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岩波書店「世界」2014年5月号 脳力のレッスン145 ウクライナ危機が炙り出した日本外交のジレンマ(特別篇)

  私は二〇〇三年から四年間、経団連のウクライナ研究会の委員長を引き受けていたこともあり、二〇〇四年一〇月からの「オレンジ革命」といわれた時期のウクライナを何度か訪れ、「美しすぎる政治家」として話題を集めていたチモシェンコ首相をはじめ、この国の多くのキーマンと向き合った思い出がある。この連載でも、二〇〇四年一月号に「ウクライナという国から見えてくるもの」(『脳力のレッスン』所収、岩波書店、二〇〇四年)として、日本にとってのウクライナの意味を考察する論稿を書いてきた。あれから一〇年、曲折を経てウクライナはいま、世界史と日本外交を揺るがす震源となりつつある。

 

ユーラシア地政学のカギ握るウクライナ

 ウクライナの歴史を振り返るならば、常に欧州とロシアの綱引きの中で振り回されてきたといえる。逆にいえば、綱引きのヒモの真ん中の×印のようなもので、ウクライナが欧州に回帰するかロシアに回帰するかでユーラシアの地政学が決まるとさえいえる存在なのである。今回の政変も、昨年一一月に親ロシア路線を採るヤヌコビッチ政権がEUとの連合協定への署名を延期したことに反対するデモが発端であった。
 このウクライナを論じるとき、少なくとも視界に入れておくべき二つの点を確認しておきたい。
 第一に極東ロシアにおけるウクライナ人の集積と日本との因縁である。現在、極東ロシアといわれる地域に約六〇〇万人のロシア人が生活しているが、その半分の祖先は「ウクライナ人」だという。歴史の皮肉とでもいおうか、三段重ねでウクライナ人が極東に集積したのである。
 まず、一九世紀の一八六〇年、ロシアは清国からウスリー川の東側を割譲させ、太平洋への出口としての不凍港ウラジオストックの建設を始めた。ウラジオストックとは「東征」を意味し、ロマノフ王朝の極東への野心をむき出しにした都市の建設であった。
 人口の少ない極東ロシアへのウクライナからの農業開拓移民が行われた。一九世紀の間に約六万人の入植者が、ウクライナの港オデッサから黒海・インド洋・日本海を経た海路でウラジオストックに送り込まれたという。
 次に一九一七年のロシア革命に際し、独立志向の強いウクライナ人は革命勢力に対して「王党派」として反抗を試みた。「白系ロシア」という表現が使われたが、それは皮膚が白いからではなく共産主義の「赤」に対する王党派という意味であり、多くのウクライナ人が「シベリア送り」となった。さらに、第二次大戦期、ヒトラーがソ連に攻め込んだ時、ウクライナの独立志向勢力は何とヒトラーと手を組んでモスクワを揺さぶり、逆上したスターリンによってさらなるウクライナ人が「シベリア送り」となった。その結果、極東ロシアにウクライナを故郷とする人が集積したのである。
 それらのウクライナ人の中には人口の浸透圧で日本の北海道や旧満州(中国東北地域)に移住する人もいた。横綱大鵬の父親がウクライナ人だったという事実にも、そうした事情が背景にある。また満州に流れ込んだウクライナ系のネットワークを使って、関東軍はウクライナ独立運動を支援する秘密工作を行っていた。戦前の一九三六年までウクライナには日本の領事館が置かれ、戦後首相になった芦田均が若き外交官として働いていたが、北のロシアの脅威を如何に削ぐかは、ロシア革命以前の「反ツァーリ運動」支援工作を行った明石元二郎陸軍大佐などの活動以来の日本外交の埋め絵であった。

      
グローバルネットワークとしてのユダヤ

 ウクライナに関し視界に入れるべきもう一つの要素が「ユダヤ」である。森繁久弥が演じていた『屋根の上のバイオリン弾き』はウクライナにおけるユダヤ人の物語であった。ウクライナには歴史的にユダヤ人が多く、それがこの国の科学技術基盤と相関している。キエフ工科大学はソ連邦時代から科学技術を支える基点の一つで、宇宙開発や原子力分野において大きな実績を挙げてきた。チェルノブイリがウクライナに在ったことも偶然ではない。ソ連崩壊後、「一〇〇万人を超すユダヤ人がイスラエルに帰った」とされるが主としてウクライナからであった。事実、イスラエルに行くとウクライナから帰った理科系の高学歴の人間に出会うことが多い。
 ユダヤ人はグローバルなネットワーク民族で、「米国にも約一〇〇万人のウクライナ系ユダヤ人が存在する」といわれ、ソ連崩壊から「オレンジ革命」に至る「東欧の民主化」の背後にユダヤ勢力の支援が微妙に絡んできた。オバマ大統領のウクライナ政策にも出身地のシカゴを中心にした中西部や東海岸のユダヤ勢力の影響力が見え隠れしている。

