寺島文庫プロジェクト https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra.html Mon, 29 Apr 2024 22:11:35 +0900 ja-jp webmaster@terashima-bunko.com (寺島文庫) 留学生止まり木プログラムを卒業するにあたって https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/1183-petra20150222.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/1183-petra20150222.html
<留学生止まり木プログラムを卒業するにあたって>


【寄稿】 カルロヴァー・ぺトラ 氏 (Petra Karlova, Ph. D.)  カレル大学史学博士、早稲田大学国際関係博士
 

 私は寺島文庫に早稲田大学の博士後期課程として入学した2009年10月からお世話になりました。研究する場を与えていただいたお陰で、2014年9月、無事博士論文を提出することができ、2015年3月で卒業します。

 寺島文庫では、自分の研究をする場だけでなく、日本の文化と接する場でもありました。初めて日本人のみの職場に置かれましたので、日本の社会人とどう振舞えばいいのかとゼロから勉強しました。

 その勉強経過について「〈文脈〉の重要さ――欧米人は日本の文化を理解できるか」を始め、「文庫だより」に異文化に関する記事のシリーズを発表しました。グローバル化の時代で異文化に接する機会が増えているので、私の経験が人々のお互いの理解に貢献できればという気持ちで執筆しました。

 日本文化について学んだことを日常生活で活かすだけではなく、空手の国際交流を促進するためにも使っています。2008年4月から日本空手協会大志塾の会員ですが、この7年空手の世界ブームを実感しています。色んな国の空手家は技術レベルが高くて、精神力が強い日本の空手に憧れて日本空手協会の道場に稽古をしに来ています。特に、大志塾の指導員が有名なので、毎月海外からお客さんが数人います。そこで、私は来日する空手家に稽古や東京の情報を伝えたり、稽古の指導を日本語から英語、もしくはチェコ語へ通訳したり、稽古の後のパーティーで交流したりするときに、日本文化について教えることがあります。やはり、外国人の空手家は日本の空手の秘密を探っていますので、体の稽古だけでなく、心の精錬にも興味を持っているのです。

 私はチェコ人なので、特にチェコの空手家と親しいです。チェコの日本空手協会の会長は日本空手協会とやり取りをするときに、東京に来るときに、いつも私に色々依頼してきます。チェコの空手家が来日するときに、私はホテルの予約をしたり、様々な道場を案内したり、東京都内外を一緒に観光したりしています。私は彼らを酒造工場、東京都北区防災センター、鎌倉、箱根、横浜などに連れて行きました。

 このように、私は寺島文庫などで勉強した日本の文化の経験や知識を活かして、日本と世界、特にチェコとの架け橋として活動しています。日本の大好きなところを共有できてとても嬉しいです。
(2015.2)

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Sat, 21 Feb 2015 05:23:21 +0900
外国語の勉強に関するいくつかの視点 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/1096-petra20140214.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/1096-petra20140214.html 外国語の勉強に関するいくつかの視点

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

  
 外国語の習得には困難が伴います。そもそも外国語は難しいですが、多くの場合、言語能力と関係がありません。私はよく外国語が得意だと言われますが、日本語上達には「しつこさ」ともいえる継続的な努力が大きかったと思います。なぜなら私は日本語に拘りがありました。日本人が英語で話しかけて来ても、私はしつこく日本語で答えていました。日本語ができる外国人に対してもできるだけ日本語を話すことにしました。それを感謝してくれる友達もいます。当初、日本語に堪能でない友達は、そのおかげで日本人と日本語で話す自信を持ち、日本語が上手になりました。一方、英語を使う外国人はずっと英語を使い続け、その結果、日本語に対する違和感が残っているそうです。

