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岩波書店「世界」2017年2月号 脳力のレッスン178特別篇 節目の年二〇一七年 ポピュリズムの先にあるもの

  二〇一六年という年は、大方のメディアや専門家の予想を裏切る二つのショックが起こった年として記憶されるであろう。英国のEU離脱(BREXIT)と米大統領選挙におけるトランプ当選である。この二つは、いずれもデモクラシーの先進国において、民主的手続きを経た意思決定だっただけに衝撃も深く、突然の痙攣のように捉えられがちだが、痙攣は病の兆候であり、それが如何なる病によるものなのか、ポピュリズムの嵐の中での冷静な認識が問われている。
 フォーリン・アフェアーズ誌の二〇一六年十二月号は「ポピュリズム」の特集を組み、世界潮流としてのポピュリズムの台頭に懸念を示している。もちろん、ポピュリズムはファシズムではない。だが、民衆の不満と苛立ちに照準を合わせ、耳に心地良いメッセージに惹きつけていく手法は、問題の解決ではなく混乱をもたらし、混迷を統合で解決する衝動に至るという意味で、ファシズムへの誘導路になる。それは二〇世紀の教訓でもあった。
 ポピュリズムが大衆の呼応を受けて拡散するには、既成の権力、体制を拒否し、その中に生きるエリートを否定するエネルギーが必要となる。BREXITとトランプ現象には、対峙したヒラリーとキャメロンの、もっともらしいが胡散臭いエリートが拒絶されたという面があった。ヒラリーには「ウォール街の代理人」「夫婦でワシントン利権にまつわりつくいかがわしさ」というイメージがこびりついていた。キャメロンは、英保守党内の権力闘争の余波で、やらなくてもいい国民投票に打って出た愚かさに加え、パナマ文書を巡り、税金回避に親族の名が登場し、支持を失っていった。キャメロンへの不信がBREXITに勢いを与えたといってもよい。

 

 

エコノミスト誌の二〇一七年展望 キーワードはPLANET TRUMP

 

 

私はロンドン・エコノミスト誌が年末に出す新年展望の小冊子“WORLD IN 〇〇年”を三〇年近く注目してきた。一九八七年から刊行されたこの新年展望については、NYで活動していた一九八〇年代末、冷戦の終焉を的確に論じていたし、雑誌がよくやる分野ごとの専門家の論稿を集める形ではなく、エコノミスト誌が抱える「インテリジェンス・ユニット」を生かし、世界を動かす優先的要素への展望を提示してくることに刺激を受けてきた。とりわけ、「アメリカを通じてしか世界を見ない」傾向の強い日本人にとって、ロンドンからの目線は参考になった。
 たとえば、二〇一三年の展望においては、「米中関係」がカギという見方をしていたが、習近平政権のスタートを受けて、確かに米中関係がこの年の焦点となった。二〇一四年の展望では、「ロシア」という要素に注目していたが、ウクライナ危機が起こり、プーチンがユーラシアの秩序を揺さぶる存在感を高めた年となった。二〇一五年については、特定の事項の抽出ではなく、「指導力の欠如、無秩序、世界の分断」というキーワードを提示していたが、テロ、難民、液状化する中東秩序などを目撃し、これらのキーワードは不気味な予言となった。
 二〇一六年についてはどうなったか。キーワードとして、三つのWを提示していた。
まず、WOES、災いという意味で、不吉な言葉だが、イスラム・ジハード主義の跋扈、そしてBREXITとトランプ当選というポピュリズムの逆襲を受けて、世界の進路に重苦しい不透明感が漂う年になったことは否定できない。
 二つ目は、WOMEN、女性が活躍する年という意味を込めて、表紙の中央にメルケル、その左右にヒラリーとFRBのイエレンを並べていた。事実、女性の活躍が目立ち、新たに台湾のリーダーも蔡英文総統、英国もメイ首相と、女性になった。ただし、ヒラリーも韓国朴大統領も惨めなまでに失速、女性だからといってことさらに評価される時代でもなくなっている。
三つ目はWINで、語呂合わせの印象もあったが、オリンピックなどスポーツ・イベントの年という意味であった。不安視されたブラジル五輪もなんとか無事に開催されたが、開催決定時にはBRICSの一翼を担う新興国の雄とされ、中南米初のオリンピックという高揚感があったが、二年連続のマイナス成長への落ち込みに加え、政局不安の続くブラジルが色褪せた存在に後退したことも確かで、この数年の世界の変転には驚かされる。
さて、一二月の第一週はロンドンに張り付いて、世界情勢についての対話と観察を試みた。ちょうど、エコノミスト誌の“THE WORLD IN 2017”が発売直後で、来たるべき新年についての議論の素材となった。同誌の新年展望については、直近の一一月の米大統領選の結果を受け、急ぎ内容を入れ替えざるをえなかったようで、整合性に気になる部分もある。恒例の新年展望についても、明確な形で、二〇一七年のキーワードが提示されているわけではないが、表紙にもってきた“PLANET TRUMP”が、あえて言えばキーワードということであろう。「惑星トランプ」ということだが、PLANETという言葉の語源は「放浪者」ということで、彷徨えるトランプという意味を込め、地球という惑星の行方がトランプという人物によってどこへ向かうのかという不透明感を漂わせる展望になっている。表紙に八枚のトランプ占いのカードを配し、吉凶どちらに転ぶか分からない世界の危さを表しているともいえる。

