寺島文庫

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〈文脈〉の重要さ――欧米人は日本の文化を理解できるか

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

 初めて日本に来た頃から、私はチェコ人として気になることがいつもあります。ヨーロッパの内陸国としていろいろな国に取り囲まれたチェコは低〈文脈〉*文化なので、高〈文脈〉文化の島国=日本と違うのは当然です。それでも、チェコと違うことがあると、私は無意識に不満を持ってしまうことがあります。それは、「日本人がおかしい」と考える傾向がある他の欧米人と変わりありません。多くの場合は、お互いにおかしいと思うから、理解し合えない原因になります。例えば、チェコ人は建前を本音と取り違えた結果、日本人は冷たいと誤解します。その印象でがっかりしてしまい、もう相手の見方に立って考えようともしません。私は、日本が好きだから、日本の文化を勉強することが苦になりません。来日後、日本が自分の思ったとおりではないとがっかりしたことを日本のせいにするのも簡単です。しかし、それは大きな間違いです。最初から自分の考えが誤っていたのだから、自分の考え方を見直すしかないのです。このような心構えではないと、日本に限らずおよそ異国の文化を理解できるはずはありません。では、具体的に、どうすればよいのでしょうか。研究では、情報収集や資料分析をして、研究テーマを中心に文脈を構築するという方法があります。しかし、文脈の構築には、机上の勉強だけで十分なのでしょうか。私は、日本学の修士号を取得した後にも、自分と日本の間にまだ大きな距離があると感じました。チェコで日本人と交流していた時分には周りのチェコ人に日本の文化をいろいろ説明ができたのに、「おかしい」という気持ちが消えませんでした。それは多分、自分のチェコ人の文脈にただ日本に関する数多くの情報を混ぜ込んだだけで、依然としてチェコ人の眼でのみ日本を見続けたからです。

 このように、日本で暮らしながら、日本を知らない外国人が大勢いることでしょう。自国ではないのに、自国でできあがった文脈の基準で日本を判断する人たちです。しかし、これで有意義な結論を出すわけではありません。最近は、日本語を直訳すると、意味が変わる表現が多いことに気付かされます。そのままの言葉よりその文脈の方が大事だと強く自覚されるようになりました。このような認識に立てば、同じことを違う視点から見て意味が異なるのも当然なこととして受け止めて、積極的に他の視点を取り入れるようになります。また、実体験も重要だと考え、日本の文化に関わることを実際に経験してみて、勉強しています。私は日本でいろいろチャレンジしていますが、日本人から「私より日本人らしい」とたまに言われます。しかし、それはただ私にとっての日本文化や文脈の構築が日本人より20 年以上遅れたためなのです。つまり、その遅れを取り戻すために、日本人が自然に体得した文脈を人為的に集中して造ろうとしている姿が日本人の目を引くだけなのです。むろん、私はチェコ人として既にチェコ人の文脈があるので、日本を日本人と全く同じ眼で見られません。今でも頭のなかで「そこがおかしい!」という声が響く場合があります。それでも、もう一つの次元の文脈さえあれば、日本人はなぜこうするのかと考え直しながら日本ともっと仲良くできると信じています。

* ここにいう〈文脈〉とは、コミュニケーションにおける言外の意味の重要性というほどの意味です。日本のように「以心伝心」が通用する仲間うち社会ではその度合いが高く、外敵から身を守るには意思の明示が欠かせないチェコでは低いと言えます。