      
「9・11」というロシアへの追い風

 一九九一年にソビエト連邦が崩壊した時、それまでユーラシア大陸の実に四一%(約二二四〇万平方キロ)を領有支配していたソ連からウクライナやバルト三国などが分離独立し、ロシアは総計五三二万平方キロ(日本の面積の約一四倍)という国土を失った。ソビエト連邦とはロマノフ王朝の膨張主義を継承した「社会主義イデオロギーで武装した大ロシア主義体制」であった。それ故に喪失感は深かった。ゴルバチョフ、エリツェンを引き継いで二〇〇〇年五月にプーチンが登場したころ、ロシアは混迷の中にあった。ロシア通貨ルーブルの価値は惨めなまでに下落し、一九八五年の公式レートに比べ五万分の一(デノミ要素を配慮すれば五〇分の一)になっていた。沖縄サミットに初めてプーチンが登場した頃、“Putin,Who?”(「プーチンって誰?」)という程度の存在であった。
 私は二〇〇六年一月号の本連載に「『大ロシア主義』に回帰するロシア」(『脳力のレッスンⅡ』所収、二〇〇七年)を寄稿して、プーチン後のロシアが次第に力と安定を取り戻す過程を分析した。プーチンは任期が切れた二〇〇八年にはメドベージェフに大統領職を譲り、四年後再び大統領に返り咲くという荒業を繰り出して国際社会を仰天させ、「専制体制」を確立していった。
 実はロシアを救いプーチン専制をもたらしたのは、皮肉にも「9・11」とそれ以降の米国の迷走であったといえる。エネルギー価格を注視すればそのことが分る。「9・11」事件がNY,ワシントンを襲った前日、二〇〇一年九月一〇日のWTI(NY原油先物価格)はバーレル二八ドルであった。リーマンショックで三二ドルに落ちることはあったが、石油価格は高騰基調を続け、本年二月末現在一〇三ドルという水準にある。原油一〇七〇万BD、天然ガス六八一BCMと、ともに世界二位の生産量(二〇一二年)を誇るロシアは、エネルギー価格高騰という追い風を受けて蘇ったのである。「エネルギーモノカルチャー」というべき産業構造を抱えるロシアにとって僥倖ともいえる要素がエネルギー価格の高騰であり、「9・11」後の中東情勢の不安定化と米国による「イラクの失敗」、そして国際社会を束ねる力の喪失は、ロシアとプーチンを際立たせる背景となった。
見えてきたプーチンの戦略とオバマの本音