 

 

見えてきたトランプ政権の性格

 

 

トランプ政権がどうなるのか。当選から一カ月半、まだ政権がスタートしたわけでもないのに「根拠なき熱狂」ともいえる株価の上昇という形で、ウォール街ストリートの政権への暗黙の圧力が表明され始めている。NYダウは選挙後、「トランプ相場」に浮かれて既に一〇%近く上昇している。選挙前、「トランプが勝てば、米国経済は破綻する」としてトランプを拒否していたウォール街は手のひらを返したように、「トランプノミクス」に期待する空気を作り出しつつある。「インフラ投資に一兆ドル」「法人税を減税し一五%へ」「金融規制緩和」などの政策に期待して、「トランプも悪くない」という方向に市場を誘導する意図がうかがえる。ウォール街の懲りない人々は絶句するほどしたたかなのである。
トランプ政権の陣容が明らかになるにつれ、既にこの政権の本質が見え始めた感がある。財務長官にスティーブン・ムニューチン、商務長官にウィルバー・ロスと重要な二つの経済閣僚がともにウォール街の出身者だという。ムニューチンはトランプ陣営の財務担当だったことへの論功行賞であるが、ゴールドマン・サックスのパートナーからヘッジファンドの経営に当たり、かのジョージ・ソロスのファンドで働いたという典型的なウォール街人脈である。また、ロスも投資家、ファンド経営者として知られ、二〇〇〇年に日本の幸福銀行買収にも動いたことで日本にも縁のある人物である。これらの人事こそトランプの豹変と政権の性格を象徴するものである。また、NEC(国家経済会議)委員長に指名されたゲーリー・コーンはゴールドマン・サックスの社長兼COOであり、これまた典型的なウォール街の代弁者であり、産業人でなく金融人に経済の舵取りを委ねる意図が鮮明である。
トランプは対立候補のヒラリーがサンダース現象に押しまくられ、彼を支持する若者たちが、クリントン財団がウォール街からの資金提供で支えられている事実を突きつけて「ヒラリーはウォール街ストリートの代弁者」と断罪するのを横目で見ながら選挙戦を戦っていた時点では、金融規制強化を意味する「グラス・スティーガル法の復活を支持する」姿勢を表明していた。グラス・スティーガル法とは、大恐慌後の一九三〇年代から米国の金融を縛ってきた法律で、「銀行と証券の垣根を作る規制」であった。この法律が廃止されたのが一九九九年、ビル・クリントン政権下であり、「金融自由化」のシンボルともいえる規制緩和であった。その後、金融という世界のビジネス・モデルが変容し、金融工学なる世界が拓かれ始め、二〇〇八年のリーマンショックをもたらすサブプライムローンなるリスクの高いマネーゲームが加速するのである。
トランプの勝利をもたらした「トランプ現象」の震源地は、白人の貧困層・労働者層の「格差と貧困」への苛立ちと怒りであった。彼らは「不法移民の流入と工場の海外移転が元凶だ」と叫ぶトランプの扇動的メッセージを鵜呑みにして、富を寡占するマネーゲームの総本山たるウォール街ストリートに怒り、エリートを拒否するという意思を示し、それがトランプ当選をもたらしたといえる。それが、「国民の声」であったとすれば、既にトランプは国民の声から離れ、「市場の声」とでもいうべきウォール街の思惑に引き寄せられ始めている。ウォール街は、期待先行の「トランプ相場」を盛り上げ、ウォール街の代弁者を政権の中枢に送り込むことに成功しているといえる。やがて、米国民は「国民の声」と「市場の声」の段差に気付くであろう。
