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岩波書店「世界」2014年11月号 脳力のレッスン151 二〇一四年秋の世界認識――世界の激震と日本の正気

 二〇一四年秋、ユーラシア大陸が鳴動している。その鳴動は「ユーラシアの火薬庫」ともいわれてきた中東に連鎖し、血塗られた混迷を誘発している。「憎しみの連鎖」を食い止める知性を人類は問われている。
 第三九回中東協力現地会議が、八月二七・二八日とイスタンブールで行われ、基調講演者の一人として参加してきた。この会議は、七三年の石油危機直後に、中山素平、水上達三などの経済人が「中東との関係をエネルギー・モノカルチャーにしてはならない」という問題意識でスタートさせ、中東協力センターを窓口に、経産省主催、外務省後援という形で積み上げてきたもので、今年も日本から三六五名が参加し、議論を深めた。
 私がこの会議に初めて参加したのは二〇〇四年であり、今回で九回目の参加となった。私の役割は、世界のエネルギー情勢と背景にある構造についての基本認識の報告であり、報告のための準備作業と会議を通じての中東の現地事情の把握、さらに会議後、パリのIEA(国際エネルギー機関)、ウィーンのIAEA(国際原子力機関)と動いて専門家と意見を交換し、エネルギーを軸にした世界認識を再構築する作業は、このところ私の年中行事となっている。
 激しく動く世界情勢の中で、我々は根拠のある展望を持って進路を模索しなければならない。思えば、この春から夏へと内外を動き回ってきた。移動距離はおそらく地球を三周する位になるであろう。フィールドワークと文献による「今我々が生きている時代」について、私の認識を提示しておきたい。

ロシア・プーチンの荒業――クリミア分離併合とその後

 二〇一四年上半期の世界を突き動かした要素として、まずロシアという要素を視界に入れねばならない。三月のクリミア半島の「住民意思」を根拠にした分離併合は、ヒトラーがオーストリアの併合で採用した手法であり、世界を驚愕させた。その後、ウクライナ東部の混乱に目を向けさせ、クリミア併合を既成事実化する展開には絶句せざるをえない。
 米国を中心とする「ロシア制裁」の動きに対しても、ロシアは痛痒を感じないかのような動きを見せている。
 一つは中国への戦略的接近である。五月末、プーチンは上海に飛び、中国とのLNG供給協定を締結した。内容は「今後三〇年間、年間三八〇億?のLNGを100万BTUあたり九・六ドルで供給する」というものだ。日本の年間LNG輸入の三分の一に相当する量を、昨年の日本のLNG輸入単価よりも五割安い価格で供給するわけで、G7の経済制裁がエスカレートしても、中国という回路を確保していることを誇示するかのような動きなのである。九月の上海協力機構総会での動きを見ても、中露を中核として、インド・イランを巻き込み、ユーラシアにG7圧力を跳ね返す勢力圏の形成を意図していると判断される。

 プーチンのしたたかさは際立ち、五月末のサンクトペテルブルグの経済フォーラム(ロシア版ダボス会議)には、米国の参加自粛要請にもかかわらず、BP、トタル、シェルという欧州の主要エネルギー企業のCEOを招き込み、シェールガスの合弁協定を結ぶなど、欧米間の温度差、政治とグローバル企業の間隙を突く戦略をみせつけている。
 プーチンがエリツェンを引き継いで登場した「沖縄サミット」の頃、ソ連崩壊後一〇年を経たロシアは苦闘の中にあった。「プーチンって誰」というのが世界の論調であった。そのロシアがBRICSの一翼を占めるまでに蘇った理由は「エネルギー価格の高騰」に尽きる。外貨を稼げる産業といえばエネルギーくらいしかない「エネルギー・モノカルチャー国家」たるロシアにとって、九・一一以降のエネルギー価格の高騰は僥倖であった。九・一一の前日、二〇〇一年九月一〇日のニューヨーク原油先物相場(WTI)はバーレル二七・六ドルであり、それが二〇〇八年七月には一四七・三ドルに高騰、リーマン・ショックで同年一二月に三二・四ドルに急落したものの、その後は再び上昇基調で、本年七月末は九八・二ドルで動いている。つまり、皮肉な言い方をすれば、ロシアを蘇らせたのは「アルカイダ」であり、米国の「イラクの失敗」である。中東の不安定がロシアの国益につながる構造が存在しているのである。
      