 確かに外国語の勉強を始めると、コミュニケーションの便利さを重視することで陥る落とし穴があります。例えば、日本で中国語を勉強する日本人には中国人の友達がいますが、その中国人は日本語が上手な場合が多く、そのために、せっかく中国人の友達がいるのに、ほとんど中国語がしゃべれないという現象が起こります。また、ロシア語を勉強している日本人もロシア人とロシア語で話そうとすると困ります。ロシア語のレベルが高くない場合、ロシア人はゆっくり話を聞くのに忍耐を強いられ、結局は英語で答えてしまうからです。
 ところが、私は日本語を用いる環境を作るのが難しくありませんでした。母語がチェコ語なので、英語も日本語も両方外国語なのです。しかし私に初めて会う日本人はもちろんこれを知らず、英語で話しかけますが、私はこれが理解できずに英語に違和感を持っていました。また、英語で話しかけられてもうれしくありませんでした。日本では白人はアメリカ人とよく間違えられて英語で話しかけられますが、チェコなどの非英語圏出身者に失礼だと思いました。また、白人だから日本語ができないというステレオタイプにも抵抗感を抱きました。もちろん、チェコが小さな国なので、日本でチェコ語を話してくれるとは期待できませんでした。
 いずれにせよ日本では日本語で話すのが常識だと、勝手に日本語のルールを作りました。その上、英語で話しかけられることは外国人として取り扱われるという差別だと感じました。外国人ではなく、一人の人間として取り扱ってほしかったのです。しかし、二、三年が経ったら、それが実際にチェコ人らしく取り扱ってほしいという希望だったということに気付きました。日本語でチェコ人として振舞いたかったのですがもちろん無理です。日本ではチェコの文化が通用するわけではないからです。

 とにかく、私の自己中心的な態度のおかげで、日本語だけでなく、日本文化も勉強できました。同時に、英語もある程度進みました。大学のゼミでは、日本語ができない留学生が多いため、英語を国際共通語として使うのです。それに、最近日本語で英語の文章を相談するというチューターの仕事を始め、以前英語に抱いていた先入観がほとんど消えました。外国語とは、最初に基本をしっかり学べば、状況に応じて多様的に使うものだと分かったのです。
 特に外国語の勉強を始めるときは、その言語を活用する環境が重要な条件です。このような環境がなければ、外国語を勉強する決心を強く意識し、その環境を自分から作ることが効果的でしょう。この決心に自分なりの根拠を見つけたら難しい外国語でもやがて使えるようになるでしょう。(2014.2)

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Mon, 10 Dec 2012 15:00:00 +0900
一期一会と絆 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/972-petra20121210.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/972-petra20121210.html 一期一会と絆外国人に対応する日本の二面性

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

  「一期一会」は、茶道で生み出された日本文化の大事な心得です。これは、「あなたとこうして会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という精神によるものです。このような考えから、日本のおもてなしは世界で認められ、サービスのレベルが高いことでよく知られています。これは外国人観光客に対しても当てはめられる考え方で、「わざわざ遠くから日本に来てくれたので、日本を楽しんで、良い思い出を持ち帰ってもらいたい」という日本人の思いがあるのでしょう。

 観光客として来た外国人に対しては、このようなおもてなしをしますが、一方で日本に在住する外国人に対してはどうでしょうか。

 近年、繰り返し日本を訪問する外国人が増えています。それに、日本はグローバル化を目指して、外国人にもっと日本で活躍してもらいたいと考えています。しかし、それは、組織的な面でいくつかの障壁があります。

 第一に、日本人にとって所属が非常に大事だということです。出身地という所属も重要ですが、一般的にどの学校・大学を卒業したのかという学歴での所属は現在・将来における所属においても大きな意味を持ち、社会的な判断の対象になります。組織に入るときに、同じ地方の出身の人や同じ大学を卒業した人がいたら、新しい組織での先輩になることが一般的です。なぜかというと、日本では人生プランが大体の日本人に共通するのです。これにより、年功序列が維持されていて、上下関係が構築されています。このように、組織での一人ひとりの位置づけが入るときに設定されます。しかし、外国人の場合、故郷は外国で、日本の大学・大学院を卒業していない場合もあります。この場合、日本の年齢の感覚とのずれが発生することや、上下関係が構築しにくいことがあります。「これは2年下の後輩です」などと紹介してくれる所属の先輩は存在しません。
 このように、日本においての過去との絆や繋がりがない人は、社会的な障害者のようなものです。日本は特に絆や継続性を大事にする文化なので、それらがないことは大きなハンデとなるのです。もし上司が先輩を決めなければ、面倒見てくれる人がいない可能性があります。

