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You are here: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 岩波書店「世界」 脳力のレッスン 2017年 岩波書店「世界」2017年5月号 脳力のレッスン181特別篇 トランプ政権の本質――正対する日本の構想

  トランプ政権がスタートして二カ月が過ぎた。華々しく大統領令を打ち出し、世界を騒擾に巻き込んでいるが、支持率四割台という弱い基盤に立つ政権の危さか、ポピュリズムの誘惑に駆り立てられているともいえ、この政権の限界は既に明らかである。就任演説、議会での予算教書演説、各国要人との面談を通じて見えるトランプのメッセージには、「アメリカ・ファースト」が語られるだけで、「世界をこうしたい」という構想もビジョンも見えない。だが、米国の政治思想史において、トランプに象徴される思潮の根は深い。
 「アメリカ・ファースト」、つまり自国利害中心主義を米国の政治思想史において辿ると、第五代大統領のモンローの「アメリカとヨーロッパの相互不干渉」を基軸とするモンロー主義を想起しがちだが、孤立主義への回帰というよりも、「アメリカはアメリカ人のための国であるべし」という主張において第七代大統領アンドリュー・ジャクソン(1767~1845年)の系譜にあるという見方もあり、「道義的、倫理的にみて人類全般の福祉の向上」に貢献するアメリカの役割を意識しがちな「エリート層」への幻滅と反発と位置づけるべきかもしれない。つまり、この国の深層底流の噴出という面があり、根が深いのだ。
 米国を動くと「それでも、トランプを支持する」という人に出会う。理由を聞くと、「カウボーイ・メンタリティ」とでも言おうか、西部劇のごとく、「悪を懲らしめることはいいことだ」「この町に悪人を入れてはならない」という文脈で、本音を行動に移す保安官を支持する心理である。では「悪とは何か」「悪を無くす構造的対策は」などという視界には至らない思考回路なのだが、「アメリカの基層を形造る本音」でもある。
 自国利害を抑制しても、世界の最大多数の幸福を目指して調整役を果たすのがリーダーの責任であり米国の偉大さの証明と思えるのだが、超大国といわれた米国の統合力が弱まり、国民の苛立ちを背景にした痙攣が起こり、「トランプ政治」を招来しているといえる。

 

 

 

「逆さまの世界」への視界―――記憶の中のトランプ

 

