寺島文庫

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2012年第14号より

ジャパンエフエムネットワーク「月刊寺島実郎の世界」1月、2月収録風景

  毎月後半土・日曜日の朝放送しているFM番組「月刊寺島実郎の世界」は、政治・経済・社会・文化、そして歴史にまで視野を広げてこれからの日本のあるべき姿をテーマに、寺島実郎と木村知義氏がリスナーと共に考えていく番組です。
1月・2月は、「17世紀オランダからの視界―ドン・キホーテの時代だったスペイン」と「ポルトガルが先行した大航海時代と天正遣欧使節」をテーマに放送されました。

ドン・キホーテの時代―スペイン

  「立体世界史的に現代日本を考える上で大きな切り口になっているのが『鎖国』の徳川江戸時代においても唯一交流を持っていた17世紀のオランダである。この国が海洋帝国、通商国家として急速に発展し、また急速に衰亡していった事実を日本になぞらえて考えてみることは、非常に重要だ。16世紀から17世紀にかけて独立戦争を戦っていたオランダが世界に向けて展開する背景には、敵対国スペインの影響が大きかったと言える。当時のスペインには『ドン・キホーテ』を執筆したセルバンテスが存在し、彼はレバントの海戦(1571年)に参加して片手を失ったが勝利を収めた。しかし、1588年にネルソン提督率いる英国艦隊に大敗、祖国の栄光と衰退期を体験する。この様は、『ドン・キホーテ』の物語にも象徴されるエッセンスになっている。
 同時期の日本では、支倉常長のミッションがサン・ファン・バウンティス号に乗り込み、3カ月かけてスペイン・マドリードに到着(1614年)、8カ月間滞在した。日本もまた鎖国の時代の前に大きく海外展開をしていたのである。セルバンテスも1602年~1616年まで同地に居住、サムライ一行の訪問に関心を寄せていたと思われる」。

大航海時代と天正遣欧使節―ポルトガル

  「ポルトガルという国について語る時、まず思い浮かぶ疑問は、なぜ欧州の小国にすぎないこの国が、『大航海時代』の先陣を切ってアジアに奥深く展開していたか、ということだ。ポルトガルを理解する上で重要なのは、同国がレコンキスタ(国土回復運動)で成立したことだ。つまり711年から以後3世紀にわたって欧州に進出したイスラム教を1604年に教皇アレクサンドル2世によって駆逐し、カトリックによる統一国家態勢を整えた。この事実が、ポルトガルが他国に先んじて海外に向け行動した最大の理由と言える。しかし、次第にスペインとの熾烈な戦いに入り、ついに1580年スペインに併合される。この時期日本は天正遣欧使節一行がポルトガル人宣教師ヴァリアーノに連れられて長崎を発ち、マカオ、マラッカ、ゴア、コチン、喜望峰、セント・ヘレーナ島を経てリスボンに到着、ポルトガル王を兼ねるスペイン王のフェリペ2世と謁見し手厚くもてなされた。このことは日欧関係を非常に象徴している。つまり、ポルトガルのアジアへのネットワークをたどる形で使節は欧州を訪れたからだ。欧州の力学が日本に働いていることが実感できるはずだ」と語りました。