Thursday, Dec 14th

Last updateWed, 13 Dec 2017 5pm

You are here: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 2015年 岩波書店「世界」2015年2月号 脳力のレッスン154 二〇一五年の世界と日本―不機嫌な時代と潜在するリスク

岩波書店「世界」2015年2月号 脳力のレッスン154 二〇一五年の世界と日本―不機嫌な時代と潜在するリスク

  例年のことだが、ロンドン・エコノミスト誌の新年展望“THE WORLD IN 2015”は時代認識を踏み固める上で示唆的である。英国から見た世界観というべきもので、首を傾げる内容もあるが、日本人の陥りがちな偏狭な世界認識や「アメリカを通じてしか世界を考えない傾向」とバランスをとる意味でも刺激的である。今年は何よりも表紙が面白い。オバマを中心に世界の指導者が並び、最前列には黒眼鏡のプーチンをはじめ、ドイツ、中国、インドの首脳がデフォルメされた形で存在をアピールしている。よく見ると、過去の「指導力」の象徴なのかチャーチルやナポレオンの顔までが登場するのだが、何故か安倍首相の顔はなく、最後列の端に小さな歌舞伎役者の浮世絵が顔を覗かせている。気になって日本についての記事を読むと、アベノミクスが限界に来ていることを解析する記述の横にかの浮世絵が掲げられ、“LAND OF THE RISING  TAX”という言葉が添えられている。“RISING SUN”(日昇)ならぬ「税が上がる国」と洒落ているのである。



不機嫌な時代に向かう世界

 

 この新年展望は、一昨年末には「二〇一三年の世界を動かす要素は米中関係だ」と指摘していた。習近平政権となった中国とオバマ第二期政権に入る米国の関係が注視されていたわけで、そのとおりだった。昨年末には「二〇一四年の世界を動かす要素はロシアだ」と指摘し、「ウクライナ危機」までは予測しえなかったが、確かにプーチンによって世界が手玉にとられる展開となった。さて、二〇一五年はというと話は複雑である。二〇一五年を展望する鍵となる言葉をエコノミスト誌に探るならば、“malaise(不安、沈滞)”、“disorder(無秩序)”「世界の分断」「リーダーシップの失敗」「制御不能」「ナショナリズムの高まり」などという表現が目立ち、世界が方向感を失い鬱屈した空気へと向かうという認識が滲み出ている。この認識を私なりに凝縮して表現するならば「不機嫌な時代」としておきたい。誰にとっても思うに任せぬ不機嫌な状況という意味であり、二〇一四年の主役だったプーチンも、クリミア半島の分離併合を強行したものの、世界から孤立、金融の流れがロシアには向かわなくなっている上に、外貨獲得手段たるエネルギーの価格下落を受け、マイナス成長への転落さえ懸念される事態に直面している。米国も、冷戦後の「唯一の超大国」といわれていた状況は夢と消え、世界秩序の中核としての世界を束ねる力を失い、ウクライナ危機、中東の混迷に対して「動かないし、動けない米国」になりつつある。欧州も各地でEUに対する懐疑主義勢力の台頭が目立ち、欧州統合の危機が深まりつつある。世界の協調と連携に楽観的な希望を抱く議論などどこにも存在しない。

 米国のCFR(米外交問題評議会)のリチャード・ハース会長はFAR誌一一月号に「解体する秩序――リーダーなき世界の漂流」(原題“THE UNRAVELING”)と題して次のように述べている。「いまや問うべきは、世界秩序が今後も解体していくかどうかではない。いかに迅速に奥深く解体プロセスが進展するかだ」。国際主義思想を啓蒙する役割を果たしてきたCFRの会長であり、イラク戦争当時の国務省高官だった人物の見解だけに事態の深刻さを象徴するものといえる。
 しかし、大国主導の極構造で世界を認識する視界からは「秩序の崩壊」に見える事態であっても、世界が混沌に向かっていると考えるのは正しくない。我々は冷戦後の米国流の資本主義の世界展開を「グローバル化」と誤認し、米国主導のルールによって世界が均質化するのではと考えがちだったが、アフリカ、中東、アジア、中南米の現実を直視すれば、それぞれの民族、国家、宗教が自己主張を強め、存在感を高める局面にあり、「全員参加型」という「新しい世界秩序」の形成に向けて試行錯誤を重ねているというべきであろう。実は、本当の意味でのグローバル化とはこういう局面なのかもしれない。
 日本はあまりに冷戦型の極構造に馴化してきたためにいまだに「日米二国間ゲーム」を軸として世界に関与しようとしているようである。だが、全員参加型の時代においては多くの参加者に対して筋道の通った自己主張が必要であり、「正当性」「理念性」の高さが不可欠である。成熟した民主国家であり技術と勤労を尊ぶ国としてのアイデンティティーを踏み固め、日本は国つくりの根底に置く価値を見つめ直すべきである。


      
進行しつつある米国の構造変化と金融危機のリスク

 