また、防衛・安全保障への布陣でも、トランプ政権の性格は明らかになりつつある。国防長官にジェームズ・マティス、海兵隊出身の元中央軍司令官を配し、国家安全保障担当の大統領補佐官は陸軍退役中将で元DIA(国防情報局)局長のマイケル・フリンだという。マティスはイラク戦争を率いた強面で、“MAD DOG”と綽名されると報道され、日本語では「狂犬」と訳されて「理性なき戦争屋」のイメージを抱かせるが、むしろ怜悧な強硬派というべきで、「力の論理」を信じるハードライナーの軍人である。
かつて、冷戦期の米国の性格を語る言葉に「産軍複合体」という表現があったが、トランプ政権は「金融・軍事複合体」という意味で、「金軍複合体」的性格を持ちつつある。
つまり、「市場の声」と「力の論理」で「偉大なアメリカ」を取り戻そうとする布陣である。だが、現実はそれを許さないであろう。
 トランプが掲げて選挙戦を戦った「アメリカ・ファースト」は自国利害中心主義を鮮明にするキャッチ・フレーズだが、実は二〇〇〇年の大統領選で勝利したジョージ・W・ブッシュも同じフレーズを掲げていた。ただし、二〇〇〇年のブッシュと二〇一六年のトランプでは、同じ「アメリカ・ファースト」でも、意味が違う。二〇〇〇年の頃の「アメリカ・ファースト」は、冷戦の終焉から約一〇年、「唯一の超大国」「米国の一極支配」といわれていた時代の自国利害中心主義で、「アメリカが例外であり、世界のルールで俺を縛るな」という尊大に胸をそらす「アメリカ・ファースト」であった。たとえば、国際刑事裁判所には入らないとか国連の軍縮に向けてのルール作りには参加しないなど、米国は特別だという空気が満ちていた。しかし、トランプの「アメリカ・ファースト」は余裕なき米国の象徴であり、世界秩序の中核を担う力を失った米国の焦燥を示す叫びといえる。
 私は、本誌二〇一六年一一十一月号において、米大統領選挙の直前の状況を踏まえ、この大統領選挙の深層課題が「民主主義は資本主義を制御できるのか」という問いか掛けであることを論じた。国際金融資本の肥大化、すなわちウォール街とロンドンのシティに代表される懲りないマネーゲーマーの跋扈によって、「格差と貧困」が深刻化し、二一世紀の資本主義が制御不能に向かっていることに触れ、民主政治が機能するかが問われていることに言及した。白人貧困層の苛立ちを扇動していたトランプは「強欲なウォール街を縛る」と金融規制を匂わせていたのだが、早くもウォール街に取り込まれつつある。ミイラとりがミイラになる構図だが、これこそが現代のポピュリズムの特性を示す事態なのである。

 

 

 

歴史的節目としての二〇一七年 宗教改革五〇〇年、ロシア革命一〇〇年

 