トランプが第四五代米国大統領に就任する三日前、ダボス会議(世界経済フォーラム)に登場した中国の習近平国家主席は「グローバル化は欠陥もあるが、断固として擁護する」と語り、「グローバル化は世界の成長の原動力であり、モノや資本の移動、科学技術、文明や人々の交流を促してきた」として自由貿易にエールを送った。
 一方、就任演説に登壇したトランプ大統領は、「保護主義こそがアメリカ経済を強くする」と語り、新自由主義の総本山としてグローバル化の旗頭だったアメリカが自らその座を降りるシーンを目撃した世界の人々は、狐につままれたように世界が逆さまになるのを感じとった。世界は間違いなく価値が倒錯した時代に入った。
価値倒錯の時代においては、本質的に問われていることを見抜き、自前の羅針盤の再構築が求められる。価値座標混乱の底流にあるものとは何か。トランプを選んだ米国だけではなく、EU離脱を決めた英国をはじめ、選挙の年に入った欧州諸国、オランダ、フランス、ドイツにおいて鋭く問い詰められているのは、「極右勢力」の台頭と単純化することのできない既存の良識や社会理念への懐疑である。つまり、我々が知の構築の過程で、進歩であり理想として探求してきたコスモポリタン的価値を否定する思潮が高まっているのである。国境を超えた交流や連携を重視し、人権・市民的自由・平等・公正な福祉社会の構築を人類の進歩として評価する「ユーロリベラリズム」というべき価値が挑戦を受けているのであり、そうした疑念が「移民の流入」を拒否し、「国境」を重視する論理となって、時代を突き動かし始めたといえよう。
時間の逆回転、歴史の進歩への不遜な反知性主義的挑戦にみえる動きなのだが、「根無し草のグローバリズム」「まやかしの環境保護主義」「偽りのヒューマニズム」など、エリートたちのキレイごとの御託宣に怒る声が共鳴波動となっている感がある。だが、価値座標混乱の時代に惑わされるべきではない。人類史を静かに考察するならば、例えば近現代史における民主主義の歴史を正使すれば、歴史は抑圧や差別などの一時の熱狂を克服し、長い目では必ず条理の側に動くのである。
さて、改めて私の記憶の中にあるドナルド・トランプの話から始めたい。一九八七年から一〇年間、ニューヨーク、ワシントンと米国東海岸で生活した頃、同世代のビジネスマンとして、この人物とも何度か接点があり、記憶の中にこの人物像が鮮明に存在する。このことは昨年十一月号の本連載で「二〇一六年米大統領選挙の深層課題」として書いたが、トランプはビル・クリントンと同じ一九四六年生まれで、日本でいえば「団塊の世代」、アメリカでもベビー・ブーマーズといわれる世代で、第二次大戦後のアメリカと並走した存在と言える。私はクリントン政権のスタートを受けて一九九三年八月号の文藝春秋誌に書いた「アメリカの新しい歌―――クリントンとは何者なのか」で、政治セクターにおけるクリントン、経済セクターにおけるトランプというこの世代のフロントランナーに漂ういかがわしさに触れ、激しい自己主張と他人を否定するエネルギーはあるが、新しい価値を創造する力に欠けるとして疑問を投げかけた。あれから二五年、その結末を見る思いで、トランプ就任を見つめている。
 トランプという人物の人生を貫く信条は簡明である。彼がビジネスを通じて身につけた価値は「ディール」、すべては取引だと考えることである。彼の哲学ともいえるのは、例え不合理であれ、自分の利害・要求をぶつけ、相手がたじろいだところで、落としどころを探るという手法であり、人生のすべてが「ディール」なのである。げんなりさせるほどの自己主張、それがすべての入り口なのである。