 また、縦社会の中で育てられた韓国人やベトナム人など以外の国の人であれば、上下関係の感覚が身についていないので、組織内の自分の位置づけや皆の行動を理解するのが難しいでしょう。その場合は、外国人に日本のマナーを教えるか、外国人に合わせるかという大きく二つの対応方法があります。しかし、どちらの方法でも100%で対応することはできないので、結果的にどちらかの傾向が強くなるでしょう。中途半端になる場合、色々な誤解が発生する可能性が高くなります。

 最近日本のグローバル化が求められ、日本人が外国人に合わせることが必要だと強調されますが、それもまた難しいことです。外国在住などの経験がない日本人は、当然どう合わせればいいか分からないでしょう。そのため、外国人に対する反応は十人十色です。「一期一会」というようなおもてなしをしている日本人もいますし、絆で繋がってない人だから自分に無関係という態度をとる日本人もいます。「一期一会」を長期的に継続するのは難しいことです。時間の経過と共に、外国人との個人的な絆は結べますが、組織的な絆は組織の皆で協力して構築するしかないのではないでしょうか。(2012.12)

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Sun, 09 Dec 2012 15:00:00 +0900
歴史の重要性 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/963-petra20121029.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/963-petra20121029.html 歴史の重要性:目的を再設定する際に考える過去の選択と進化

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

 
 研究を行う上では様々な情報を収集しますが、実際に論文に掲載するのはその半分にも満たないと私の指導教授はよく強調されます。つまり、多くの情報を集めても、目的に対して必要な情報しか載せないということです。
 このように物事を進めるうえで、必要なものが何かを理解して選び出し、不要なものを取り除く作業は、様々な場面において必須の条件となります。

 明治の日本人は、日本の物事の多くを排除せざるを得ませんでした。そして、西洋と対等な立場になるように、欧米の技術や学問を勉強し、欧米の文物を導入しました。その一つの例が洋服です。現代の日本を見ると、洋服は完全に日本化され、日本の独特なファッションスタイルもいくつか生まれて、一つの日本文化としてアジア、そして世界に発信されています。一方で、現在では日常的に和服を着用する日本人はほとんどいません。普段着としての必要性が失われてしまったのです。
 19世紀末、日本の文化芸術がどのようなものかを再定義しようとした岡倉天心は、日本民族の特徴は新しいものを取り入れて、古いものを保存するということだと主張しました。一見、日本の伝統は十分に残っているように見えますが、これまで進化してくる過程で、失われた伝統が存在します。しかし、それには理由があるのです。

 日本人が洋服を着始めたのは、幕末時代、欧米を訪問した際に日本使節団が着ていた和服が欧米の女性服に似たところが多かったため、まともな印象を与えることが難しかったためです。つまり、和服を着ていては、西洋人に対等な相手として受け入れられないという理由から洋服を着始めたのです。そして、洋服は新しい文明の象徴にもなったのです。

 しかし、目的は時代、状況によって変わります。例えば、日本舞踊をする外国人が舞踊コンテストに出場しようと思えば、和服の正しい着付けを知る必要があります。しかし、残念ながら着物の着付けどころか浴衣の着付けさえ分からない日本人が多く、浴衣で盆踊りを楽しみたい外国人は、浴衣の着付けを手伝ってくれる日本人がいないために困っています。

 つまり、問題は古いものが必要ないのではなく、そのものが今必要かどうかで判断されるということです。昔必要なくなったものが、今役立つことは十分にあります。生きたまま保存された伝統は、幾分しか残っていませんので、過去の歴史から掘り出して、「新しい目的」を見直すことが必要になります。一度選択したことが永遠に全く変わらないことはないのです。

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Sun, 28 Oct 2012 15:00:00 +0900
縦社会VS.横社会 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/958-petra20120914.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/958-petra20120914.html 縦社会VS.横社会