板挟みの日本

 日本にとっては、実に微妙なタイミングでウクライナ危機が起こったといえる。二〇一三年の日本の化石燃料のロシアからの輸入は二・三兆円で、前年比三九%増となり、化石燃料の輸入全体に占める比重は九・〇%となった。シベリア・パイプラインが太平洋岸に到達し、サハリンのLNG事業が順調に稼働し、北極海航路を通行した船舶が七一隻となるなど、中国・韓国との関係が険悪なのと対照的に、ロシアとの関係は追い風の中にあった。
 二〇二〇年には化石燃料の二割はロシアからという展望がなされていた瞬間、ウクライナ危機が発生したのである。本誌五月号の論稿「ウクライナ危機が炙り出した日本外交のジレンマ」で指摘したごとく、日本は本音ではロシアとの関係を維持・拡大したくとも、次第にG7と連携して、ロシア制裁に与せざるをえない状況になってきている。

 とくに、七月のウクライナでのマレーシア航空機の撃墜事故以降は、欧米間に温度差のあった対ロシア経済制裁も一段とエスカレートし、ロシア経済を縛り始めている。何よりも、世界の金融がロシアには向かわなくなっている。
 IMFの七月の世界経済見通しでは、ロシアの実質成長率予測は、二〇一四年〇・二%、二〇一五年一・〇%と、四月時点の予測(二〇一四年一・三%、一五年二・三%)から大幅な下方修正となった。グローバル化時代、いかなる国も孤立しては生きていけないのであり、ロシアが払う代償も大きい。

 ウクライナ危機に出口はあるのだろうか。ブレジンスキーやキッシンジャーは、「フィンランド方式」を示唆する。ウクライナがロシアにエネルギー(LNGと原子力)を過剰依存する現実を踏まえ、極端な形でEUに引き入れるのではなく、ロシアとEU間の適切なバランスの中に置くという考えである。
 この「フィンランド方式」に関して、興味深い論稿を目にした。フィンランドの元ロシア大使R.NYBERGの「ウクライナへのフィンランドの教訓」(NYT国際版、14・9・2)である。フィンランド方式が単なる大国への妥協ではなく、ロシアに侵略の口実を与えない、絶えざる努力の産物であること、とくに「民主主義を守り抜く意思」「抑制された軍事力(武力で対抗することの限界)」「西側との密度の濃い関係構築」を強調する内容であり、考えさせられる論稿であった。
 いずれにせよ、プーチンによるクリミア半島の分離併合は、既存の国境線という秩序に衝撃を与え、中東液状化の誘発剤となっていることは否定できないし、ロシアも領土を奪い取ることはできたが、同胞であったウクライナ人の心と世界の信頼を失ったことは間違いない。
     
中東の液状化と「イスラムの台頭」という歴史エネルギー

 オーストリアのウィーンとイスタンブールの距離は一二五五kmで、ウィーンとロンドンは一二五四km,つまりウィーンはロンドンとイスタンブールの中間点だということを知った。今年は第一次世界大戦が勃発して一〇〇年目であり、第一次世界大戦を経て「神聖ローマ帝国」を引き継ぐハプスブルク家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が滅びるまで、その首都ウィーンは長く欧州の中心であった。
 高齢化したフランツ・ヨーゼフに象徴されるように、帝国は既に傾きかけてはいたが、遡る一八一五年のウィーン会議をオーストリア帝国の宰相メッテルニヒが主導して「ウィーン体制」と呼ばれる欧州秩序を形成したごとく、ウィーンの存在感は重かったのである。
 そのウィーンが一六世紀から一七世紀に、二度もイスラム国家オスマン・トルコによって包囲された。この歴史的事実は、長く欧州のトラウマとなり、今日でも深層心理に横たわっていると感じる。

