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2015 SUMMER Vol.1

地方公共団体から日総研理事長室にて研修中の3名が、

「地域の観光」をキーワードに郷土の魅力と可能性について論じます。


◆信長流ホスピタリティ (岐阜市役所より)

  
 四月に岐阜市から参りました。初の東京勤務ですが、入庁二〇年目という節目の年でもあり、多くを吸収できるよう一生懸命勉強して参ります。
 さて、岐阜城一帯が『「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜』として文化庁から日本遺産に認定されました。岐阜市の金華山の頂上には織田信長の天下統一拠点・岐阜城があります。麓には長良川が流れ、漆黒の闇の中でかがり火だけを頼りに行われる伝統漁法「長良川の鵜飼」が行われています。(毎年五月一一日~一〇月一五日)。信長は、天下取りに邁進する一方、城内に巨大な庭園や宮殿を造り、自然を活かした眺望や鵜飼により有力者や賓客を接待し、仲間を増やしました。景観や鵜飼文化に価値を見出し、軍事施設である城を中心に「魅せる」という独創性を加え、最高のおもてなし空間としてまとめ上げたのです。冷徹非道、戦上手等のイメージがある信長が、岐阜城や城下で行ったのは、意外にも手厚いおもてなしだったのは驚きです。そんな信長から受け継がれ、今も息づくおもてなし文化を味わいに、岐阜市に足を運びませんか。

 


◆2026年冬季オリンピック・パラリンピックにむけて (札幌市役所より)

 昨年から参画させていただいた研究テーマの一つが「観光」です。真の観光立国実現にはサービス産業の高度化が必要であるとの考えの下、世界各国の先進事例の調査研究等を通じて広い視野から知恵と構想力で施策展開を図る重要性を自治体職員として日々実感しています。
 札幌市は、今から四三年前の一九七二年がまちづくりの大きな転換点となりました。一つは政令指定都市への移行、そしてもう一つがアジア初の冬季オリンピック開催でした。オリンピックをきっかけに、地下鉄や高速道路など都市インフラが整備されました。また、札幌の名を世界中に広め、都市の国際化に貢献しました。
 しかし、今まさに新たな転換点を迎えようとしています。一九四万人都市に成長した札幌も、人口減少・異次元の高齢化社会に突入しつつあります。このような中、市民が夢を共有して時代の転換期を乗り越え、札幌の未来を創り上げていくため、昨年一一月に「2026年冬季オリンピック・パラリンピック」の招致に取り組むことを表明しました。将来にわたり魅力的なまちづくりを進めるためにも、多くの方々のご指導を賜りながら日々研鑽を重ねてまいります。

 
 

◆四日市市―インダストリアル・ツーリズムの可能性 (三重県庁より)
 
 三年目の研修を迎えます。昨年にはシンガポールの統合型リゾートを視察するなど、骨太な観光立国形成にむけて研究を深めています。今回は、私の地元・三重県四日市市を事例に、新たなツーリズムのポテンシャルを紹介いたします。

 四日市市は、三重県北部に位置し、日本随一の工業地帯である中京工業地帯の中核を占めています。同市は、昭和三〇年代に形成された我が国初の石油化学コンビナートがあり、産業力によって日本経済を牽引しています。かつては、大気汚染や水質汚染等により「四日市ぜんそく」に直面しましたが、市民、企業や行政等の努力で都市環境が改善され、今や産学官民で環境やエネルギーに関する意欲的な取組みを推進するエコでクリーンな産業都市に変貌しつつあります。また、スマートフォンやデータセンターなどに用いる「NAND型フラッシュメモリ」を生産する東芝の拠点を擁しており、世界シェアが三割超と世界のトップ争いを繰り広げているなど、次世代ICT 分野において同市は重要な役割を果たすことが想定されます。
 四日市市が経験してきた公害の克服とエコでクリーンな産業都市の実現、先端的プロジェクト等のコンテンツは、環境課題の解決や経済成長を促すプロジェクトを求めるアジア新興国の行政関係者やビジネスパーソン等にとって価値あるモデルとなりえます。このため、四日市市は「インダストリアルツーリズム」という新たなツーリズムを本格的に展開することにより交流人口を増加させる大きなポテンシャルを有していると言えるでしょう。

2015年第50号より
2013年第32号より

寺島文庫 近隣探訪記
滝沢馬琴と深く結びついた築土神社

 前号でご紹介した滝沢馬琴の足跡を辿り、改めて築土神社を訪ねてみました。寺島文庫から目白通りを横切り、「中坂」と呼ばれるやや急な坂を少し上ったところにある境内は、モダンなビルの一角に埋め込まれた感があり、狛犬と鳥居で初めて神社と分かります。参道を歩み手水舎と拝殿が視界に入ると突然、厳かな神社の雰囲気が漂います。拝殿右には世継稲荷の祠が建っています。