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

 
  世界には、国や民族によって社会構造に相違があります。日本の社会構造は「縦社会」であり、欧米は「横社会」であると表現されますが、この社会構造は、人間関係に大きな影響を与えています。
 縦社会では、一人ひとりの位置付けや役割が決まっていて、上下関係がはっきりしていることから、比較的安定した構造になっています。したがって、想定された出来事については、各自がすべきことをやり、ルールを守るのであれば、上手く進みます。しかし、縦社会では結束力が非常に強い一方で、想定外の出来事に対応する柔軟性に欠けます。
 それに対して、横社会は、一人ひとりの位置付けや役割が決まっていても、その状況に応じて変わることがあります。つまり、変化に対応する柔軟性がありますが、安定性に欠けます。会社の組織に上下関係が存在しても、一般的な人間関係は個人と個人の横の関係になります。
 そのため、欧米語には、先輩、後輩という言葉が存在しません。また、英語の兄弟・姉妹がbrother・sisterであるように生まれた順番が分からない言語になっており、言語において上下関係を表現することは日本語よりも少ないです。

 上下関係については、欧米人が日本語を勉強するうえでとても難しく感じる部分です。それは、欧米の諸言語に丁寧語がないからではなく、丁寧の感覚が違うからです。横社会では、お互いを平等に取り扱うことがルールになっています。もちろん完全な平等ではありません。特に、年齢、性別によって守るべきマナーがあります。しかし、基本的に大人同士は対等なので、丁寧語を使うべき状況であれば、お互いに丁寧語を使います。日本人のように、片方がタメ口で、片方が敬語を使うことは、大人が未成年者と話す場合のみとなります。つまり、欧米人が日本語を正しく使うには、まず縦社会の性質を理解する必要があります。そして、集団における相手と自分の位置付けや立場を理解した後でなければ、敬語を上手に使えるようにはなりません。

 また、敬語を使うことは、精神面での問題があります。欧米人は平等主義の横社会で育てられているので、自分に対して敬語が使われると違和感を持つことがあります。特に若者は、自分と年があまり変わらない相手である先輩に対して敬語を使うことを不自然に感じます。そのため、敬語をあまり使う気にならないのです。これについては、失礼だと不満を抱く日本人もいると思います。
そこで、欧米人が日本語の言葉遣いを覚えるには、自分と同じ立場の仲間の行動を見て、真似ることが最も簡単な方法です。しかし、慣れるまでは敬語を使うことに対する違和感が続きます。私は先輩に「とにかく、謙遜」と教えてもらったことがあります。この先輩の行動を見ていると、いつも丁寧で、腰の低い態度をとることが分かり、「なるほど」と思いました。このような丁寧な態度は、日本人のマナーの基本なのです。日本人が観光客として世界中で最も評判が良いのは、いつも笑顔で丁寧で、文句を言わないため好かれているのだと感じました。
 しかし、相手を立てることができても、今度は相手と対等な立場になることが困難になります。個人を尊重する横社会で育てられた欧米人は、平等の意識を身につけているので、目下の人として取り扱われると軽蔑されていると勘違いしてしまいます。いくら立場が低くても人間として丁寧に取り扱われる権利があると思っているため、違和感を抱きます。この場合、上下関係のことがよく理解できないでいる外国人にとって、日本人は失礼だという印象を持ちます。

 個人主義が根付いている横社会には、もう一つの特徴があります。上下関係が緩いということにより、個人的な交流を行いやすい環境であるといえます。紹介や推薦がなくても、誰にでも比較的自由に声をかけることができます。また、男女間においてそれぞれ一定の役割が決まっていても、性別にかかわらず皆と交流を図ることができます。それに対して、日本では組織以外の個人的な交流が少なく、男女間でも区別が強いため、男性グループと女性グループがはっきりしています。結果的に、男女間の関係性が希薄になっているところがあります。

 私はそのことで困ることがありました。挨拶以外ほとんど話したことがない日本人の男性に「寒いですね」と話しかけたところ、全く返事をしてもらえなかったのです。元々あまり話したことがなかったので、あの男性は「なぜ彼女は僕に話すの?」と戸惑ったのでしょう。同じく、日本の大手企業に勤めている南米人の男性の友達は、社内の女性と仲良く交流していると、間もなく女癖が悪いという噂が広がって大変困ってしまったそうです。その会社では男女間の交流があまりないので、積極的に女性と話すことがナンパと誤解されたようです。

 このように、横社会・縦社会という社会構造の違いは、それぞれの育ってきた社会構造が違う人同士が人間関係を築いていく上で、障害となる可能性を持っているため、自分が育ってきた社会構造だけに基づいてものごとを判断してしまうのは危険だといえます。