 ウィーンの北十数kmにカーレンベルクの丘という、ウィーン市街を望む丘がある。一九八三年、この丘にローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世がヘリコプターで降り立った。それより三〇〇年前の一六八三年、この丘にウィーンを救援に駆け付けたポーランド王ヤン三世の旗が立ったことを記念する式典への参加が目的であった。「第二次ウィーン包囲」は、オスマン帝国の宰相ムスタファ・パシャが率いる一五万人のイスラム軍によって行われ、ハプスブルクの皇帝レオポルドはウィーンから逃亡、正に風前の灯であった。この「キリスト教」の危機に際し、ポーランドをはじめドイツの諸侯が救援に駆けつけたことで、かろうじてウィーンは解放されたのである。

 オスマン・トルコの脅威は、現在でも欧州の潜在意識に存在する。欧州の母親が、ぐずる子供を静かにさせる時、今でも「トルコ人が来るよ」と脅かすという話を耳にするが、バルカンを制圧されて欧州の中心ウィーンを二度包囲された恐怖は、トルコのEU加盟への拒否反応にもつながるほどに刷り込まれているのである。
 そうした潜在意識を有する欧州にとって、今再び「イスラムの台頭」という脅威が現実のものとなっている。欧州には一五〇〇万人を超すイスラム人口が存在し、毎年五〇万人増え続けているという。フランスは四五〇万人、ドイツは四〇〇万人、英国は二〇〇万人を超すイスラム系住民を抱えているという。それは二重構造となって存在感を高めている。
 まず目立つのは「金持ちアラブ」である。今世紀に入ってからの油価高騰の追い風を受けて湾岸産油国の石油収入が増え、潤沢なオイルマネーが欧州を買占めているとさえいえる。英国の名門百貨店ハロッズはカタールに買われ、自動車メーカーやホテルまで、オイルマネーの傘下に入っている。湾岸産油国からの金持ちが、高級住宅に住み、買い物客として高級ブランド店を闊歩する姿は、欧州の日常的風景となっている。だが、底流で静かに存在感を高めているのが「貧しく抑圧されたイスラム」である。何世代にもわたる移民、出稼ぎ労働、不法滞在などで積み上げられたイスラム人口は、欧州の諸都市において差別され、屈折した不満層となって溢れはじめている。

 「イスラム国」(ISIS)という動きがシリアからイラクをまたがって活発化し、五一ヵ国の国籍の人間が参加しているとされるが、この多国籍テロリスト集団の兵員供給源が欧州というのも事実である。「複数の米国人を公開処刑した人間が英国国籍らしい」という情報は多くの英国人の心を傷つけている。西ドイツの首相だったシュミットが「二一世紀の欧州の最大の課題はイスラムとの対話だ」と語るのを聞いたことがあるが、事態はその通りになりつつある。イスラムの問題は中東の地域問題ではないのだ。

 現在の中東混迷の淵源は、一〇〇年前に欧州が蒔いた種にある。今年は、第一次大戦の開戦一〇〇年目になるが、中東にとって第一次大戦とは「オスマン・トルコの崩壊」を意味した。大戦後、英国主導のオスマン・トルコの解体と「サイクス・ピコ協定」などによる勢力圏の分配がなされ、人工的な国境線が引かれた。また、大戦中の一九一七年に英国によってなされた「バルフォア宣言」による「パレスチナの地にユダヤ国家建設の約束」が、今日のパレスチナ問題につながる起爆剤となったことは否定し難い。