 二〇一七年を考察する時、歴史的節目の年という論点を視界に入れるべきであろう。一つは宗教改革から五〇〇年、二つはロシア革命から一〇〇年の節目という意味である。歴史の射程距離を長くとり、現在の状況を照射するのも、時代の課題を鮮明にする上で、有効なアプローチだと思う。まず、「宗教改革五〇〇年」という節目である。かのマルティン・ルターが、「九五箇条の論題」をヴィッテンベルク城聖堂の扉に張り出したのが一五一七年であった。ルターが糾弾したのは「カトリックの腐敗と堕落」であり、その象徴としての「免罪符」であった。中世といわれた時代の欧州の秩序を縛り付けていたローマ教皇を中心とするカトリック教会の権威への挑戦は、燎原の火のごとく燃え上がった。
背景には、活版印刷の普及という科学技術革命が存在した。グーテンベルグがワインの絞り機を転用してプレス印刷する活版印刷技術を確立したのが一四四八年といわれ、この情報技術革命が、新しい時代思想をそれまでにないスピードで普及・浸透させたことは間違いない。ルターが狼煙をあげてからわずか三二年後の一五四九年、極東の島国日本にフランシスコ・ザビエルがやってくるが、それはカトリックの「対抗宗教改革運動」の一環であった。宗教改革に対するカトリック側の緊張を背景に、一五三四年にパリのモンマルトルで設立されたのがイエズス会であり、アジアへの宣教という情熱に駆られた若きカトリックの戦士が、大航海時代の先頭に立ってアジアを目指したのである。
また、宗教改革のうねりが一五六八年から八〇年にわたる新教の国オランダのカトリックの国スペインに対する独立運動、さらに欧州広域を巻き込んだ宗教戦争たる「三〇年戦争」をひき起こし、その終結点として一六四八年に「ウェストファリア条約」が結ばれたこと、そしてそのウェストファリア条約こそ、政治の宗教的権威からの独立と、「勢力均衡」に立つ近代の国際政治の始まりをもたらしたのである。さらに、新大陸アメリカへの移民、そして米国独立戦争という流れが生じた淵源に「宗教改革」があったことに気付く。合衆国憲法第一条が「宗教の自由」から成り立つことも、米国が移民の国として成立してきたことも、遡れば宗教改革を起点とすることは、世界認識の常識であり、今、「トランプ現象」という形で、それを否定・排除する社会心理が大統領を選び出す国に米国が変容したことが問題なのである。
また、M・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(一九〇五年)で論じたごとく、資本主義の生成と発展にとって宗教改革は大きな意味を持った。労働を尊び、真摯に努力し、技術を磨き、契約を守り、競争を通じた自己変革に立ち向かうエネルギーこそ資本主義の価値であり、それを支えたものがプロテスタンティズムの精神とすれば、今日我々が生きる世界の規範性、理念性の淵源に宗教改革があったことに気づかざるをえない。そして、後述するごとくその規範性と理念性が、冷戦後の世界を突き動かす金融資本主義の肥大化によって色褪せ、強欲な資本主義が「格差と貧困」をもたらしていることに現代の苦悩があることに問題意識が向かうのである。
もう一つ、二〇一七年という年は、ロシア革命から一〇〇年という節目である。二五年前に冷戦の終焉という局面を迎えるまで、二〇世紀は「社会主義」の幻影に悩み続けたといえる。欧州の主要国はことごとく社会主義政権という洗礼を体験し、「資本主義体制の矛盾の先に社会主義的変革や革命がある」という社会観に影響を受け続けた。社会主義政権を経験せず、社会主義政党を育てたこともない大国は、米国だけであり、その意味でも米国は「資本主義の総本山」といえる。