 馬琴が九段に住んでいた江戸末期、この地には世継稲荷のみが存在していました。馬琴は寺島文庫近くの自身の屋敷から5分もかからないこの世継稲荷に頻繁に参拝し、「世継稲荷参詣」と記した直筆の扁額を奉納しています。商家に婿入りして町人となった馬琴は、滝沢家の武家再興を長男に望んだのでしょう。しかし長男は40歳手前で亡くなります。すると馬琴は孫を御家人身分とすることに尽力しました。世継稲荷の境内に平将門を祭神とする築土神社が移ってきたのは1954年のことです。神社創建は、将門の首を桶に納めて祀られた940年に遡ります。長い歴史の中で幾度も戦火や水害に逢い、改築と移転を繰り返し、馬琴の時代には現在の築土八幡神社(飯田橋駅北西部・徒歩3分)にありました。こちらにも九段の馬琴の屋敷からは徒歩で通えます。

 後に馬琴は、将門が祀られている神田明神近くに息子を住まわせ、自身もそこへ転居しています。また将門の名が登場する『昔語質屋庫(むかしがたりしちやのくら)』や合巻(絵入り娯楽本)である『相馬内裡後雛棚(そうまだいりののちのひなだな)』を描いてもいます。寺島文庫の近隣を歩くと、馬琴の信仰心が蘇ってくるようです。

 
◆築土神社にて笑顔のエリゼ  

2015年第49号より
2013年第32号より

寺島文庫 近隣探訪記
滝沢馬琴の硯の井戸

 
 寺島文庫のほど近く、徒歩で3分余りの現在はマンションが建つ地に「滝沢馬琴の硯の井戸」があります。原稿料のみで生計を立てた日本初の作家として知られる滝沢馬琴(1767~1848年)は、 1793(寛政5)年、27歳で雑貨商を営み家主でもあった会田家に婿入りし、その後30年余りを九段北(当時の呼称は元飯田町中坂下)の地で過ごしました。48歳のとき、馬琴は代表作となる『南総里見八犬伝』を書き始め、転居後の期間を含め28年を費やして完成させました。「硯の井戸」の呼称は、馬琴が硯に水を汲み、筆を洗っていたことに因みます。

 馬琴は、1767(明和4)年6月5日、旗本松平鍋五郎家に仕えた滝沢興義の三男として深川の松平邸で生まれました。主家の孫のお守り役を務めた馬琴は、この孫の暴力に耐えかねて14歳で生家を離れます。この後、会田家に婿入りするまで生活は安定せず、職を転々として放蕩を尽くした時期もありました。

 生計を立てるため当初は黄表紙(絵入りの娯楽本)を著した馬琴は、会田家に婿入りした後、武士出身であることのプライドを持ちながら経世済民を説く読本(文章中心の読み物)を創作し続けます。この過程で書かれたのが、「孝」「仁」「信」「義」「礼」「悌」「智」「忠」の儒教的価値観を盛り込んだ『八犬伝』(1814年刊行開始)であり、文武と質素倹約を重んじる寛政の改革(1787~1793年)の後の時代風潮の中で、多くの人々に読まれました。『八犬伝』執筆途中に馬琴が失明したため、長男の妻・路の口述筆記によって完成させたエピソ ードは広く知られています。

 ところで、馬琴は大変な読書好きで蔵書家でした。馬琴は、役に立たない本を書いて原稿料を稼ぐのは役に立つ本を購入するためである、と言い切っています。武士としての滝沢家の再興を願い、自分の孫を士分とするため、御家人株購入の費用に充てるべく馬琴が売却した蔵書は数千冊に及びました。この時の馬琴の思いは、苦渋に満ちていたことでしょう。
 寺島の執筆活動の基点であり約4万冊の蔵書を有する寺島文庫が九段の地に創設されたのは、この地で執筆と学問に真摯に向き合った滝沢馬琴の磁力に引かれたからに違いありません。

<主要参考文献>『八犬伝・馬琴研究』
橋本眞一
新典社 2012年

 

2014年第48号より2013年第32号より

【NPO法人みねるばの森 2014年活動報告】


■寺島文庫リレー塾2014
 第5期となる2014年度は、「ユーラシア激変の中での日本」をテーマに掲げ、2014年9月~11月に日本工業倶楽部で開催しました。寺島に加えて、李鍾元氏(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)、佐々木毅氏(東京大学名誉教授)、田原総一朗氏(ジャーナリスト)、そして藤原帰一氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)(開催回順)という講師陣による全6回の講義では、のべ約1600名の申込者が、時代認識を深めるべく「本質を見抜く知の力」に触れました。