 その欧州の大国による人為的国境線が融解し始めているのが、現在中東で進行していることの意味である。一九六八年に英国がスエズ運河の東からの撤退(七一年末までに実施)を表明して以降、英国に代わって中東に覇権を確立してきた米国が、二〇〇一年の九・一一に衝撃を受けてアフガニスタン、イラクと軍事展開、消耗を重ねた揚句に撤退を余儀なくされ、中東を制御する力を失いつつある。
 結局、本年八月末現在、米国は、九・一一以降、アフガニスタンとイラクで六八〇〇人に迫る兵士を死なせ、累積三兆ドルもの戦費を費やしてきた。現在、中東を覆う混迷は、一九七〇年代以降四〇年間、中東秩序を支える岩盤だった米国が、権益を有する湾岸産油国だけは必死で守り抜くが、外縁の中東には「動かないし、動けない」という姿を晒していることによる。

 米国に代わってどこかが覇権を確立するなどという、単純な話ではない。「覇権なき中東」に向かっているというのが的確であろう。その中で注目すべきは、地域パワーとしてのイランとトルコの台頭である。
 七九年のホメイニ革命以来、イランは米国のトラウマであり、敵対を続けてきた。「核保有疑惑」を巡り、国際社会を巻き込んで制裁を強め、イランも苦しみ抜いてきたが、シーア派イスラムの中核たるイランはペルシャ湾北側における勢力を強め、サダム後のイラクからシリアにまたがる「シーア派の三日月」といわれる勢力圏を拡大してきた。ISISも、イラクの政権がシーア派主導のものになったことへのスンニ派の反発を土壌に勢力を拡大したイラク・アルカイダ機構(AQI)が原型である。AQIが〇六年に指導者ザルカウィを失った後、シリアの混乱に乗じてシリア国内に活動拠点を移して勢力を拡大し、再びイラクにも舞い戻ったのである。

 イランでは、米国のイラク進攻を目撃して硬化した世論が二〇〇五年に成立させた右派アフマディネジャド政権が去り、二〇一三年、保守穏健派のロウハニが大統領に当選して国際協調路線に回帰し、同年一一月には核疑惑問題解決に向けてジュネーブでの六か国(米・中・露・英・仏・独)と「共同行動計画」で合意した。原油生産も二〇一四年には四〇〇万BD(輸出二〇〇万BD)水準への回復が見込まれる。
 こともあろうに、この宿敵イランに妥協してテーブルについた同盟国米国のオバマへの不信が、この夏繰り広げられたイスラエルのガザへの攻撃の背景にあるといえる。

 そもそも、イスラエルにネタニヤフという右傾化した政権が成立(二〇〇九年)した理由は、イラク戦争後、イランが右傾化して核装備さえしかねない状況になったことへのイスラエル国民の反発にあった。この数年、単独でもイランの核施設を攻撃しかねない姿勢を見せていたイスラエルにとって、イランの術中にはまって「イランの非核化」に向けての国際交渉テーブルができることは、必然的に「イスラエルの非核化」というテーマを誘発する可能性に直面する。

 イスラエルと米国の間には「ニクソン-メイヤ秘密協定」(一九六九年)なるものが存在し、「米国はイスラエルの核武装を認識しているが、国際的核管理の仕組み(NPT)に参加することを要求しない」という暗黙の了解がなされてきた。これが「米国の二重基準」として指摘され、米国の中東戦略の「正当性」を疑問視する側から糾弾されてきていた。イランの非核化を求めるのであればイスラエルの非核化も、というのは妥当な議論であり、オバマも「中東の非核化」(NPTの普遍化)に言及し始めていた。アラブの海に取り囲まれているという緊張感で存立しているイスラエルからすれば、「米国は頼るに値せず」という心理に追い込まれ、過激で孤独な戦いに向かっている。この夏、イスラエルは戦闘においてハマスを圧倒したが、国際世論の支持を失った。

