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現在地: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 2016年 岩波書店「世界」2016年10月号 脳力のレッスン174 科学革命の影としての魔女狩り―一七世紀オランダからの視界(その39)

岩波書店「世界」2016年10月号 脳力のレッスン174 科学革命の影としての魔女狩り―一七世紀オランダからの視界(その39)

 

 近代は一直線に到来した訳ではない。謎めいた話だが欧州社会が近代への啓蒙の時代の扉を開かんと動き始めていた正にその頃、一六世紀から一七世紀においてなぜか残虐極まりない「魔女狩り」が最盛期を迎える。これにより火刑に処された人の数は全欧州で三万人から一〇万人といわれ、人間社会の歴史は複雑かつ不可解である。科学革命、資本主義、近代デモクラシーの潮流につながる近代的理性や知性が花開きかけていた中で狂信的殺戮が繰り広げられた理由とは何か。
魔女狩りの熱狂は一五八〇~一六七〇年が最高潮であったという。フランス、スイス、イタリアが先行、最も悲惨で過激だったのがドイツで、やがてイギリスにも波及した。魔女狩り最盛期の時代の欧州は、本連載でも再三触れてきた最後の宗教戦争「三〇年戦争」とオランダのスペインに対する八〇年間にわたる独立戦争の終結点で結ばれた「ウェストファリア条約」(一六四八年)の締結を挟む時代であり、こうした時代環境を背景として悲惨な魔女狩りが荒れ狂ったのである。
一般的に魔女のイメージはトンガリ帽子で箒にまたがり、魔女集会(サバト)へと空を飛ぶ黒衣の老女で、この世の悪を凝縮したかのごとき存在で、恐怖、疫病、狂乱、淫蕩の世界へと引き込む「悪魔の情婦」であった。だが、一方で魔女は民衆の潜在意識の表出でもあり、埋め込まれた願望を逆立ちさせたシンボルといえる。「悪魔の存在を信じない者は神の存在を信じない者」という表現があるが、神と悪魔は表裏一体であり、魔女を巡る熱狂はキリスト教の光と影との相克がもたらした二重構造を内包していることに気づく。何故原罪と愛の認識を基盤とするキリスト教が悲惨な魔女狩りを生んだのか、欧州の近代を考察する上で避けて通れないテーマである。
不思議なことに、二一世紀を生きる我々でさえ、虚構にすぎない「魔女」という世界観から自由ではない。『魔法使いサリー』は愛くるしい子供向けアニメとしても、未だに『ハリー・ポッター』が描く魔術的物語に引き寄せられているのである。空を飛ぶ魔法使いに人知を超えた夢を描いているようであるが、かつて魔女とされて血塗られた歴史の犠牲者となった人達が存在したことを忘れてはならない。

 

 

 

魔女の起源ーーー魔女とは何なのか

 

 

 

 