 現時点でのプーチンのウクライナ戦略とは何か。最早、プーチンは親ロシア路線の前大統領ヤヌコビッチのウクライナでの復権など望んではいない。亡命してきたヤヌコビッチを「統治能力なき失格者」と突き放し、ウクライナの新政権の正当性を否定する宣伝係として利用しているだけである。プーチンが照準を合わせているのは、第一段階としてのクリミア半島のウクライナからの分離、速やかなロシアへの編入であろう。どうしても確保したいのが黒海艦隊の基地セバストポリである。三月一六日、クリミア自治共和国における「住民投票」による「ロシア編入支持」(九七%賛成)という正当化の儀式を演じ、米欧の対応を瀬踏みしつつ、国際的孤立を避けながらの綱渡りに踏み込みつつある。
 三月一八日の「クリミア編入」を宣言したプーチン演説では、「民族自決は国連のルールに基づくもの」であることを強調し、「クリミアとセバストポリは歴史的にロシアにとって聖なる土地」であることを訴えて、クリミア住民とロシア国民の意思を受けた編入であると、その正当性を繰り返した。クリミア自治共和国の独立というステージを超えて、一気にロシア編入に突き進んだのである。
 クリミア半島は、一九五四年に当時のソ連首相フルシチョフが「ソ連という枠組みの中での行政区分の変更」としてウクライナに組み入れたといういきさつがあり、ソ連崩壊後もロシアは黒海艦隊の基地を租借し続けてきた。親ロシア路線のヤヌコビッチ政権はこのセバストポリ軍港の租借を二五年間延長したが、ウクライナが欧州に回帰した場合、NATOの基地に変わる可能性さえロシアとしては懸念し始めており、黒海を経て地中海に繋がる「南の出口」と制海権を失うことに神経を昂らせているのである。
ちなみに、このセバストポリこそ一八五三年から五六年までフランス・英国・オスマン帝国の同盟軍とロシアが戦ったクリミア戦争における「セバストポリ包囲戦」の戦場であり、明確な戦勝国のないまま一八五六年のパリ講和条約が結ばれたが、ロシアとしては産業革命で先行する英国やフランスに刺激を受け、基幹産業、建艦技術など軍事産業、輸送手段などの近代化に向けて、アレクサンドルⅡ世の下に動き出す契機となった思い出の地である。つまり、ペリーの浦賀来航の頃の話である。
 さて、クリミア分離併合の動きに米国はどう動くのか。国連安保理を舞台にロシアによるクリミアへの介入を「不当」とする決議(ロシアの拒否権で否決)などの外交的圧力、ロシア要人への資産凍結やビザ発給規制など制裁を強めているが、直接的な軍事介入には慎重である。イラク戦争時に七四〇〇億ドルを超すレベルに増大させていた軍事予算も五〇〇〇億ドルを割る水準にまで圧縮を余儀なくされ、「イラク・アフガンからの撤退」を進めてきた局面において海外への軍事展開に議会の合意が簡単に得られる状況ではない。
また、アフガン、シリア、イランなどの情勢を制御するためにも一定のロシアの協力は不可欠であり、決定的対決は避けたいというのが本音であろう。ロシアとの経済関係が強い欧州も一枚岩ではない。
 苦渋の対応を余儀なくされる米国の選択に関して注目すべき論稿が、本年三月六日付のワシントン・ポスト紙へのH・キッシンジャー寄稿“How The Ukraine Crisis Ends”である。キッシンジャーはウクライナの立ち位置として「フィンランド方式」を示唆し、「独立を維持しつつロシアとの敵対を避け、かつ西側との協力関係維持」を目指すべきと語り、そのために米国としてはウクライナを単純にEUやNATOにコミットさせることを避けるべしという主張である。あいまいな状況を抑制的に受け入れる大人の知恵とでもいうべき姿勢がうかがえる。クリミアの分離併合を容認するものではないが、ロシアに配慮して何らかの妥協を模索する方向を辿るのか、オバマ外交の正念場が迫っている。


ウクライナ政変の日本にとっての意味

 遠い黒海の辺のウクライナを巡る動きが、安倍政権の外交の危うさを顕在化させる皮肉な要素となりつつある。所謂「価値観外交」で近隣の中国・韓国との関係を「戦後最悪」ともいえるほど硬直させ、靖国参拝を強行して「戦後秩序を否定して、危険な国家主義への回帰を目指しているのでは」として同盟国米国からも不信の目で見られる安倍政権にとって、ロシアとの関係改善は暗闇の中での光であった。欧米首脳が「人権問題」を理由に参加を見送ったソチ五輪の開会式にも参加し、安倍首相は就任後の一年でプーチン大統領と五回も面談、「北方領土問題」への展望も開けるのではという議論さえ始まっていた。このタイミングで噴出したウクライナ危機は日本をジレンマに追い込みつつある。
 ロシアと米欧の対立がエスカレートした場合、日本はG7の側に立ちロシアを牽制するのか、それとも「温度差」を演じ、ロシアとの好関係維持に向かうのか、苦渋の選択を迫られることになる。


高まりつつあるロシアへのエネルギー依存

 まず、浮上するのは「エネルギー」である。日本のロシアへのエネルギー依存は確実に高まりつつある。中東情勢の流動化の中で、日本の化石燃料の中東への過剰依存(原油八割強、LNG四割弱)を解消するために供給源を多角化するとなると現実的選択肢はロシアとなるのである。シベリア・パイプラインが太平洋側に辿り着き、サハリンのLNGプロジェクトが軌道に乗ってきた二〇一三年、既に日本の原油とLNGの輸入の一割はロシアからとなった。二〇二〇年には二割になると予想される。ロシアも日本のような安定的需要先に売りたがっている。欧州への化石燃料輸出を優位に展開するためにも、ユーラシア国家として極東への販路を安定確保したいのである。相互の思惑が日露接近をもたらしている時、米国が主導するロシアへの経済制裁がエスカレートした場合、ロシアからのエネルギー供給は壁にぶつかる可能性がある。