 トルコは一一年間も首相を務めたエルドアンが、八月の直接選挙で大統領に選ばれ、「二期一〇年」の任期になる可能性を考えると、民主的手続きを経た専制を強めることになろう。八月二九日の就任演説では、「イスラム化」を主導してきたエルドアンとしては従来にないほど、一九二三年の共和国トルコの建国の父で「世俗化」を主導したアタチュルクを持ち上げ、「宗教よりも権力」という本音を示し始めた。

 イスラム国家でありながらNATO加盟国という特殊な立場を維持してきたトルコは、一〇〇〇万人といわれるクルド系対策に腐心しつつ、隣国シリアの混乱に乗じて、多国籍テロリスト組織ISISとも巧みな駆け引きで関係を維持している。中央アジアのトルコ系をもにらみ、ユーラシアにおける潜在武断国家トルコの存在感の高まりは注目される。

 わずか三年前、「アラブの春」「中東の民主化」と騒いでいた中東は虚しい混迷の中にある。液状化する中東に、米国はイラク・シリアの国境を超えて増殖するISISへの空爆を開始した。ベトナム戦争時の北爆を思わせる展開であり、液体を紐で縛ることはできない。大国の論理での秩序回復は不可能である。日本としては、中東に対して軍事介入も武器輸出もしてこなかった先進国としての自覚に立ち、日本らしい中東での役割を貫くべきである。
     
米国―――好調な経済とリーマン・ショック再びの危険

 二〇一四年秋の世界認識において、慎重に見極めねばならないのが米国に対する評価である。ロシアから中東へと一連の動きを注視すると、米国の国際社会を制御する力が希薄化しているという認識が深まる。事実、冷戦が終りソ連が崩壊した一九九一年から二一世紀にかけて、「唯一の超大国」とされて「米国の一極支配」といわれていた米国の存在感は、アフガニスタンとイラクでの消耗によって、大きく後退した。

 しかし、我々は単純に「米国の衰亡」と捉えるべきではない。短期的な景気の話ではなく、構造的に米国の実体経済はこのところ驚くべき回復基調にある。二〇一〇年に九・六%だった失業率は、八月には六・一%にまで下がった。米国経済の課題とされてきた「双子の赤字」も改善されつつある。二〇一一年度に一・三兆ドルだった財政赤字は、一三年度には〇・六八兆ドルと半減、経常収支赤字も二〇〇八年度の六七七一億ドルから一三年度の三七九三億ドルに大幅改善、数年前の米国論は通用しなくなっている。実質GDPの成長率も、一三年は二・八%と先進国でも際立って高く、欧州がマイナス成長局面にあるのと対照的に、一四年も三%前後の成長を実現すると思われる。

 米国経済の追い風要因は二つある。「化石燃料革命」と「次世代ICT革命」である。化石燃料革命についていえば、米国は天然ガスに加えて、原油の生産においても世界一になったということである。シェールガス革命については認識が定着してきたが、頁岩層の隙間に埋蔵されたLNGを回収する技術を確立した米国は、この五年間で世界一の天然ガス生産国となった。むしろ天然ガスが出すぎて北米市場のLNG価格が軟化(二〇一二年春には二ドル/一〇〇万BTUまで下落、現在四ドル前後で推移)し、価格の高い原油に投資がシフトしたことで、原油生産が急増してきた。二〇一三年には一二三一万BD(DOEベース)とサウジアラビア、ロシアを凌駕し、世界一の原油生産国にのし上がった。
 再生可能エネルギー重視でスタートを切ったオバマ政権としては、皮肉な話だが、足下から化石燃料が噴き出る展開となってしまったのだ。このことが、化学工業のみならず米国の産業競争力回復の力になってきた。また、「エネルギー」が輸出の主力品目になり、一三年には一四七九億ドルの外貨を稼ぐ産業になってきた。
 また、次世代ICT革命とは、「インターネットの登場」に象徴されるIT革命が一巡して、ビッグデータに象徴される新たなステージに入ったことを意味し、この分野における米国の優位性が際立つということである。データ処理の大量化・大衆化が産業活動の質を高め、統合的にデータを利用することで企業の競争力を高めることを現実としつつある。九〇年代のペンタゴンのARPAネットの技術開放(冷戦後の軍民転換)がIT革命の基点であったが、幕が代わり、ICT分野での新たなビジネスモデルが、雨後の竹の子のごとく創生されつつある。