七〇歳まで、私益と自分の欲望のためだけに生きてきた好色漢、これまで公益と国益を真摯に考えたこともない男の自己主張を「本音を語る人物」と誤認し、省察もない厚顔な自己顕示を信念を持ったリーダーと錯覚して国家の指導者としてしまった米国は、それがもたらす災禍に苦しむことになるであろう。

 

 

 

歴史の中のトランプ政権

 

 

 わずか八年前、オバマ大統領が就任した時、どこまで期待するかは別にして、黒人初の大統領を就任させたアメリカには感慨を覚えた。黒人、しかもケニアの留学生がハワイの女子学生との間に残した子供が大統領になるという事実に、「可能性とチャンスの国」として「偉大なアメリカ」を感じた人も少なくないはずだ。
オバマの八年とは何だったのか。オバマ政権を生んだのは、「イラクの失敗」と「リーマンショック」であった。イラク戦争に当初から反対していたオバマの「イラクからの撤退」は、イラク戦争後のイラク統治に失敗し、米兵士の犠牲を積み上げ、消耗する米国民にとって説得力があった。また、二〇〇八年大統領選挙の直前に起こったリーマンショックを受けて、「強欲なウォールストリートを縛る」という主張に国民の支持が向かった。
 オバマという大統領は、公約したことには一定の努力をしたといえる。「イラクからの撤退」も実現した。だが、米国の中東におけるプレゼンスの後退を印象付けるイラク、シリアの混乱とスンニ派の過激派勢力を淵源とするISISなるテロ組織の台頭に苛立つ米国民は、イランとの核合意によって「イスラムの核」を抑え込もうとするオバマ政権を「弱腰」とみるに至った。「核なき世界」を語るオバマを「キレイごとの虚弱な指導者」と見る空気が高まっていった。また、リーマンショックの教訓を踏まえ、二〇一〇年には「金融規制改革法」(ドット・フランク法)を成立させ、ウォールストリートを制御しようとする姿勢はみせたが、「FRBの機能強化、ヘッジファンドの透明性向上」程度の内容で、マネーゲームを縛るには程遠く、「ザル法」にすぎないといえるもので、それ故に格差と貧困に怒れる若者たちがサンダース現象を引き起こしたのである。
 オバマへの期待の反動としての失望が高まったとはいえ、オバマ政権の支持率は政権末期でも六割台を維持し、トランプ政権とは比較にならないほど、一定の評価を得ていたといえる。サンダース現象に突き上げられたヒラリー・クリントンの失速と州毎の選挙人積み上げという選挙制度の魔術(総得票はヒラリーの方が実に二八六万票も多かった)で当選したトランプだが、米国政治史を振り返るならば国民心理のバイオリズムが見てとれる。一九七五年のサイゴン陥落の後、ベトナム戦争の挫折に傷ついた米国が選んだのが、ジョージアのピーナツ畑から登場したカーター大統領であった。「癒しのカーター」ともいわれたが、一九七九年のイラン革命を受けて、プレゼンスの低下を意識した米国が登場させたのが強面のレーガン大統領であった。このバイオリズムは、「イラクの失敗」を受けて、理念性の高いオバマを登場させ、その限界と米国の衰退への苛立ちの中でトランプを登場させた今回の大統領選にも通底する。オバマは第二のカーター、「核なき世界」を語り、被爆地広島を訪問した「いい人」に終るかもしれない。
 トランプ政権を楽観視する議論に「レーガンでもやれたじゃないか」という言い方があるが、レーガン期のアメリカにとって英国の首相サッチャーの存在が重かったといえる。冷戦の終焉に向かう局面で、米国の意思を欧州に繋ぐ基点として、さらにはサッチャー革命といわれた「新自由主義」なる政策基調の発信地として、同盟国英国の鉄の女サッチャーは心強い支えであった。BREXITにより欧州への影響力を低下させる英国ではあるが、トランプ政権にとって英国を率いるメイ首相の役割が注目される。