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Fri, 14 Sep 2012 06:24:40 +0900
両国の架け橋と板挟み:外資企業の希望と現実 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/910-petra20120406.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/910-petra20120406.html 両国の架け橋と板挟み:外資企業の希望と現実

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

   二カ国間、異文化間に立つ人は「架け橋」と言われています。例えば、新渡戸稲造は太平洋の架け橋になりたいと発言し、19世紀末・20世紀初頭の日米交流に大きな役割を果たしました。現代においては、国際協力の関係を築くことは当然なことになり、このような役割をしている人は非常に多く、自国の文化を他国に宣伝し、他国の文化を自国に紹介することによって両国の協力を促進するという異文化間の架け橋となっています。
  また、それぞれ国の文化は、社会環境としてその国の人々の行動に影響を与える重要な一面を持っています。そういった意味では、外国に出張、駐在する人々も自国の代表としてある程度「架け橋」の役割を果たさなければなりません。そして、その前提として、自国の文化を守りながら、他国の文化を尊重する必要があります。しかし、あまりに違いすぎる自国の文化と他国の文化の間で軋轢が生じた場合には、本人は板挟みになってしまいます。
 この板挟みの状況は、外資企業では珍しいことではありません。例えば、本社が予算を決めた後、支社のある他国の賃金水準が上がれば、その支社の現地従業員の間に不満が高まるという問題があります。外国の文化には、日本人のように我慢して、皆のために頑張る集団文化があまりないからです。

  2005年頃のチェコでも同様の状況が発生しました。ヨーロッパ全体が好景気で、チェコの経済成長率が伸びた結果、賃金水準は以前より高くなりました。この賃金水準の変化によって、ある日本企業では人材採用の面で非常に困りました。初任給が低いため、新人を募集しても、真面目に働いてくれる人材が入ってこないという問題がありました。それに、フォークリフト運転免許資格を会社の経費で取得した直後に退社して、給料が良いドイツ企業に転職した社員もいました。つまり、日本企業は他社のために無料人材教育を行うことになってしまいました。このような現実のために、支社の経営者は仕方がなく、初任給を上げることにしました。
 しかし、またそこで正社員の間で不満が発生しました。1年以上勤めている正社員の給料が新人の給料より低くなったため、次々に退社する人がいました。それまで西洋で転職が多いという認識がなかった日本人の経営者は悩んでいました。予算が限られていますし、昇給体制も守らなくてはいけないので、チェコの労働力市場に十分に対応できませんでした。また、本社からコストダウンに取り組まない、人事政策が悪いと批判されたのです。このように支社の経営者は、現場の実情と本社の組織との間で板挟みになってしまいました。
 この現状を本社に説明して、徹底的に理解してもらうまでに、仕事を辞めた優秀な支社の社員が多数いました。実は、当時の社員は、入社する際に日本人のマネージャーの口から「当社は従業員を大事にしています」と聞いて、安心していました。しかし、実際に働いてみると、昇給は一般的な状況と比較して遅れていただけでなく、自分より仕事ができない新入社員よりも低かったので、大事にされているとは感じませんでした。それより、支社の日本人に騙された・裏切られたという気持ちを持つまでになってしまいました。
 
   以上の問題から、架け橋になる人々は両国間の摩擦に耐えながら、現状を本社・自国に徹底的に伝えて、早く対応してもらう交渉能力が必須なことだと分かりました。またそこで、支社から情報を受け取った本社側は、自国と違う現象を認めることが必要です。日本で起こらないことであっても外国では充分に起こり得るのです。確かに、対応の面を考えると、両国の関係には他に様々な事情も影響がありますが、外国で活躍したいのであれば、その現状を実用的に取り扱わなければならないのです。

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Sat, 07 Apr 2012 03:33:50 +0900
個人主義 VS. 集団主義 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/894-petra20120229.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/894-petra20120229.html 個人主義 VS. 集団主義