 人類史、とりわけ男の目線からの歴史において常に謎は女性である。魅力的であり、慈愛に満ち、生きる願望と情熱の対象である。何よりも存在の根源に関わる子供を宿し産むというポテンシャルを秘める存在である。そして生身の女性は本音の見えぬ不可解な存在であり、逆上と狂気を潜在させる恐怖の対象でもある。その二重性を抱え込んだ幻想が「魔女伝説」に繋がるともいえる。witchという語は一般的に「魔女」と訳されるが、文化人類学的には必ずしも女とは限らないのだという。だが魔女狩りが吹き荒れた一六~一七世紀に殺戮されたwitchは圧倒的に女性、それも老女であった。
人類の原始宗教はオックスフォード大学のE・タイラー(一八三二~一九一七)が論じたごとく、人類にとっての宗教の萌芽はアニミズムにあり、動植物から火、水、土、岩、風などあらゆるものに霊魂(アニマ、anima)が宿るという意識を抱き、そこから精霊崇拝が生まれ、その影としてのデーモン(悪鬼、霊鬼)という概念が引き出されたという。デーモンは必ずしも否定的存在ではなく、霊力をもった鬼神という意味も有した。その二重性が女性への崇敬と恐怖という二重性とも絡みつき、生み出されたのが魔女伝説の淵源といえる。魔女の起源については諸説あるが、古代エジプトの神体系における至高の女神イシス伝説に淵源があるとされ、それが欧州のギリシャ神話の女神デメテルに繋がりさらに欧州の宗教的古層における太母神信仰にも連なるという見方には説得力を感じる。この太母神信仰がキリスト教と邂逅し交錯する中で魔女伝説になっていく。
キリスト教と魔女の関係を理解する上で示唆的なのが、上山安敏の『魔女とキリスト教』
(人文書院、一九九三年)である。本来ユダヤ教、キリスト教という中東一神教は父性宗教であり本質的には女性蔑視ともいえるものであった。中東一神教の基軸である旧約聖書(創世記三章一六)には「神は女に向かって言った。汝が妊娠するなら、わしは汝に苦痛を与えよう。汝が子を産むときには苦しまねばならぬ。汝の意志は夫に従属し、夫が汝の支配者であらねばならぬ」とある。父性宗教であったキリスト教が欧州における支配的宗教になる過程で古代地中海地域を淵源とし欧州に埋め込まれていた太母神信仰と融合、合体する形で形成されたのが聖母マリア信仰であり、聖母への崇敬が裏返しになったのが「魔女」だと考えられる。N・コーン『魔女狩りの社会史 ヨーロッパの内なる悪霊』(岩波書店、山本通訳、一九八三年、原書一九七六年)も、キリスト教が欧州の少数派からローマ帝国の支配宗教となる過程で、キリスト教にとっての異端者を抑圧する悪意に満ちた妄想として「性愛の放蕩、幼児殺し、人食い」をもたらす魔王とその使者としての魔女が登場することを論じている。この中世キリスト教社会に埋め込まれた魔女伝説が一六~一七世紀において狂気の魔女狩りへと変質・エスカレートしていく。

 

 

 

魔女狩りへのエスカレート

 

  

 