 

 

トランプ政権の本質と方向性

 

  トランプ政権の性格については、本誌二月号で予想の議論として触れたが、その後の就任演説、大統領令、人事布陣において政権の方向性が鮮明になってきた。経済政策に関しては、産業通商政策での保護主義への傾斜と金融政策における規制緩和であり、政策理論的には相矛盾する政策を共存させている。まず、産業政策だが、取り残された白人貧困層の格差と貧困への苛立ちを震源地として成立した政権だけに、TPPからの離脱、NAFTA(北米自由貿易協定)の見直し、国境税の導入など、公約を果たすかのごとく保護主義を際立たせている。
 一方で、金融政策については、オバマ政権がリーマンショックの反省に立って二〇一〇年に成立させた前記の「金融規制改革法」さえ廃止する大統領令を出すなど、ウォールストリートの期待に応えるごとく、規制緩和の動きを見せている。「ウォールストリートの懲りない人々」という言葉があるが、そのしたたかさは際限がない。大統領選挙の最中、「トランプが当選すればアメリカ経済は終りだ」とまで言っていたウォールストリートは、掌を返すように「トランプ相場」を盛り上げ、「トランプも悪くない。インフラ投資一兆ドル、法人税減税(35%から15%へ)大いに結構」と期待先行の株高を誘導し、政権がスタートしていないうちに株価(DOW)を一〇%以上も引き上げる環境造りに動いた。
 極め付きが「金融規制緩和」の動きである。格差と貧困を助長したマネーゲームの肥大化、リーマンショックをもたらしたサブプライムローンに象徴される歪んだ金融ビジネスモデルへの省察から、金融規制改革法(ドッド・フランク法)を成立させたものの、その有効性への疑問から、大統領選中には一九九九年まで存在した「銀行と証券の垣根をつくる」としたグラス・スティーガル法の復活さえ議論されていた。ところが、主要経済閣僚たる財務長官にゴールドマン・サックスのパートナーだったS・ムニューチン、商務長官にウォールストリーの投資家W・ロスを起用、国家経済会議(NEC)委員長にはゴールドマン・サックスのCOOだったゲーリー・コーンと、鮮明なウォールストリート・シフトを見せている。案の定、オバマの金融規制改革法さえ廃止する方針を示し、ウオールストリートの拍手喝采を受けているが、マネーゲームの肥大化が再加速するであろう。その先に懸念されるのはリーマンショック再びである。
深く再考すべき言葉がある。一九二五年、マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において、「営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結び付く傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住む者は誰なのか、そして、この巨大な発展の終る時、全く新しい予言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか。それとも、――そのどちらでもなくて――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化すことになるのか、まだ誰にも分らない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる『末人たち(LETZE MENSCHEN)』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。―――精神のない専門人、心情のない享楽人。この無なるものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」 今、我々が目撃しているのは、この「末人」が繰り広げる「無なるもの」なのかもしれない。
ただし、米国の金融政策の救いは中央銀行FRBの存在である。リーマン後、異次元金融緩和で金融危機克服に動いたFRBだが、量的緩和(QE3)は二〇一四年秋に終らせ、その後、好調な実体経済を受けて三次にわたり政策金利を引き上げ、本年三月には〇・七五にまでもってきた。政治から自立した主体性をもって金融を睨んでおり、この点が日本と異なる。経済の番人としての自覚をもって行動しているということである。
基本的に、経済政策においてトランプ政権に欠落しているのは、第四次産業革命、IoTと言われる時代における情報技術革命に対する戦略構想である。米国の優位性はシリコン・バレーに象徴される情報技術であり、「工場海外移転の否定」など後ろ向きの産業政策に躍起になり、現実に米国の好調な実体経済を支えている情報技術への理解と戦略に欠ける。移民規制についても、シリコン・バレーは移民が支えてきたゾーンであり、かのスティーブ・ジョブスもシリアからの留学生でイスラム教徒を父として生まれた事実を思い出すべきである。
 もう一つ、エネルギー・環境政策に関し、トランプ政権は明らかに「化石燃料重視、環境問題軽視」の方向を示しつつある。オバマ政権が「グリーン・ニューディール」ということで再生可能エネルギー重視で動いたのと対照的に、エネルギー政策については石油、天然ガス、石炭という化石燃料を重視する方向に舵を切ろうとしている。大統領令で、米国内のパイプライン敷設事業を次々と認可したり、中東・ロシアの化石燃料事業を推進してきたエクソン・モービルのCEOティラーソンを国務長官に指名し、「化石燃料シフト」の意思を明確にしている。また、環境省関連予算の二割削減方針を示し、「パリ協定」のような環境規制の国際的枠組みからの離脱方針さえ示している。
外交戦略について、注目すべきはロシア政策とイスラエル政策である。前記のごとく、ティラーソンが国務長官に就任した。H・キッシンジャーの推薦だったという。この人物はエクソン・モービルでサハリンLNG事業の責任者だったこともあり、プーチン露大統領との親交も深く、二〇一四年のウクライナ危機以降のG7によるロシア制裁を解除する方向に動く可能性が浮上している。また、大統領の娘婿J・クシュナーがイスラエルのネタニエフ首相と親交が深いこともあり、在イスラエルの米大使館のエルサレム移転など、火薬庫中東に火種を投げ込みかねないユダヤシフトの政策変更が検討されている。イスラエルとサウジアラビアに傾斜した中東政策は、イラン政策の見直しを意味し、「イスラムの核」を封じ込めるためにオバマが実現したイラン制裁解除を後戻りさせる可能性があり、イランの硬化が中東秩序の液状化に拍車をかける展開が予想される。トランプの中東戦略が思慮に欠けることは、中東六か国(当初七か国)からの入国制限という大統領令が示している。それは九・一一の悲劇を引き起こした実行犯一九人の内一五人は、六か国ではなくサウジアラビアのパスポートで入国していたという事実を直視すればすぐ分る。

 

 

首相訪米に見る日米関係―――本当に「他に選択肢はない」のか

 