 二〇一四年一二月初旬、ニューヨーク、ワシントンと動いてきた。最も印象付けられたのは米国の内向であった。テレビの報道番組はミズーリやニューヨークでの警察官による黒人被疑者への過剰暴力行為問題を取り上げ続け、全米各地でデモが繰り広げられていた。オバマという黒人初の大統領を実現してもなお米国が抱える人種差別、そして社会的亀裂に米国自身が慄き痙攣している様であった。思えば、一一月の中間選挙におけるオバマ政権の与党民主党の大敗も、米国民は自画像を鏡の中に見て、幻滅と失望を感じたことによる選択であった。「自由と民主主義」という松明を掲げた理念の共和国たる米国は、「イラクの失敗」と「国内の亀裂」という現実に直面し、リーダー国としての「正当性」を見失いつつある。
 だが一方で不思議なことに米国の経済は驚くほどの好転を見せている。本連載151「二〇一四年秋の世界認識」(二〇一四年一一月号)において、「好調な米国経済」について言及した。その後、米国の失業率は一〇月・一一月と五・八%にまで低下し、二年前の九・六%が嘘のようである。また消費者物価指数も前年同月比一・七%程度であり、選挙のたびに話題になる「悲惨比率」(失業率と消費者物価上昇率を足した数字が一〇%を超せば、政権の経済政策は間違いだと国民が判断し、政権は支持を失うという仮説)は七・五に止まり、「経済はうまくいっている」と評価されてもよいはずだが、中間選挙の結果をみても国民はオバマの指導力に冷たい拒否反応を示している。

 前記の論稿で、米国経済回復の理由として、「化石燃料革命」と「次世代ICT革命」の二点を指摘したが、今回東海岸を動いて、改めて確認したことを整理しておきたい。化石燃料革命については、シェールガスの増産で米国の天然ガス生産が世界一になったことに加え、原油の生産量においても二〇一三年に一二三一万BDとなり、サウジアラビア・ロシアを抜いて世界一になったと言及していたが、二〇一四年の上半期の実績で一三四〇万BDに達したという。このことがNYの原油先物価格の指標たるWTIをバーレル当たり七〇ドル割れにまで押し下げている。このトレンドは今後も加速し、二〇二〇年までに一六五〇万BDにまで増産される余力があるという。「再生可能エネルギー重視」(グリーン・ニューディール)といって政権をスタートさせたオバマ政権としては、皮肉なことに北米大陸の足元から化石燃料が噴き出るような展開になったのである。このことが米国の産業競争力を高め、貿易収支を改善する要因となっていることは間違いない。
 米国という国を再考する時、この国が世界一の食糧輸出国であり、加えて、化石燃料において優位性を確立しつつあるという認識が重要である。対照的に、日本の成長戦略を論ずる時、我が国がエネルギーと食料を海外に依存するという脆弱性を抱え込んでいることを忘れてはならない。一昨年の日本の鉱物性燃料の輸入は二七・四兆円、食料品輸入は六・四兆円である。つまり、日本にとって一割の円安へのシフトは、食料とエネルギーの輸入量を増やさなくとも三兆円以上の輸入増をもたらし、国富の流出となるのである。こうした日本の弱点に手を打つことなく「輸出を増やすための円安誘導」に走ることがいかに愚かかを映し出す鏡が米国なのである。

 もう一つの米国経済浮上の要素として指摘した「次世代ICT革命」についても、より深く視界に入れておく必要がある。ネットワーク情報技術革命が新たな次元へと進化して、ネットワークで得られた大量の情報(BIG DATA)を解析し、INDUSTRIAL INTERNET(産業のインターネット化)戦略を推進するもので、あらゆる分野にその成果が現れはじめている。グーグルやアマゾンのBIG DATAを駆使した戦略は注目されているが、たとえば、GEの“DIGITAL RESORCE PRODUCTIVITY”戦略はデータ解析で世界のエネルギー消費の効率化を目指し、航空機や風力発電からの大量のデータ解析によって燃料効率や発電効率を飛躍的に高めるという。
 
 さて、化石燃料革命と次世代ICT革命を牽引し、追い風の中にある米国経済だが、ニューヨークの好景気を目撃して実感したのは、この街のバイタル産業ともいえる「金融」の活況である。「ITとFTの結婚」という言い方があるが、情報ネットワーク技術革命の成果を最もしたたかに取り込んで付加価値を拡大している分野は「金融」である。それも長閑な産業金融の世界ではなく、「強欲なウォール街」と批判されながらも懲りないマネーゲーマーが闊歩する「ITで武装した金融」である。オバマ政権は二〇一〇年に金融規制法を成立させたが、生温いザル法で、「シャドーバンク」といわれるヘッジファンド、ノンバンク、MMF(債券を投資信託として運用するファンド)などは、世界的な超金融緩和を背景に、少しでも高利回りな運用を求める機関投資家を相手にリスクの高い金融派生型商品を売り込んでいる。世界金融の中心地として金融工学なる世界を生み出し、金融分野を基幹産業として肥大化させてきたウォール街を中心に、全米で一〇〇〇万人を超すディトレーダーが、自宅のコンピューターの前に座り、株・債券・為替などの取引に参入して飯を食っているといわれる。額に汗して働く産業をあざ笑うかのように、濡れ手で粟のマネーゲームに狂奔する経済構造がビルトインされているのだ。背景にあるのは、「リフレ経済学」なる金融主導の経済学で、金融緩和で株を上げ、景気浮揚の誘導を正当化する経済政策論であり、世界はその潮流に飲み込まれてきた。