 皮肉にも、この米国の実体経済の好調が、米国民の意識の内向と微妙に相関している。米国の若者の血を流してまで、リスクとコストを懸けて中東に張り出す必要はないという空気であり、中東に依存しなくても米国のエネルギー戦略は成立するという潜在意識も絡み合って、「もはや米国は世界の警察官ではない」というオバマ発言を支えているともいえる。
 好調な米国経済を背景に、米国は本格的な金融引き締めに動き始めた。QE3といわれた量的緩和も一〇月には収斂させ、二〇一五年には金利の引き上げを探る局面を迎えている。二〇〇八年末から踏み込んだゼロ金利政策も、「出口」を模索し始めたというべきであろう。実体経済が好転すれば金融を引き締めるというのは、当然の理で健全な判断だが、米国だけが引き締めに向かうということは、世界の金融を米国に還流させる転機ともなり、来年に向けて世界の金融構造は激震を受けかねない。
 追い風の中にあるかに見える米国経済に不安はないのかといえば、そうともいえない。オバマ政権は、「イラクの失敗」に対する幻滅とリーマン・ショックを受けた「強欲なウォールストリート」への反発を背景に成立したともいえるが、私が最も危機感を抱くのが、アメリカを震源とする金融不安、リーマン・ショック再びの懸念である。

 米国が出口に向かい始めたとはいえ、世界は超金融緩和の中にある。二〇一四年の世界全体のGDP総額は約七四兆ドルと推計されるが、金融市場の規模(株式市場の時価総額、債券市場、銀行貸出の総計)はその四倍以上の推計三二〇兆ドルに膨れ上がっている。異常な金融肥大型のマネーゲーム経済になっているのである。視点を変えていえば、IT革命の成果を最もしたたかに吸収してビジネスモデルを拡大してきたのは「金融」セクターだといえる。
 金融の肥大化は、冷戦後の米国流金融資本主義の世界化の中で加速し、既に世界は二〇〇一年の「電力デリバティブを主導したエンロンの崩壊」、二〇〇八年の「サブプライム・ローンの破綻に連鎖したリーマン・ショック」を体験した。

 それにもかかわらず、懲りない人々が悪知恵のマネーゲームへと世界を誘導している。再び臨界点が迫っているとさえいえる。金融の肥大化は必然的に、その恩恵を受ける人とそうでない人との「格差と貧困」という不条理をもたらす。世界は、間違いなくその方向に向かっている。
 日本も「異次元の金融緩和」に酔いしれ、日銀による国債の買い入れ規模は既に累積一二〇兆円を超し、市場には潤沢な資金が供給されているが、金融機関はリスクを取ってプロジェクトを組成する力も、自前で運用する力にも欠け、外資が売り込んでくる「リスクが低い」と説明される金融商品を受け身で買い入れている。
 リーマン・ショックをもたらした「サブプライム・ローン」も、後になって考えれば、とんでもなく危うい仕組みで成り立っていたことに気付く。だが、それを混ぜ込んだ金融派生型商品はあまりに複雑であり、十分な理解のないままリーマン崩壊の波に飲み込まれていった。
 悪知恵の資本主義を主導するウォールストリートの懲りない人々は、さらに複雑怪奇な金融商品を生み出して誘いをかけている。
 金融政策だけで自国通貨を安く誘導し、資源・エネルギーの調達コストを高くし、国富を流出させ、一方で、輸出は増えず、貿易収取の赤字を積み上げる政策が賢いのか。「経世済民」の原点に還って、国民経済の理にかなった政策論が問われる局面に入ったといえる。
 肥大化したマネーゲームに幻惑された景況感から脱し、正気の経済学を論ずべきである。

 


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