   トランプ政権発足直後の二月上旬、私は米西海岸を訪れ、同じタイミングでワシントンを訪問していた安倍首相とトランプ政権の対応について、米国のアジア政策の専門家達やメディアの本音と向き合っていた。明らかに日本の政策基調とは異なるトランプ政権の登場に戸惑いながらもいち早く駆けつける日本の首相とそれを「蜜月の演出」で受け入れる米政権という苦笑いの構図に溜息交じりの議論が続いた。
 思えば、レーガン政権期の「ロン・ヤス関係」、日の出山荘での会食―――G・W・ブッシュ政権期の小泉訪米とキャッチボール―――今回のトランプ・安倍とフロリダでのゴルフ、すべて緊密な日米関係を演出する定番なのだろうが、時代とともに日米関係が本音を隠した矮小なものになりつつある印象は否めない。
 日本人が喜ぶ「核心的関心」が「尖閣は日米安保の対象になる」という米側の確約にあると読み切って、日米間の討議事項とすべき「経済・通商(TPP後の二国間協定)」も「米軍基地経費負担」も後に回し、これさえ言えば日本人は満足という筋書きに沿って記者会見がなされ、首相はあたかも本領安堵された御家人のごとく、同盟強化を誓って「他に選択肢はない」として帰ってきたのである。
 だが、今回も米側は、尖閣の「施政権」が日本にあることを踏まえて「日米安保条約第五条の対象になる」という従来の姿勢を踏襲したもので、「領有権」が日本に帰属することを認めたわけではない。一九七二年の沖縄返還協定は、東シナ海上の六つの点を結ぶ地域を戦後米国が施政権下に置いていた地域として日本への返還を明記しており、その地域に尖閣が入っていることは明確である。米国が保持していた「施政権」の範囲にある尖閣が日本の施政権下にあることを否定できるはずがない。ただし、沖縄返還がほぼ米中国交回復のタイミングと同じで、中国側が尖閣の「領土権」を主張し始めたことに配慮して、米国は尖閣の「領土権」に関してはコミットしないあいまいな姿勢をとり続けてきた。
今回も、一方で中国にも配慮し、安倍訪米と同じタイミングで、トランプ・習近平の電話会談がなされ、中国側の核心的関心である台湾独立を抑制する「一つの中国」論への理解を示した。日中双方への配慮を並立させること、つまり日中の対立を前提に自分の影響力を最大化する戦略が、トランプ政権のみならず米国のアジア戦略の基本であり続けており、この分断統治の論理を超えていくことが東アジアの課題なのである。ガンジーが大英帝国の植民地政策に関して、「分断統治を超えていけるかがアジアの課題」と再三発言していたことを思い出す。
 日本人は冷静な思考を取り戻すべきであろう。もし、「日本の施政権下にある」ことが理由で「日米安保の対象」というのであれば、「竹島」や「北方四島」はどうなるのか。いかに日本の領有権の主張が正当であろうが、米国は「施政権重視」となれば―――竹島、北方領土については、現実に韓国やロシアの施政権下にあり、米国の本音が透けて見える。尖閣についても、米国は「同盟責任を果たす」と言っているのであり、「米中戦争は避けたい」という本音の中での同盟責任だということを冷徹に認識する必要がある。
 注目すべきは今後の米中関係の動きであり、ティラーソン国務長官の訪中(三月)以後、習近平主席の訪米、米中戦略経済対話などを通じ、トランプ政権下の米中関係、北朝鮮や台湾問題を含む東アジア秩序枠が見えてくるであろう。「米中対立の時代」と単純に判断すべきではない。米国は「アメリカ・ファースト」と叫び、自国利害に回帰しているようにみえるが、グロ-バル・ガバナンスを失うことも拒否している。その中で、米国に代わるグローバル・ガバナンスを志向している中国のしたたかさと構想力を気にしており、「米中で仕切る」という大国主義的アプローチへの共鳴を潜在させている。
 中国はアメリカに代わる世界のリーダーを意識し、それを示す構想力を見せ始めている。例えば、AIIB(アジア・インフラ投資銀行)構想も、当初の五七国参加から中南米などから新たに二八国が参加表明、アジア開銀の六七国を超える仕組みになりつつある。また、RCEP(東アジア包括的経済連携)構想も、TPP挫折を受けて中国主導の自由化の枠組みとして動き始めている。ただ、中国のリーダーシップにも限界があり、アジア諸国における中国の影響力拡大への警戒心も根深い。また、共産党一党支配の政治体制、軍事力重視の危さ、内包する人権問題など、国際社会は冷徹に中国をみつめている。アジア秩序における日本への期待と果たすべき役割の基盤はここにある。

 

 

トランプと正対する日本―――アジアの民主的賢人を目指して

 