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

  近代における西洋諸国のアジア植民地化によって、アジア諸国に民主主義の思想が紹介されたことは歴史上よく知られています。自由民権運動によって、日本においても個人の意識が発展しましたが、徳川時代において確立された縦社会の概念が完全になくなったわけではありません。つまり、社会的な構造から見て、西洋と日本の民主主義には違いがあります。実は、欧米においても国によって民主主義のシステムが多少違います。簡単な例をいうと、アメリカでは裁判に訴える権利が広く一般的に行使されていること、フランスでは労働条件に不満を持てばストライキをする権利が行使されていることなどのような実態があります。いずれも個人の権利や自由を尊重する文化が基礎になっています。このような環境では、個人の権利・自由に対する配慮が自然と求められています。それに対して、日本は集団主義で、個人のことより全体のことを優先して考え、周りの人の目線を常に気にする考え方が特徴的です。日本人は直接争うことが苦手なので、裁判まで行くケースが比較的少ないようです。また、自分の都合によって顧客に迷惑をかけるのは許されないと考えるため、ストライキはあまり行われません。このような点で、西洋と日本は正反対といえます。

 しかし、欧米は個人主義だと言っても、国によって個人主義の程度に差異があります。イタリア、ギリシャなどの南欧やラテン系のアメリカは、集団主義の意識が強く、集団的な行動をとります。ただし、日本と違うところは、仕事より家族の方を重視することです。そして、ドイツ、チェコ、イギリスなど上記の国々より北に位置する国々は、個人主義が強く、プライベートを大事にする傾向があります。その結果、その人がどこに所属するかということより、まずその人の個性に注目するという考え方があります。実際に、推薦状や証明書は重視されていません。例えば、日本人の友人は、チェコに研究に行ったときにとても楽だったと語っていました。推薦状を持たなくても、直接研究所や資料館に行って、「○○に関心を持っています。」と内容を述べるだけで、すぐに対応してもらうことができたのです。
 
   一方で、日本では関係者からの推薦がないと、対応できないという場合が多くあります。やはり、社会的な構造から、所属が明らかでないと組織として対応できないという問題があるのです。このため、集団所属の意識が弱い国では、日本人が困惑してしまうことが多いようです。外国の会社で日本のやり方を導入しようと思っても、現地の人々が理解できないことであればその導入は困難です。例えば、日本では会社や学校ごとに旗や歌があります。これらは統一感という集団所属意識を象徴するものです。しかし、例えばチェコではこのような習慣がありません。これには、冷戦の終わりまで社会主義のイデオロギーを押し付けられ、上から指定された集団活動に対して抵抗があるという歴史的な背景があります。このため、例えばチェコのワーカーに職場で作業開始前に体操をさせることは困難です。チェコでは義務体育が高校までになっているため、体操を社内ルールにすると、未成年のように取り扱われ、いじめられていると誤解してしまうのです。あくまで社会文化の問題で、具体的な業務内容に必要がないのであれば、導入するのは難しいです。また、個人主義の社会は上下があまり確定されず、「お互いに」というルールが基本になるため、縦社会の人間関係は軽蔑と勘違いを生みやすいところがあります。

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takeshikojima555@gmail.com (yamashitadmin2010) Petra Carlova Wed, 29 Feb 2012 05:00:43 +0900
位置づけと役割を考えること―外国人にわからない日本の社会 https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/848-petra219.html https://terashima-bunko.com/bunko-project/153-career-support/petra/848-petra219.html 位置付けと役割を考えること―外国人にわからない日本の社会

ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)

  「日本人は個人として行動せず、確定された位置付けや役割を与えられたメンバーとして行動する」、これはパトリック・ラフカディオ・ハーン、バジル・ホール・チェンバレンなど近代日本で活躍した外国人が強く感じたところです。近代の典型的な日本人は、自分の人生を一つの組織の中で過ごし、その組織のために働くことで生きてきたのです。組織の存在は個人個人にとって必須な存在で、所属する組織の文化を徹底的に身につけることが当然に必要なことでした。この状況は現在でも多分に残っています。

  それに対して、西洋文化は民主主義の考え方が進化するとともに、自らの意思と希望で行動する個人主義が発展しました。そのため、現在も日本の一般的な文化を知らない外国人は、最初、相手の日本人を個人としてのみ扱い、その組織的な位置付けを意識しないことがあります。お互いの文化が違うため、人間関係の築き方も異なり、その結果コミュニケーションがうまくいかないことも多くあります。14年間日本で過ごし、小泉八雲になったラフカディオ・ハーンもイギリス人が日本人と話すと30分以上の会話をすることができないと指摘しました。