集団的自衛権に固執する安倍政権の矛盾

 また、ウクライナ危機は、解釈改憲してでも米国との集団的自衛権行使に踏み込もうとする安倍政権の外交安保政策の矛盾を皮肉な形で露呈させ始めた。
 日本が集団的自衛権を急ぐ心理は、中国・北朝鮮の脅威に対して米国との軍事同盟を強化することで向き合おうというものだが、ウクライナ危機によって米露の軍事的緊張が高まった場合、日本における米軍基地はロシアを想定したユーラシアへの展開を担わざるを得なくなる。軍事衝突の可能性は低いが、戦端が切られた場合、冷戦期からソ連を対象にモニタリングしてきた情報通信基地三沢がロシアからの攻撃対象になりかねない。自ら「米国と一体の軍事同盟」に踏み込むということは、そうした事態さえ視界に入れた覚悟がいるということなのだ。
 世界の「集団的自衛権」に関する潮流は真逆である。NATOなどは代表的な集団的自衛の仕組みだが、加盟国は自国の国益を慎重に配慮し、独自の行動を思慮深く選択する時代を迎えつつある。シリア問題を巡っても、NATO加盟国の温度差が目立ち、ロシアに対しても共同の軍事行動が行われる状況ではない。
 「自主自立」の主体的判断が求められる時代に、「安保条約の双務性」にこだわり、「集団的自衛権の行使容認」に狂奔する日本の姿は哀しく滑稽でさえある。自衛権は安易に他国に預託すべき問題ではない。自国の青年を不必要な戦争の犠牲にしないための、ぎりぎりの熟慮の判断が問われるのである。

尖閣問題への影響――米国はどう動くか

 ウクライナ危機はさらに「尖閣問題」にさえ影を投げかけている。中国はウクライナ情勢を別の文脈で注視している。住民投票によるクリミア分離の正当化というロシアの手法は、台湾問題や新疆ウィグルを抱える中国が賛同できるものではなく、国連安保理でも「棄権・中立」という立場をとるが、ウクライナでどこまで米国が動くのかはきわめて重要である。「米国は動けないし動かない」となれば、それは北京にとって領土問題へのメッセージとなる。
 実は、尖閣問題について日本人が明確に認識しておくべき重大な事実がある。二月一〇日に行われたアンジェレラ在日米軍司令官の日本記者クラブにおける共同電話インタビューにおいて、「尖閣を巡り日中の衝突が起こった場合、米軍は、直接介入はしない」と明言したのである。
 詳しく発言内容を読むと違和感を覚えるものではない。現在、海上警察権レベル(日本側は海上保安庁)で向き合っている尖閣周辺で衝突が起こったなら、在日米軍はまず「救助」に徹し、日中両国の対話を促すというものであり、中国が尖閣を軍事占拠した場合でも、米軍がただちに直接介入することには慎重な姿勢であると語ったといえる。在日米軍が「駆けつけてくれる善意のガードマン」ではないことを明らかにしたわけで、沖縄米軍への過剰期待を抱いている人たちからすれば失望かもしれないが、米国のアジア戦略の本質を正直に語った本音であろう。
 米国は尖閣の施政権が日本にあることは認めるが領有権についてはコミットせず、日米安保条約第五条の対象として同盟責任を果たすことを繰り返し明言しているが、それが軍事介入(米中戦争)を意味しないことも確かなのである。つまり、日中両国へ配慮し東アジアにおける米国の影響力を最大化する「あいまい作戦」なのであり、それが現実である。このことを冷静に受け止める視界なしには日米同盟の今後、基地問題も議論できないのである。
 ウクライナ危機を震源として、ユーラシアの地政学が動き始めた。歴史は球衝きの球のように動く。地殻変動の中で、日本外交は自己矛盾を露呈し始めた。対米過剰依存の固定観念に埋没する一方で、近隣からの孤立という不安の中でロシアの理不尽な行動にも「実効の無い制裁」でお茶を濁している。二一世紀の世界に関与する外交総体の構想に欠けるからである。
 取り戻すべきは、近隣との協調と相互信頼を基盤にした自立自尊の構想であり、柔軟で賢明な進路選択である。

 

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