■第2期みねるばの森ゼミナール
 「就職を機に世界と人生を考える」とのコンセプトに基づき、就職活動を控える大学生を主な対象として、2014年5~7月に全4回のゼミナールを開講しました。各回の講師には、キャリアコンサルタント、中小企業に精通した大学教員や専門家、IT業界のフロントランナー、そして株式会社ナジック・アイサポートの全面協力によりワークプレイスメント実施企業の担当者にも登壇していただきました。このユニークなプログラムには、各大学より参画したのべ100人超の学生が熱心に耳を傾けました。

■みねるばの森Caféセミナー
 株式会社FANCLとの共催で実現した本セミナーは、「予防医療」をテーマに、アクティブシニアの社会参画を期して昨年より全6回積み重ねてきました。参加者は「未病」に向けた健康維持に関する様々な知見に触れ、また文庫Caféみねるばの森が提案する健康サポートランチを楽しみました。最終日である11月22日(土)には、全6回参加頂いた方に対し、寺島理事長から皆勤賞をお渡ししました。

■未来挑戦型企業インタビュー
 学生と企業の就職ミスマッチ解消に資するべく、中堅中小企業における未来志向の事業に対して若いうちから深く参画し、その中で成功・喜びを共有して欲しいとの思いから、「未来挑戦型企業」の経営者にインタビューを実施しています。時代認識、会社経営、そして人生論など多くの示唆溢れるメッセージは、学生に加えて社会人からも好評を博しております。
※インタビューの詳細については寺島文庫ウェブサイトのトップページをご覧ください。

☆留学生・若者の就業支援やグローバル人材の育成、シニアの社会参画を目指したNPO法人みねるばの森の各事業は、
  2014年9月の一般社団法人化により新たな進化を目指す寺島文庫に集約し、さらなる発展を目指します。

2014年第47号より2013年第32号より

【多摩大学創立25周年記念シンポジウム】

  

 2014年、多摩大学は開学25周年を迎えました。これを記念して、地域(ローカル)に足場を固めつつ、グローバルを視野に入れる「グローカル」志向を基軸とする多摩大学の教育理念が反映された公開講座など、様々な事業が展開されています。その一環として、11月15日(土)には多摩キャンパスにて記念シンポジウム「多摩の『健康まちづくり産業』を構想する」が開催されました。また、同日には寺島実郎監修リレー講座第7回講義(講師:寺島学長)が行われ、多摩というローカルから歴史と世界を展望するグローカリティの意義が論じられました。


◆多摩大学創立25周年記念シンポジウム

 「多摩の『健康まちづくり産業』を構想する」
 持続可能な暮らしを構築するために、地域の健康資源を生かし、産官学と地域の人々が連携した「健康まちづくり」の創造をテーマとする本シンポジウムは、八木敏郎氏(多摩信用金庫理事長)による来賓祝辞で幕を開けました。続いて寺島学長、宮島和美氏(株式会社ファンケル代表取締役 社長執行役員)、阿部裕行氏(多摩市長)によるキーノートスピーチがあり、産官学それぞれの立場から見た「健康まちづくり」への展望が示されました。
 続いて、株式会社ファンケルヘルスサイエンスが展開する予防医療事業、京王電鉄株式会社による取組事例、そして多摩大学教員からは健康分野におけるICT利活用に関する研究報告があり、その後、久恒啓一氏(同大学経営情報学部長)をはじめ、産学官のキーパーソンによるパネルディスカッションが行われました。
 楽しみながら健康づくりを行う継続的な仕組みの形成を目指し、地域の産官学がシナジー効果を追求すべく知恵を出し合うオープンプラットフォームの形成が合意されるなど、地域に立脚する多摩大学の開学25周年事業にふさわしいシンポジウムとなりました。

 

◆寺島学長 講義概要
 「17世紀オランダからの視界- オランダと向き合った江戸期日本」
 寺島学長は、歴史観を持って時代をどう認識するかが様々な事象を捉える鍵であると述べ、歴史観を構築する上で近代を象徴する17世紀オランダを視界に入れる意義を論じました。また、多摩大学が掘り下げている「多摩学」について触れ、多摩の地域史が世界史につながるグローカリティの展望を示すために、その事例である八王子千人同心に関する史論を展開しました。
 次に、海外との接点が制限されていた江戸時代の浮世絵が、オランダ・中国との東西文化交流の所産であったことを明らかにしました。続いて、新井白石と荻生徂徠、そして本居宣長を通じて、日本人の世界観や自己認識の追求に向き合った江戸時代の知性を解き明かし、広い視野に立った歴史観の意義を受講者に伝えました。