  トランプのアメリカについていくしか「選択肢はない」という思考回路はあまりに単純である。日本の国際関係はそんな貧困なものであってはならない。日本が「米国周辺国」にすぎないのか否か、アジアの国々は静かに見つめている。
 まず、基本的構えとして、新しい米国大統領に対して、日本がアジアに平和と安定をもたらす役割を果すから安心してくれという姿勢で臨むべきである。被爆国日本が国連の核兵器禁止条約に「反対」するという牽強付会な姿勢を脱し、「北東アジアの非核化構想」など主体的に平和を構築する意思を鮮明にすべきである。「日米で連携して中国の脅威と向き合う」という次元の外交を超えて、中国・韓国・ロシアなど近隣との信頼を構築していく創造的なプログラムを語り、「分断統治」を脱したアジアの建設的まとめ役を果たす立ち位置を示すべきである。
 「浩然の気」という言葉にこだわりたい。技術を持った先進国として、さらには民主主義を尊重する平和国家を志向する国として、日本に期待する声はアジアにおいて小さくない。中国の大国主義的外交とは異なる次元での成熟した民主国家日本へのアジアの目線を忘れてはならない。インドから東南アジア、そして東アジアをリードする日本の構想力が問われているのである。
 その上で、日米の二国間戦略対話の必要性を提起し、経済・通商と外交・安全保障に関して、二一世紀型の新しい同盟関係の再構築を図ることを主導すべきである。トランプ政権は、「TPPからの離脱、駐留米軍経費の負担増」というこれまでの日米関係に重大な変更を求める政策を提起しており、「これまでのままでいい」という現状固定化型の日米同盟論は機能しない。であるならば、日本としては根底から日米関係を再点検する好機と腹を括るべきである。通商については、TPP交渉では実現できなかった日本の主張を再整理して、日米二国間自由貿易協定に向き合い、その先にRCEP的な多国間のアジア太平洋地域での自由化の仕組みへの参画を推進すべきである。また、防衛・安全保障については、単に駐留米軍経費の負担問題だけでなく、この機に北は三沢から沖縄までのすべての米軍基地・施設を俎上に乗せ、アジアの安全保障を睨んだその機能・役割を精査し、段階的な米軍基地の縮小と地位協定の改定による日本の主権回復を図るべきである。
 二〇一六年の日本の貿易総額に占める対米貿易の比重は、一五・八%と前年の一五・一%を上回った。堅調な米国経済を背景に、二〇一一年に一一・九%まで低下していた比重が盛り返したといえる。しかし、日米貿易摩擦が過熱していた一九九〇年には二七・四%を占めていた対米貿易比重は半減したともいえる。一方、アジアとの貿易比重は五一・七%と、着増を続けている。中国との貿易比重は二一・六%を占める。日本を除くアジアが今後一〇年、実質六%台の成長を続ければ、日本の対アジア貿易比重は六割を超すであろう。また、日本が成長戦略の柱とする「観光立国」も、昨年日本を訪れた訪日外国人二四〇四万人の八割はアジアからの来訪であり、四〇〇〇万人の来訪者を期待する戦略を描くのであれば、内三〇〇〇万人はアジアから迎えることを想定することになる。物流、人流、すべてアジアダイナミズムと向き合うことが日本の優先課題なのである。
 そのアジアから同盟国米国を孤立させることなく、責任ある形で関与させるのが日本の役割となるであろう。ペリー来航から一六四年の日米関係を振り返るならば、米国の対日戦略の基調が「抑圧的寛容」とでもいうべき性格に貫かれていることに気付く。圧倒的優位にあるという状況で示す懐の深い寛容、一方で優位性が失われた時に駆り立てられる恫喝と要求、つまりアメとムチのバイオリズムに翻弄され続けるのは愚かである。「ディール」(取引)を信条とするトランプ時代の米国に正対する時、日本に求められるのは揺るがぬ「自立・自尊への意思」である。
 最後に、米国と正対する日本としての基本要件は、信念体系として戦後民主主義を守る覚悟である。集団的自衛権に踏み込んだ安保法制、戦前の治安維持法を思わせる「共謀罪」、国権主義への志向を見せる憲法改正など、現在の日本が見せる一連の動きは、戦前の国家主義体制への郷愁を潜在させている。偏狭なナショナリズムへの回帰は、やがて「親米を装った反米」に繋がることを、ワシントン見抜いている。成熟した民主国家として日本こそがアジアの安定軸であり、米国の信頼と敬意を受ける国家像である。

 

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