体差を考慮すればわずか一・〇六%にすぎないことが検証された。その一・〇六%の差が、言語や意思疎通に関わるものらしいことが最新の研究で分かりかけているが、正にアフリカに生まれたホモ・サピエンスが、ハラリの表現を借りれば「知恵の木の突然変異」で「認知革命」を起こした。つまり、遺伝子の突然変異で「思考と言語」を覚え、意思疎通を拡充し始めた。
 その認知革命を経た「賢いサル」が突き動かされるように、ユーラシアへと動き、約五万年間にわたり、狩猟・採取をしながら移動と遊動を続けた。そして、新しい環境に適応する行動を通じて、さらに賢くなっていったといえる。
心理学者のT・ズデンドルフは、「現実を生きるサル 空想を語るヒト」(原題“THE GAP”、白揚社、2013年)において、動物と人間の違いを鋭く対比分析し、「ヒトは生きる意味と歴史(過去、未来)を問いかける存在」へと進化してきたという。人類は、そうした問い掛けと思考を通じて、その産物としての「巨大な虚構」たる社会制度と規範を思いつく知を身に着けたのである。
定住までの移動の時代は地球寒冷期であった。農耕と定住の時代を迎えるには、「温暖化」という要素も大きかったと思われる。生態人類学者・西田正規の「人類史の中の定住革命」(講談社学術文庫、2007年、原本「定住革命――遊動と定住の人類史」新潮社、1986年)は、それまでの「農耕栽培の結果として定住を捉える」定説を覆す作品であった。ホモ・サピエンス史に関して、アフリカ単一起源説やユーラシアへの「出アフリカ」が検証される以前の段階で、西田は人類の移動や遊動の積極的な意味を体系的に考察しており、とくに遊動の動機についての社会的側面の解明は説得的であった。つまり、「キャンプ成員間の不和の解消」や「他の集団との緊張から逃れるため」という動機が人類を遊動させた要素の一つというものだが、「不快なものには近づかない」とか「危険であれば逃げていく」という本能が人類を突き動かしたという見方は腑に落ちるものがある。厄介な物には敢えて向き合わないというのが災いを避ける知恵だったというのである。
約一万年前の定住革命によって、人類が失ったものと得たものを冷静に認識する必要がある、約言すれば、移動が人類を賢くし、定住が人類に帰属社会に生きる忍耐と調和を教えたのである。定住によって、民族という意識が芽生え、言語、宗教が生まれた、国家とか社会的制度が起動し始めた。「虚構」といってしまえば確かに虚構なのだが、秩序のための社会制度・規範が生まれた。その虚構を守るために、人間という動物だけが、同一種の中で、仲間を生存欲求(食と性)以外の理由で殺戮する唯一の存在になってしまった。この連載を通じて確認してきたことの一つが、移動と交流による刺激が人間の進歩を促し、文化の創造を触発してきたという事実である。例えば、日本文化の象徴とも思われる江戸期の浮世絵も、実は当時の国際交流を投影し、オランダの銅版画と中国の木版画の技術が触発したものであった。(参照、本連載24「東洲斎写楽はオランダ人か?浮世絵再考」)
 移動と交流がもたらす刺激を考える時、直近の日本人の気掛かりな「内向」に触れておきたい。二〇一七年の外国人入国者は二八六九万人で、二〇〇〇年の五二七万人に比べ、二一世紀に入って五倍以上も増加した。だがその一方で、日本人出国者は二〇一七年に一七八九万人と、二〇〇〇年の一七八二万人からは横這いである。海外留学も含め、世界を体験し、見つめる日本人は全く増えていない。グローバル化などと言われるが、実は日本人の視界はむしろ内向しているのである。

   

 

シュメル神話の衝撃―――最古の都市文明

 