 思い出すのはM・ウェーバーの言葉である。今から一一〇年も前の一九〇五年『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において不気味な予言をしている。「営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わる時、まったく新しい予言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか。それとも―――そのどちらでもなくて―――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化すことになるのか。まだ誰にも分らない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる『末人たち(letze menschen)』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』と」(大塚久雄訳、岩波文庫)

 その米国も、実体経済の堅調を背景に金融の引き締めに向かい始めた。予定された通り一〇月末にはQE3といわれた金融の量的緩和政策を終わらせ、二〇一五年にはゼロ金利政策を七年ぶりに転換して金利の引上げを模索し始めている。米国は間違いなく出口戦略に出始めた。その時、シャドーバンクが肥大化させた「リスクを抱え込んだ金融派生型商品」はどうなるのか。そして、「アベノミクス」と称して、リフレ経済学に同調し、「異次元の金融緩和」という金融政策にのみ過剰依存して、株高と円安誘導に酔いしれてきた日本経済はどうなるのか、息を呑むような二〇一五年に入っていくのである。


      
日本の選択―――二〇一四年末衆院選の意味

 

 世界展望に思索を巡らし、論稿を書き進めていたら、二〇一四年末の衆議院選挙の結果が出た。投票率わずかに五二・七%、有権者の半分は無関心か政治不信で投票に行かぬという状況下で、投票行動をした国民はギリギリのバランス感覚を示したと思う。「与党大勝」と報道がなされているが、自民二九一議席で四議席減、公明三五議席で四議席増ということは、与党内での公明党の比重が若干高まっただけで、七〇〇億円の国費を費やし、年末の抜き打ち解散で圧勝しようという意図は空振りだったといえる。むしろ、野党勢力における疑似与党ともいえる次世代の党が一七議席減で消滅状態になり、共産党一三議席増、民主党一一議席増と政権批判勢力を増幅させたのだから、何とも皮肉な「大山鳴動」の結末だった。「自民は第一党が獲得した過去最多議席三〇八を越え、少なくとも三一〇議席を獲得」というメディア等の事前予想は不正確で、国民の眼は醒めており、「アベノミクスは信任された」と考えるのは間違いである。永田町の論理と国民の政治を見る目の乖離は一段と深まり、むしろ投票率五二・七%と比例区での自民党の得票率(三三・一%)を考えるならば、有権者のわずか一七・四%の得票で総議席の六一%を獲得できる仕組みへの疑問が残る。「自公圧勝」として報道を続ける大方の新聞が醸成する「大政翼賛」的空気は何なのか。むしろ国民は世界潮流の中で日本がとろうとしている進路に違和感を感じ取り始めているのではないか。金融を肥大化させ、「格差と貧困」をもたらして後代に負担を回す進路、偏狭な自己主張で近隣との緊張を高め、国権主義に回帰する進路に直観的に疑問を持ち始めている。日本国民はそれほど愚かではない。

 「アベノミクスは信任された」のか。米国を淵源とする「リフレ経済学」を援用し、異次元の金融緩和をテコにした株高によって景況感を盛り上げ、国民の最後の拠り所ともいえる年金基金(GPIF)さえ運用ルールを変えて株式市場に投入して株価を維持する日本経済の「株本位制」ともいえる現状は「吊り天井の経済」である。株が高いから景気が良くなって立派な家が建っていると錯覚するが、土台も柱もなく、株価を形成してきた外国人投資家(ヘッジファンド)が売り抜けばこの家は一気に崩れる。技術を大切にし勤労を尊ぶ「もの作り国家」たる日本はいかなる経済観を以て「成長戦略」に立ち向かうのか。同じく産業国家としての道を歩んできたドイツは、財政の均衡を守り欧州中央銀行が国債を買い入れて市場に資金注入する「量的緩和」に反対し続けている。「正気の経済学」が機能しているからだともいえる。マネーゲーム経済の総本山たる米国が金融引締めへの出口を抜けようとしている今、超金融緩和と財政出動を繰り返す「アベノミクス」に出口はあるのか。国民の二割の支持と選挙制度の魔術で「圧勝」を演じる前に正当な経済社会とは何かを問い直す必要がある。

 


公開記事につきましては各社及び筆者の許諾を得ています。無断転載・引用等、著作権者の権利を侵害する一切の行為を禁止します。