  現在も、外国人に会ったら何を話せばよいのか困ってしまう日本人がいます。同じように、日本に来て、日本人の友達がなかなか作れないと困っている外国人もいるのです。これは、異なる環境・文化の下で作り上げられた視野がそれぞれの環境・文化にしか通用せず、異なる環境・文化を持つ相手のことを少ししか理解できないからです。異文化交流はお互いに知り、理解しあうことが必須であるとよく言われますが、実際にはなかなか難しいことです。特に難しいのは、一定の年齢に達すると、基本的なこと、最も大事なことは自分がよく分かっていると思い込んでしまい、自分の環境・文化が当り前だと思ってしまうことです。それぞれの環境・文化の中では理由を意識せず行動していることもあり、環境・文化の異なる相手に説明することができない人も多いでしょう。

  現代では、日本の文化を外国人に紹介するためにどのようなやり方があるでしょうか。生け花、茶の湯、着物の着付けなどを体験させて、外国人に何が伝わるでしょう。生け花や着物が綺麗で、面白いという印象を与えることはあるでしょうが、日本的な組織や人間関係の文化についてはあまり伝えることはできないでしょう。日本人と一緒に生け花をして、時間を共にすることになってから、やっと人間関係の文化の違いを伝えることができるのです。

  帰化したラフカディオ・ハーンは武家の娘と結婚して、日本人と暮らすようになったおかげで、日本の他の外国人に分からない部分を解明しようと『神国日本―解明への一試論』などの本を執筆しました。歴史の視点からの説明が多いですが、この本を読むと、西洋人は日本に来て、何に注意すべきかを知ることができるでしょう。また、日本人が読むことで、日本人と付き合う外国人にどのような情報が欠けているのかを知る一つの手掛かりになり、外国人と理解しあうための第一歩になるでしょう。

  一方、自分の国のやり方が当り前だと考えている外国人も多いので、そのやり方と違うか、違うように見える場合には、日本のやり方に対して抵抗を感じることがあります。自分が正しいと思い込んで、日本人の方がおかしく見えてしまうのです。例えば日本人がチェコの便利なやり方でやればいいのではないか、私はそのやり方が便利なので日本人も同じようにすればいいのではないかと考えることがあります。しかし、これはチェコの文化からの視点で考えた場合であって、日本人にとっては便利ではないかもしれませんし、日本でできることではないかもしれません。このことを理解するためには、やはり環境・文化、つまり組織の状況を知ることが必要です。そのためには、日本人から色々と説明してもらうことが必要です。ただし、説明の仕方もなぜ(理由)、どのように(やり方)ということをはっきり伝えなければなりません。「ルールだから」や、「皆がそうやっているから」という理由は説明にならないからです。

  生まれ育った環境・文化が違うので、最初は色々理解しがたいかもしれませんし、理解できるようになるまでには人によって時間がかかります。したがって、長期的に付き合おうと考える相手には時間をかけることが大事です。20年以上日本の社会で成長してきた日本人と完全に同じようになることは期待できませんが、それでも、経験を積んだ外国人は、高い意識や集中力によって理解していくことができ、日本人の立場を考えることができるようになるでしょう。

  このように、日本の一般的な環境や組織文化の基本を理解した人には、それぞれの日本人の組織の中の位置付けを理解しやすくなります。そして、その組織のメンバーになるとしたら、自分の役割が何か、どのやり方でやればよいのかということを知ることができるでしょう。

  相互理解までの流れ
   ① 環境・文化が違うことを認識する
   ② 環境・文化がどう違うかを調べる
   ③ 相手がどのような情報を必要としているかを知る
   ④ 相手が自分からの情報を受け止めやすいような形で伝える
   ⑤ 相手が自分の環境・文化を理解したら、コミュニケーションが楽になる
   ⑥ 組織の構造や目的も通じ、組織内の役割も伝わる

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Petra Carlova Sun, 04 Dec 2011 15:00:00 +0900