   人類が「定住革命」に踏み込んで約五〇〇〇年が経過したころ、歴史は「沈黙の帳」の中から、その輪郭を目に見える形で示し始める。文字の登場であり、その先駆けがシュメルであった。 現在のイラク南部、チグリス・ユーフラテス川の河口近くの低地が、かつてシュメルといわれた地域である。大河に運ばれた泥土で覆われた地域で、「泥土」が母なる大地であった。この地に約五五〇〇年~四〇〇〇年前(BC3500~2004年)に存在したのが人類最初の都市文明たるシュメル文明であった。
シュメルについての研究が進んだのは、比較的近年に入ってからのことで、特に、第一次大戦が終わって、オスマン帝国が滅亡して中東に欧州が踏み込んで以降のことであった。それまでは古代史はギリシャ・ローマ中心であったが、一九二〇年代になってシュメル遺跡発掘が始まった。大英博物館が一九二二年から考古学者C・L・ウーリーの指揮でウル市の発掘を開始、一九二九年にBC三五〇〇年頃の洪水層を発見した。まだ一〇〇年足らずの研究なのである。
 三笠宮崇仁親王の「文明のあけぼの――古代オリエントの世界」(集英社、2002年)は、一九六七年に「大世界史、ここに歴史はじまる」として文藝春秋社から刊行されたものの改訂版で、日本で「シュメル」が一般に語られた先駆けであろう。一九八〇年代、私が中東での情報活動に動いていた頃、日本では稀少な古代オリエントに関する書物であり、味読したものである。この中で、三笠宮は「旧約聖書」における「創造神話」や「ノアの方舟の洪水神話」の原型がシュメル神話にあることを指摘し、しかもそれが伝承ではなく、粘土板に文字で書かれた物語として残されていることに言及していた。シュメル文字の粘土板――本稿の冒頭、ロンドンでその一片を手に入れたことに触れたが、興味を抱いたきっかけは三笠宮の書であった。
 今世紀に入ってシュメルへの関心も高まり、小林登志子「シュメル――人類最古の文明」(中公新書、2005年)、岡田明子・小林登志子「シュメル神話の世界――粘土板に刻まれた最古のロマン」((中公新書、2008年)などコンパクトな好著が登場し、また「シュメール神話集成」(杉勇訳、ちくま学芸文庫、2015年)や「世界最古の物語――バビロニア、ハッティ、カナアン」(Th・H・ガスター著、矢島文夫訳、2017、原著1952年、平凡社・東洋文庫)など原典の翻訳本も入手容易となった。
 ところで、二〇一六年に話題になった古人類学者G・v・ペッツインガーの「最古の文字なのか?――氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く」(邦訳、文藝春秋社)は、四万年前の氷河期の欧州の洞窟に牛や馬の絵と共に残された記号を分析した報告であり、「文字の起源」についての想像を刺激されるが、あくまで記号であって、文書ではない。
 人類が生み出した「文字」としては、中国の甲骨文字を思い出すが、中国の古代王朝殷(BC1600年頃~BC1046年)の時代に、亀の甲羅や牛の肩甲骨を火に炙り、ひび割れの形状で吉凶を占なっており、そこに刻まれた文字が甲骨文字だが、シュメルの楔形文字はその一〇〇〇年以上も前に登場しているのだ。突然発明されたものではなく、絵文字から次第に変化したもので、楔形文字にも地域差・時間差があるようだが、文字を使った物語(神話)が残されていることが重要なのである。
 キリストの誕生の三千年前の最古の文字で書かれたシュメル神話で、興味深いのが「人間は何故つくられたか」という創世神話である。なんと、シュメル神話では、シュメルの神々が増えたので、「神々は食物を得るために働かねばならなかった」という。そこで、知恵の神エンキ神の母たるナンム女神が息子に「神々がつらい仕事から解放されるように身代わりをつくりなさい」命じたことから、粘土から人間が造られたのだという。中東一神教における絶対神による天地創造とは趣を異にする創生神話である。
よく知られているシュメル神話が「ギルガメッシュ神話」で、典型的な英雄譚である。ギルガメッシュは、三分の二は神で、三分の一は人間という存在で、ウルク市を支配する暴君であった。暴虐なギルガメッシュを抑えるために遣わされた野人エンキドゥと死闘を経て和解、彼を友として、「杉の森」へと遠征し、魔力を持つ森の番人フンババを倒す。さらに、物語はイシュタル女神の求愛を拒絶したギルガメッシュに、女神が逆上して送り込んだ「天牛」の征伐、友人エンキドゥの死、さらに不死を求める旅へと展開する。
シュメル神話には、実に様々な神が登場し、今日の中東が「一神教」たるユダヤ、キリスト、イスラムの地となっているのとは異なり、「多神教」の地であったことが分る。都市国家ごとに、日本の氏神のごとく地域神が存在し、しかも政治的統治者でもあったようだ。
神話は何かを表象しているわけで、日本の神話における「スサノオによるヤマタノオロチ退治」にも共通するメッセージを感じる。ギルガメッシュによる「杉の森」の番人フンババ征伐も、人知による自然への挑戦を象徴するように思われる。
 ギルガメッシュ神話に登場するのが「大洪水伝説」だが、メソポタミアの宿命というべきか、大河の河口にある低地帯を繰り返し襲った大洪水が、この地に住み着いた人達の世界観に「人知を超えた神の怒り」としての大洪水という認識を生み出し、それが「旧約聖書」において、一神教によって修正されて「絶対神による堕落した人間への懲罰」としての大洪水と「ノアの方舟」伝説になっていくのである。
 旧約聖書に登場する「バベルの塔」といわれるものは、古代メソポタミアの都市国家に築かれた「ジッグラド」と呼ばれた山型の神殿を物語の素材とするもので、同類の遺跡が約三〇カ所発見されている。高さは六五メートルから九〇メートル程度だったといわれるが、極端に平坦な土地においては、天にも届くような建造物に見えたであろう。一九八〇年代、バグダッド訪問時に、バベルの塔の遺跡といわれる場所に案内されたが、ユーフラテス河口からバグダッドまで約五六〇KMといわれるのに、標高差はわずかに十メートル足らずという極端に平坦な平原なのである。神話と風土の相関性に興味を惹かれる。シュメル神話に何を見るか。原初の文字で書かれた世界に、定住後の人類の苦闘とその課題が既に描き出されているといえる。

 

  

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