 魔女排斥という動きが見られ始めたのは一二世紀リヨンの商人ピエール・ワルドーを中心とするワルドー派の人々が悪魔を崇拝する異端者として排斥されアルプスの谷間に隠れ住むようになり、そこに権威・権力となったキリスト教による「異端審問」の制度化が、生贄を求めて動き始めたことによる。異端審問の始まりは一一八四年の教皇ルキウス三世勅令とされる。一二五七年の教皇アレクサンデル四世の頃は、異端審問はあくまで宗教的異端者を標的にするもので、魔女や魔法使いは教区の裁判所や世俗権力に委ねる方針が確認されたが、一三二〇年に教皇ヨハネス二二世が「魔術も異端であり悪魔崇拝も教会への冒瀆」とする声明を出したことが魔女狩りへの下地を作った。さらに一四八四年に教皇インノケンティウス八世の「人類の敵たる悪魔にそそのかされた人たちを排除する」勅令が、民衆の無知と恐怖心に宗教的権威づけを与え、偏執狂的魔女狩りの時代を招来する契機になった。
その二年後の一四八六年、ストラスブールの印刷所からドミニコ会士でケルン大学神学部教授でもあったシュプレンガー(一四三六~九五)等による『魔女への鉄槌』が魔女弾圧の手引書として出版され、広く欧州中に流布し魔女狩りの教本となった。グーテンベルグを嚆矢とする印刷技術の発明と発展が宗教改革の基盤となり、「コペルニクス的転回」といわれる宇宙観の転換と近代科学成立の起爆剤になったことは本連載でも既に述べたが、皮肉にも印刷技術は「悪魔学」の学識を欧州中に広め、疑心暗鬼を増幅させ魔女狩りへと駆り立てる役割も果たした。ちょうど現代社会においてインターネットの発展など情報技術革命がネットでのいじめを増幅し、ネガティブな要素をも内包するのにも通じ、考えさせられる。魔女はキリスト教支配のもたらした逆説であり、異端審問官の妄想が増幅され、民衆の不安に点火されて集団的パラノイアが燃え広がったといえるが、キリスト教の宿命として、「人格神として神の子キリスト」を設定したために必然的対置概念として人間の形をした悪の仮想敵を設定せざるをえない構造があることに気づく。愚か者は自分にわかり易い敵を作り出すのである。バチカンが十字軍と異端審問について謝罪したのは二〇〇〇年、ヨハネ・パウロ二世によってであった。
 魔女狩りはキリスト教の権威づけ、とりわけローマ教皇の名による異端審問との相関で突き動かされたが、プロテスタントが浸透した地域では魔女狩りの事例は比較的少なかったとはいえ、皆無だったわけではない。上山安敏は前掲書において興味深い指摘をしている。ルターもカトリックの悪魔の概念を共有し、一五四〇年にヴィッテンベルクで四人を魔女として糾弾し火炙りにしたというのだ。ルターは『魔女への鉄鎚』やトマス・アクイナスの『悪魔との契約』も受容していた。ただしプロテスタントは呪文、占い、祈祷などの「白魔術」を背教として攻撃、悪魔祓いの廃止を主張しており、脱呪術は「ルターのユダヤ一神教への原理的回帰」という見方もある。ただし新旧教の対立が激化する中で新旧教共に相手を悪魔の手先として糾弾し血生臭い戦いを繰り広げ、それは三〇年戦争終結後の一六五〇年以降も引きずることになる。
最も凄惨な魔女狩りが吹き荒れたドイツについて、小林繁子の『近世ドイツの魔女裁判』   (ミネルヴァ書房、二〇一五年)など、日本でも優れた研究がなされている。小林は魔女裁判を可能にした枠組みとして「世俗の刑事裁判という装置」に注目、当時のドイツの分断された領邦国家体制における民衆と国家の関係、すなわち、民衆の請願と「ポリツァイ条令」(一六・一七世紀の君主から制定される法・命令)が魔女裁判をエスカレートさせたことを検証している。「神聖ローマ帝国」という枠組みにおいて、一五世紀におけるカール五世による「刑事裁判令」が、領邦国家において世俗裁判と魔術的世界観を結び付け、民衆の司法利用の舞台になっていった経緯が見てとれる。魔女狩りの個別ケースについての資料に目を通すと人間の弱さが見えてくる。噂による無責任な告発、残虐な拷問、苦し紛れの告白、仲間として名指された人への波及、証拠もない断罪―こんな不条理が神の名の元に繰り広げられた。
魔女狩りを生んだ欧州の社会基盤の変化に関し、高橋義人『魔女とヨーロッパ』(岩波書店、一九九五年)は欧州の都市化に注目し、「近代のはらんだ狂気、その淵源と考えられるものはいくつもあるが、そのすべてを通底しているのは、自然の客体化という自然の新しい見方である」と述べ、近代化と並行して進行した都市化が衰退された森(自然)との緊張感が森に込められたものを脅威・恐怖とする心情を都市住民に生み、その象徴が魔女となっていく構図を語っている。これは魔女研究の古典、J・ミシュレ『魔女』(一八六二年、邦訳岩波文庫)にもつながる視点だ。確かに欧州を動いて実感するのは欧州は森だということで、深い森の中に都市が形成された印象が残る。『赤頭巾』『ヘンゼルとグレーテル』の童話のごとく森に邪悪な魔法使いがいると思い込む背景も理解できる。

 

 

 

 

現代における魔女狩り

  

 

 

 改めて魔女狩りを生んだ要素を整理すると一に制度的条件としての権力となったキリスト教による異端裁判の正当化、二に社会的要件として都市化の進行と郊外の森の緊張関係、さらに三として、環境条件としてこの時代の地球が寒冷期に入り疫病(黒死病とペスト)の蔓延、民衆の不安等が指摘できる。
魔女狩りが特殊一六~一七世紀的現象であろうか。時代が見えなくなると、我々は思考回路を短絡化させ理解のできない敵対者を決めつけ排除する心性を宿す。日本とて例外ではない。本連載では江戸期の漂流民を取り上げたが(30、31)、閉ざされた島国日本にとって海の彼方は野蛮な鬼が島であり、桃太郎伝説が生まれる土壌があった。風土、社会的背景や宗教も絡んで敵対者・異端者の像は形成され、時代が不安を増すと痙攣が起こり集団的攻撃性に転化する。ナチスのユダヤ人狩り、スターリンの粛清、関東大震災時の朝鮮人殺戮、戦時の非国民狩り、全て支配者の妄想の所産であり内なる悪魔の指令を受けた民衆の呼応でもある。今日のヘイト・スピーチにも通底している。問われるのは自分を客観視して単純な敵対思考を抑制する理性、憎悪という呪縛を断つ勇気である。

  

 

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