 日本の近現代史も「ロシア革命の脅威」に呪われた一〇〇年だった。私は本誌の二〇一六年一月号に「『運命の五年間』から一〇〇年―――戦後七〇年の日本への問いかけ」という論稿を寄せ、第一次世界大戦期の五年間に日本が遅れてきた植民地帝国としての路線をむき出しにし、一九一五年の「対華二一カ条の要求」に象徴される道へと迷走し始めたことを論じた。その第一次大戦中の一九一七年にロシア革命が起こった。ボルシェビキ革命に衝撃を受けた日本は翌一九一八年にシベリア出兵、列強が引き揚げた後も一九二二年まで出兵を続け、約三〇〇〇人の死者を出した。一九二五年には「国体の変革と私有財産制度を否定する結社の禁止」ということで、治安維持法を制定、これが共産主義運動の圧殺のみならず国民意識の統制に向けて強化・改正されて「戦争への道」を作る装置となった。ロシア封じ込めに憑りつかれた日本は、一九三六年にナチスドイツと「日独防共協定」締結、これが一九四〇年の日独伊三国軍事同盟に繋がっていく。そして、一九三九年のソ連との軍事衝突ノモンハン事件、アジア・太平洋戦争での日本の敗戦迫る一九四五年八月九日のソ連参戦という日露関係史を思い起しても、いかに日本がロシア革命後の「社会主義の幻影」に振り回されたかがわかる。
 戦後日本においても、社会主義との緊張は続いた。一九五一年のサンフランシスコ講和条約、日米安保条約を経て、西側の資本主義陣営の一翼を担う形で、戦後復興・成長という道を歩んだ日本であったが、「五五体制」という言葉があるごとく、自民党対社会党、総資本対総労働という形で、東西冷戦の代理戦争の様相を抱え込みながら約四〇年を生きた。経営者にとって社会主義化は潜在脅威であり、社会主義への志向を理論軸とする労働運動と真剣に向き合わざるをえなかった。この時期の経営者の思考を象徴するのが、松下幸之助の「PHPの思想」であり、「繁栄を通じた平和と幸福」という概念は、労働者が階級意識を捨てて新中間層意識を高める上では有効であった。社会主義に取って代わられるかもしれないという緊張感は、経営者の背筋を伸ばし、資本主義体制の改革・修正についても真剣であった。
ところが、ロシア革命から七五年、社会主義体制は崩壊し、冷戦は終わった。ソ連邦最高会議共和国会議がソ連邦消滅宣言採択したのは一九九一年一二月二六日、年内でソ連邦機関は解体となり、九二年から今日まで冷戦後の二五年が始まったといえる。「資本主義が勝った」という認識が流布したが、実態は東側といわれた社会主義陣営がその非効率と腐敗の中で自壊したというべきであろう。
にもかかわらず、対抗勢力を失った資本主義の弛緩が顕著となり、資本主義の驕りと歪みが顕著になってきた。とりわけ、東西を隔てたイデオロギーの壁が崩れ、「国境を超えたヒト、モノ、カネの移動」が自由化され、世界は大競争の時代に向かうと喧伝されたが、最も効率的に国境を超えて肥大化したのは情報ネットワーク技術革命に乗ったカネの移動、マネーゲームであり、それがもたらす災禍を国民国家の政治システムでは制御できなくなり、苛立つポピュリズムの痙攣に世界が立ち尽くしている感がある。
 二〇世紀前半の歴史もポピュリズムの制御に失敗した。理想的民主国家と思われたワイマール共和国がヒトラーを産んだのである。だが、現下の二一世紀状況のほうが、より一層苦悩は深いように思う。何故ならば、体制選択の中心概念が全く見えないということである。幻想とはいえ、資本主義体制の先に「社会主義」という選択肢があると信じられた時代はまだ幸福だったかもしれない。現代の混迷はポピュリズムで既存の体制を否定した先に提示できる理念が無いことである。解答なき熱狂なのである。また、百年前と比べ、SNSの普及によって「扇動の技術」が一段と高度化、複雑化したことで、ポピュリズムが増幅される可能性が高い。結局、自身の価値基軸をみつめ、自前の羅針盤を磨くことしか、これからの時代を主体的に生き抜くことはできないであろう。

 

 

 

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